第一章 熱田神宮
タイムスリップからの歴史改変系の話です、そう言うのが面白いと思われる方は読んでみてください。
ちなみに魔法や便利な特殊技能(ネット通販とか、携帯で検索できるとか)は無いです、
体力勝負の世界w
プロローグ
『ハルト』は猫車に積まれた土砂を指定の場所に盛り上げて、首に巻いた手拭いで汗を拭いた。
真夏の今の時期の肉体労働はかなりキツイが、このバイトは高校二年の時からやっている。
といっても土木作業では無く遺跡の発掘調査の手伝いだ、大学は考古学のコースがある地元の愛知学院大学に進学するつもりで、既に推薦を貰っているので、貴重な夏休みを受験勉強で潰す必要が無いのは嬉しかった。バイトに励んでいるのは欲しい物があるからだが、まだ目標金額までは先が長い。
「津川君、そろそろ昼飯だぞ」
「あ、先生」
ハルトに声を掛けてきたのは、この現場を監督している大学の准教授で、遺跡発掘調査の権威だ。
「君、本当にウチ(歴史学科)に願書出してくれたんだね、教授もみんなも喜んでいるよ」
「はい、学内の推薦枠に入れたので、もし受かったら春からよろしくお願いしたします」
「はは、君なら教授推薦の枠でも良いっておっしゃっていてから、まぁ合格は確定だろうな」
「本当ですか、ありがとうございます」
そう言ってハルトは准教授に深々と頭を下げた。
「流石に一年生でインターハイで優勝した剣士だな、教授も君のそういう礼儀正しい所が気に入ったって、おっしゃっていたよ」
津川大翔は、17歳の高校三年生だ、地元の愛知高等学校で、二年生までは剣道部に所属して「玉竜旗高校剣道大会」、「全国高等学校剣道選抜大会」、「全国高等学校総合体育大会」の三大会で優勝すると言う快挙を達成してとりあえずの目標だった剣道三段を取った事で、剣道部を辞めて、元々好きだった歴史文化研究部に入って、そこで遺跡発掘調査の楽しさに目覚めてしまったのだった。
バイトと言うよりはボランティアとしてかり出された調査の時に、自慢の体力を活かして大人数人分の働きをした事から、大学の方から直接声がかかる様になって、たいした金額では無いがバイト代も貰える事になった。
父は元愛知県警の警官で、剣道をやる為に警官になったと言う人物で、 錬士六段で全国警察剣道選手権大会、全日本剣道選手権大会を二連覇して現役を引退、その後代々続いている、小笠原流弓馬術礼法、尾張貫流槍術と柳生新陰流兵法の道場を祖父から引き継ぎ、道場主として今でも鍛錬を続けている。
ハルトはその祖父や父の元で、小学生になる前から剣道、居合術、槍術、薙刀、合気道柔術を叩き込まれていた、そして体格にも恵まれて……高校三年の現在身長は183cm、体重は75kgあるが全て筋肉の塊でベンチプレスで150kgを軽々と上げる事ができる。
剣道三段の他に合気道も三段を獲得して、高校の合気道部の演舞に助っ人で呼ばれる事もあった。
ただ肝心の勉強の方は、可もなく不可も無くと言った所で、歴史オタクを自認しているので、日本史などの授業は好成績だが、数学、英語などはかなり苦しいものだった。
そして、体格とネオスポーツ刈りのヘアスタイルが災いをしているのか、残念な事にいまだにガールフレンドが居ない。何しろあだ名が『ゴリマ』……ゴリラマッチョの略……な位だから仕方が無い、ただ道場に通う少し歳上の女性達からは評判が良く、バレンタインデーにはチョコレートを貰ったりもするのだが。
「おう、兄ちゃん、今年も来たかや」
気さくに声を掛けてくるのは、もう顔馴染みになった現場の作業員達だ、
この発掘現場は仕出の弁当が出るが、みんなそれでは足りなくて、自前の弁当を持参している。
ハルトもそうしているが、コンビニの弁当では無く、自作の焼きおにぎりを竹の葉で包んだ物を持って来ている。
「兄ちゃん、相変わらず古風だな、大体今どきワシらでもその格好しないぞ」
と作業員達はハルトの弁当を見て笑っている、ただ嫌味と言うのでは無く好意的と言うのがハルトにもわかっている、そしてそのハルトの格好だが、白の鯉口シャツに薄茶のニッカポッカ、それに地下足袋に日本手拭と言う昭和の土方姿だった、だが作業員達は全員今風の温度調節機能がついたユニフォームの様な作業着で足元も安全靴になっている。
「ワシらもその格好の方が動き易いんだがな、今は上が煩くて、こんな工員みたいな格好させられとる」
と笑いながらぼやいている。
この現場は『断夫山古墳』で、最近になって見つかった新たな横穴石室の発掘調査作業なのだった。「兄ちゃん、午後は中を少し頼むわ、暑いから水忘れん様にな」
横穴は一応石の壁と天井があるのだが、何しろ1400年以上も前の古墳だ、中はかなり土に埋もれていて、慎重に掘り起こす作業が行われているが、まだ数メートルしか進んで居ない。
横穴は一度に作業できるのが二人程なので、作業員達は交代で手作業で土を掘り壁の位置を確かめながら前進する事になる。
「兄ちゃん、土出しに行くよって、少し頼むな」
とベテラン作業員に言われて、ハルトは大きな声で
「ウッス」
と返事をした。
突然、足元が大きく揺れた
「(うわ地震か、これはまずい、外に出ないと)」
と思った所で、落石と土砂崩れで下半身が埋まってしまった。
「(あ、いて、マジか)」
と思い、幸い手に持っていたスコップで自分の周囲を掘り進んで、崩れた土砂をかき分けて出口に向かった。
「なんで誰も助けに来てくれないんだ」
やっとの事で外に出られて、暑いので安全帽を脱いで、頭からペットボトルの水を被って周囲を見て愕然とする。
「なんだ、これ?」
この古墳は熱田神宮公園内にあるので周辺は綺麗に整備されていたはずだった、だが今ハルトの目の前には、雑木林が広がっている。
「どう言う事なんだ、おーい誰か居ませんか?」
ハルトは叫んだが誰の声も聞こえてこない、仕方がないので、目の前の雑木林に入り少し歩いて行くと
どうやら先が開けた場所に出られる様だ……と思ったとたん、足元の地面が無くなっていて一メートル程落下した、咄嗟に受け身を取ったが落ちた場所が悪く、後頭部を強か岩に打ち付けて、気を失ってしまった。
第一章 熱田神宮
「(痛、なんだ頭痛が……あ、そうか俺さっき周濠に落ちたのか)」
と目を開けると、どうやらどこかの道場の板の間に寝かされている様で、頭には布が巻かれている。
まだ少し後頭部は痛いが、頭や首、手足の骨にも異常は無い様で、上半身を起こす事ができた。
「(ここはどこだろう?)」
背中の感触から……寝かされているのは布団では無く、カーペットの様な敷物だ……板の間の道場かと思ったが、どうやら寺か何かの建物の様だ、開け放たれた襖から庭が見える。
「若様、お目覚めになりましたか?」
とハルトは声を掛けられて、その方を見てギョッとした。
そこに居たのは、和服に烏帽子、小太刀を指した若い武士だったからだ。
「大殿、若様がお目覚めになりました」
とその青年武士は、声を上げると、直ぐに年配の僧形の男性が部屋に入ってきた。
「若、三日三晩眠ったままで、爺は生きた心地が致しませんでしたぞ、殿に申し訳無く、この老い腹を切るつもりでおりました」
と泣いている。
「(いや、待て、これはドッキリかなんかか?)」
改めて自分の格好を見ると、先ほどまで着ていた土方の作業着では無く、白い浴衣の様な物を着せられていて、体に掛けられているのは掛け布団等では無く同じ様な着物だと言う事がわかった。
「あの、ここは一体?、あなたはどなたですか?」
「若、爺の事をお忘れか? ここは熱田の神職の屋敷でございます」
と僧形の男性は言う
「権二、若君は『鷲峰山』の天狗の森で倒れていたそうじゃな」
「はは、森の空堀で倒れていた所を地元の薪拾いの百姓が見つけて、直ぐに神宮に知らせが合ったとの事でした」
「まさか、天狗の神隠しに遭われたのかのぉ?」
「それは何とも、ただ百姓によると摩訶不思議な袴に小袖をお召しになっていたそうで、泥だらけだったので、庄屋の家で泥を拭きお召し替えをしたそうですが、それとその時にはもうお髪がこの様な有様だったそうです、しかし、清州の屋敷の馬は揃っておりましたし、若君がどうやって天狗の森に行かれたのか?」
どうやら、ハルトは、神隠しに合って失踪したらしい若君と勘違いされていると言う事がわかった。
「若、あなた様は尾張守護斯波義寛様の嫡男斯波義達様の長子、小太郎義介様ですがよもやそれもお忘れではありませんな」
「すまない、何も覚えていない」
ハルトはそう言うしか無かった。
ただ頭の中では、地元愛知県の歴史を必死で思い出していた
「(守護斯波氏と言う事は室町時代か戦国の初期だよな、確か最終的に織田信長に滅ぼされた家か、うーんしかも、斯波義達ってマイナー過ぎて誰だかわから無い、せめて織田信長とかなら直ぐにわかるのに)」
と思っていると
「致し方あるまい、天狗の神隠しとなればお命が無事だっただけでも儲け物じゃ、早急に殿にお知らせをせねばな」
それを聞いたハルトは立ち上がろうとすると、まだ少し足が痛むのを感じだ。
浴衣の裾を捲って見ると、青痣ができているが傷などは無い様だ。
「若のお召し物を」
と権二が声をかけるともう一人の若侍が着物を持って現れた。
着物は紋付に袴と言った物では無く、相撲の行司か神官の様な小袖と袴に肩衣と言うスタイルで、ハルトが自分で着替えようとすると、権二ともう一人の若侍が着替えさせてくれた、どうやら自分で着替えられない習慣の様だ。
浴衣の様な着物を脱がされて、自分の体を見ると、いつも履いているボクサー型のパンツでは無く白い褌を締められている、これも先程の話の庄屋の家で着替えさせられた様だ。
「これは若、そのお体は一体?」
と権二が驚いている
「どこかに傷でも?」
ハルトはどこかに傷でもあるのかと思い聞いて見ると
「いえ、その若君は、もう少しお痩せになっていたかと、それに背丈も私と同じ位だった筈ですが」
ハルトはこの若侍より軽く頭一つは大きいのだ、権二はハルトを見上げて不思議そうな顔をしている。
丁度着替えが終わり、烏帽子を被り、腰に小太刀を指した頃に、部屋に白装束の男性が挨拶に訪れた、
「斯波の若様、熱田社大宮司千秋季平にございます、お目覚めになられてようございました、我が屋敷にお越し頂き、恐悦至極にございます」
とハルトに深々と頭を下げた。
この状況で、
「人違いです、僕は未来から来ました」
等言っても誰も信用してくれないだろうし、話がややこしくなるだけだと思ったハルトは父や祖父が良く見ている時代劇を思い出して、若君らしく演じる事にした。
「千秋殿、世話になった、この恩忘れぬぞ」
と礼を言うと
「もったいないお言葉、痛み入ります」
といかにも神職らしい礼儀正しさで、返答が返って来た。
「今宵は我が屋敷に御逗留いただき、明日の朝、清州にお戻りいただければと存じます、若君のご本快をお祝いして今宵は宴の用意をいたしましょう」
そう言われたので『爺』と名乗った初老の男性の方を見ると
「せっかくのお申入れ、かたじけない、若、お言葉に甘えるといたしましょう」
と言う事で、夕方には宴席となった。
「(酒はまだ濁酒なんだなぁ、僕はまだ未成年だけど、この時代は関係無いか)」
とハルトは盃に入れられた酒、甘くない甘酒の様な物を飲んでみた。
そして、その宴席でハルトは現在の自分の立場を改めて確認する事ができた。
先程の会話で、自分が次期尾張の守護斯波義達の長子『小太郎義介』と言う事はわかっていたが、この小太郎は庶子であり嫡男では無い事、数年前に将軍から諱を貰い元服したそうだ。
「(うーん、そんな人物の話は聞いた事が無い)」
ハルトが歴史にハマったのは小学生の時に買ってもらた『PlayStation 3』のゲーム『信長の野望・創造』がきっかけだったから知識も興味も戦国時代に偏っているのだった。
そして更に、この小太郎義介は、数日前に突然清州の城から行方不明になり、家臣一同で探しまわっていた所、熱田神宮の神職千秋季平から神域の天狗の森と呼ばれる所で気を失って倒れている所を保護したと言う連絡が合ったと言う事だそうだ。
爺と名乗った僧形の男性は傅役の『常勝』で出家前の名は織田寛村、先代の守護代で、家督と守護代を甥の逹定に譲って出家している、権二は、小太郎の馬廻り役で柴田勝達、もう一人の若侍は同じく馬廻り役の佐久間盛通と言う事だ。
「(織田に柴田に佐久間ね、流石に聞いた事のある名字ばかりだな)」
とハルトは思った、そして今は多分16世紀前半の永正と言う年号だと言う事がわかった。
つまりまだ京都には誰だかわからないが足利将軍が居て、お家騒動の真っ只中で、斯波家が尾張の守護として存在している、織田家は守護代、それも岩倉の織田家(伊勢守)と清州の織田家(大和守)に分裂して争っていると言う状態だと言う事がわかった、今夜の宴にはその清州織田家の奉行である織田信貞も参加している。
「(信貞って確か、信長の祖父だったな、まだ信長が生まれる随分と前の時代なんだ)」
と今の状況を少し飲み込めたハルトだった。
翌朝、千秋に見送られてハルト達は清州の城に帰還する。
「(これが清州の町かぁ、大河ドラマとは違って、随分と見窄らしいんだな)」
と言うのがハルトの素直な感想だ、そして清洲城も、政庁である守護所が有ると言う事だが、城とは名ばかりで、石垣は無く、板塀で囲まれた寺の様な建物の周りを堀で囲っただけの様にも見える。当然天守も存在しない、ただ、門の両脇に櫓がある事で、ここが現代の寺とは違う建物だと言う事がわかる位だ。
数日後、ハルトこと義介は爺の常勝に連れられて、父である義達と祖父義寛と対面した。
「お祖父様、父上、ご機嫌麗しく……」
と最後は誤魔化して頭を下げる。
「(うーん、本当の父とお爺様と比べると、迫力に欠ける人達だなぁ)」
と二人の顔を見て思った、二人は武士と言うよりは大河ドラマの京都の貴族の様な雰囲気だったからだ。
「小太郎殿、元服以来じゃが、随分と背が伸びたな六尺はあるか?」
と祖父は上機嫌だが、父は少し難しい顔をしている。
斯波武衛家は鎌倉時代、足利宗家から分流した尾張足利家の子孫だ。
庶流とされたが、始祖は足利泰氏の嫡男家氏、だが母方実家名越氏が北条得宗家に反乱を起こした事で
母は側室に下がり家氏も嫡子から庶子へと改められた、足利家は得宗家の北条時氏の娘が泰氏の正室となって頼氏を儲け、これが足利氏嫡流・宗家を継承することとなり、後に足利尊氏が誕生して室町幕府の初代将軍になる。
一方で、家氏は元嫡子として宗家に次ぐ格を有し、足利宗家とは別に将軍に直接仕える鎌倉殿御家人となった。また宗家を継いだ弟の頼氏が早く死去したため、その跡を相続した甥家時の後見人惣領も代行して、その子孫は代々尾張守に任命された事から足利尾張家と呼ばれる事になる。
足利尾張家は、宗家の家人になっていった足利氏庶流(吉良、仁木氏・細川氏など)とは一線を画した存在だった。特に四代当主の足利高経が南朝方の新田義貞を討つなどの功績をあげ、後にその子義将が幕府の初代管領となり、以降は三管領の筆頭して幕府に重きを置いて、越前、尾張、遠江等の守護職を兼任する事になる。ところが、その後十代当主斯波義敏と斯波義廉の対立から更に応仁の乱を経て武衛家の権勢は衰えていく、そして義介の祖父の頃に越前守護職を失い、遠江の守護職も失って、この頃父義達は
それを奪回する為に遠江への出兵を伺っていたのだった。
だが守護代の織田氏はじめ国人衆があまり乗り気では無い。
「義介、この冬には我らは遠江に出陣する、其方も初陣となる、準備を怠るな」
「はい、父上」
と言う事だそうだ、
「(へえ、この人『義介』まだ初陣前だったのか、権二さん達の話でもあまり戦向きでは無い感じだったからなぁ)」
と自分では無い自分の事を思った。
すると何やら庭先が騒がしくなり
父が
「何事か騒々しい」
と声をあげると
祖父が
「そうか今日であったな、義達、熱田神宮に毎年奉納している『弓』が届いたのだろう、家人共がまた例年の様に誰が引けるか競っておるのだろう、どれ小太郎殿見物に行くかの」
と声を掛けて来た。
「はい、お供いたします」
とハルトも立ちあがり、祖父に続いて庭に降りて、この城の外庭……練兵場も兼ねているのか広場の様になっている……に向かった。
「のう、常勝殿、今年も誰も引く事はできないのかのう、情けない話じゃ」
「はは、武衛様、あの弓は四人張の強弓、近頃の若者には無理でございましょう、武勇の誉高かった
『義教』公を最後にここ百年近く以上誰も引く事はできませぬな」
「(へぇ、この時代でも今の若者にはってセリフがあるんだ)」
と思ったハルトは
「あのお祖父様、その弓、私も試してよろしいでしょうか?」
実は、強弓と聞いてハルトは俄然興味を持ったのだった、祖父の指導で弓馬術を習い弓にはかなり自信が有るし、自宅兼道場には、祖父が特別に誂えた四人張の『重籐弓』が有り、ハルトはそれを軽々と引く事ができた。
「若、それは」
と本物の義介の実力を良く知っている爺が嗜めようとするが
「おう、それは頼もしい」
と祖父はご機嫌だ。
広場では、家人の一人が、丁度弓に矢を番えて、顔を真っ赤にして引こうとしている所だった、他の家人達が
「ほら頑張れ」
と声を掛けて囃しているがどうやら引く事はできない様だ。
「大殿」
と義寛の姿を見た家人達が一斉に跪き頭を下げた。
「若がその弓を引いてみたいとのおおせじゃ」
と爺が、困った顔で家人達にハルトを紹介する。
「皆、ご無礼いたします」
とハルトが言うと、権二が家人から弓と矢を受け取り、跪いてハルトに差し出す。
「これは見事な尾州成ですね」
とハルトは弓をしばらく鑑賞してから矢を受け取り、体に染み込んでいる小笠原流弓礼法の所作で、優雅に広場の反対側にある的に向かって弓を引き矢を放った、矢は見事に的の真ん中に的中して、その後の木の壁も突き破った。
「おう、若お見事!!」
と爺が歓声を上げると、その場の全員が、さすがは若じゃと声を上げた。
「小太郎殿、見事」
と祖父も嬉しそうだが、ハルトには当然の事だ、四人張の弓は現代の単位にすると弓力70kg程度で、訓練で100kg以上の弓を引いていたハルトには容易い事だった。
「若君、お見事でございますな、頼朝公由来の『草鹿式』を嗜んでいられるとは、この千秋季平感服いたしました」
と声を掛けて来たのは先日の熱田神宮の神職だ。
「おう、季平殿か、今年も良い弓が奉納できそうじゃ」
と祖父が返答すると
「つきましては大殿、今年の秋の大祭の奉納弓射、若君にお願いする事かないますでしょうか?」
「なんと、それは良い案じゃ、小太郎殿是非引き受けなされ」
と祖父は大乗り気だ。
そして更に会話が弾んでいる祖父や爺達を尻目に、ハルトは側にいる権二に声をかける。
「権二、この弓はどちらから?」
「代々、清州の城に出入りしている弓師の作でございますが」
「その弓師、一度合わせて貰えぬかな、私の弓を頼みたいのだが」
ここ数日、ハルトは若衆達と弓や剣、槍の稽古をしていたのだが、屋敷にある弓は弱すぎて直ぐに折れてしまうのだった、なので自分の膂力に合う弓が欲しかったのだ。
「斯波の若様、弓師、勘九郎ここに控えております」
と壮年の男性が、一歩前に進んできた。
「勘九郎殿か、見事な弓で合った、私の頼み聞いてもらえるかな?」
「はは、若君こそ見事な腕前にございます、まさか四人張をお引きなさるとは、感服いたしました」
と頭を下げた。
ハルトは勘九郎と名乗った弓師に自分の希望を伝えて、さらに矢師も紹介してもらって特注の鏃を作ってもらう事にした。
「若君、本当にそれでよろしいのですか?」
「ああ、できるか?」
「もちろんでございます、弓師としてその様な弓を作らせていただけるとは、光栄の極みでございます全身全霊を込めて作らせていただきます」
と大袈裟に頭を下げた。
ハルトが頼んだのは、歴史上で最高の射手と言われた源氏の『鎮西八郎』源為朝の弓のレプリカだ「八人張」の強弓で鏃は7寸5分と伝わっていて、ハルトの家の家宝となっている弓がこれと同じ物だった。
本物の祖父も父もこの弓を引く事が出来なかったが、ハルトは高校生になって、これを引く事ができる様になっている。
秋の例祭までの間、ハルトの元には毎日の様に、初陣の共をしたいと言う若侍達が訪ねて来ている、
ほぼ全員が国人衆か土豪の庶子や次男、三男以下で、いずれも武芸には自信があると言う者達だった。
そんな中、頼んでいた弓と鏃が届きハルトは早速広い清州城の練兵場での試射をしてみる。
的として古い甲冑の胴を置きまずは立射、八人張の弓の威力は凄まじく、甲冑を軽々と貫いた。ハルトの弓の射程距離は、実家の道場に有る四人張で軽く四町(432m)を超える、有効射程は多分200m以上だろう、それをこの時代の実戦で使われる距離20間で射れば当然の結果だと言える、なので、ハルトは的から距離を取り、殺傷射程を測って行く。
どうやら倍の40間でも充分な殺傷力がある様だ、次に馬に乗り騎射を試して見る、馬上では弓を大きく引けないので、8割位の威力になる筈だが、それでも30間以上の距離から射て甲冑を貫通させる事が出来た、なのでついでに、流鏑馬で磨いた技術を使い、馬を走らせながらの騎射早撃を試してみた。
これも、全く問題無く的で有る甲冑を射抜く事が出来た。
それを見ていた若侍達は矢が甲冑を射抜く度に歓声を挙げていたが最後の騎射早撃で全員が、驚愕の顔で無言になっている、この時代既に弓の騎射自体が廃れていて、技術は殆ど継承されていないからだ。
幾多の戦場を生き抜いた老兵達なら騎射を見た事があるだろうが、この若武者達は見るのが初めてなのだった。
「おい、斯波の若様って……」
「おう間違い無い、八幡太郎様の生まれ変わりだ」
「アホ、それを言うなら鎮西八郎様じゃ」
と言う会話をしていた。
ハルトは自分の馬廻り衆とこの若衆達を引き連れて、毎日の様に鍛錬と狩りを繰り返している。
狩りでは、騎射で動く獲物への対応を学んだ、そして馬と徒士の兵との連携を確認する事が出来た、また剣や槍での鍛錬で、自分の武術がこの時代の実戦でどこまで通用するのかも理解できた、元々古流の柳生新陰流は、甲冑を着て戦う『介者剣法』の技が伝承されていたが、それが実戦でどこまで通用するのかが未知数だったので、馬上や地上で甲冑を着込んだ相手との戦いを若衆達との実践形式での訓練で会得して、更に体格を活かして戦場での獲物として『大長巻』を使う事にした。
鍛錬や狩りの後は庭で彼らと一緒に飯を食い酒を飲んだ。
そして彼らから話を聞いて、この時代の知識と常識を身につけていった。
皆から今までどんな鍛錬をしたのかと聞かれたので、
ハルトは腕立て伏せ、それも片腕立て伏せや、指立て伏せを実演してみた。
彼らの多くは武芸と言うよりは日々の農作業で自然に体が鍛えらているだけなので、
この様に腕の筋肉を鍛えると言う発想は無い、なので皆挙ってハルトが教えた筋トレをする様になった
この時代の若武者なら誰だって強弓を引きたいと思うのは当然なのだ。
ただハルトが居候している織田の屋敷の大人達は冷ややかだったが
「どうも、若様が変な踊りを踊っている」
とそんな事も言われていたが、その中で元々弓の素質のあった者が五人ほど四人張の弓をかろうじて引ける様になると、若武者全員の目の色が変わり、過剰な筋トレをする者も出る始末だった。
ハルトは皆に、
「何事も程々が寛容だ、それと鍛錬したら必ず体を休め、鹿、猪、鳥を食え」
と教えた。
なので鍛錬後の食事にはハルトがこの屋敷の家人に教えた、大葉味噌の焼きおにぎりと、狩で取った獲物の肉が必ず提供される様になり、皆背が伸び、筋肉が付いて精強さが大いに増したのだった。
そんな感じで、初陣の準備は確実に進んでいく。
熱田神宮の秋の大祭の日、ハルトは父や祖父、織田氏の面々に尾張や周辺地域から参内した観客の前で神社が用意した衣装に着替えて騎乗し、古式に則って、奉納された弓に鏑矢を番え天空に破邪の矢を放つ、そして次に草鹿の的に神頭矢を放った。現代では、ここで掛け合いが有るのだが、この時代はまだその様な習慣は無い様で、無事に儀式を終えて馬から降りると、詰めかけた観衆から大歓声を受けた。
「いやお見事、今年の大祭は例年の倍の見物人が押し寄せて大変でした、皆、若様を一目見ようと押すので柵が壊れてしまいましたよ」
「いやいや千秋殿、お戯を」
と一仕事終えた気分のハルトは盃をあおる。
上座では祖父と父が珍しく和かに酒を飲んでいる、父が機嫌が良いのは、少し前に祖父が隠居して、自分が正式に尾張守護となったからだろう。
「若様、いよいよ初陣ですな、ご武運をお祈りしておりますぞ、ここに控えますのは我が次男『定季』にござる、若様のお供に是非加えていただきたいと申しておりましてな」
とハルトより少し歳上に見える若侍を紹介した。
「千秋定季と申します、斯波の若様是非お供に端に加えていただきたく」
と礼儀正しく挨拶をする。
それを聞いた父は更に上機嫌になった
「季平殿、助太刀感謝致す、定季どの息子を頼みましたぞ」
と言って、自分の斜め前の席に座っている、守護代の織田逹定やその奉行で有る織田信貞の方を見た、
二人は苦虫を噛み潰した様な顔をしている、出兵には織田氏は反対なのだが、それでも守護代として逹定とその弟織田達勝は従軍する、だが信貞は拠点の城『勝幡城』の普請中と言う事で出兵を免除されているのだった。