8.思惑
「あの、今さらですが……これってどこに向かっているのですか?」
「本当に今さらだなぁ」
馬車に揺られていたことを思い出したラリルが問いかけると、ヒアデスは呆れた苦笑を漏らした。
「言っただろう? 今夜の王室晩餐会に君を連れて行くと。そこで親愛なる我が家族に君を婚約者として紹介するんだよ」
「えっ、待ってください! それってもしかして、王室恒例の月一晩餐会ですか!? ブラキウムの婚約者が倒れたり、ゾズマが毒を盛られたり、王妃が嫌味を連発したり、毎回毎回波乱が巻き起こるあのギスギス晩餐会!?」
「……随分と詳しいんだね。まるで見ていたかのようだ」
笑顔のヒアデスは、細めた瞳で射抜くようにラリルを見た。
「はっ! い、いえ! 全然っ! 私は何も知りません!」
「ふぅん? まあ、いいさ。波乱があるのもギスギスしているのも本当だからね。今日の晩餐会も大荒れになるだろう。楽しみだ」
「でも私、王室のマナーなんて分かりませんよ? ヒアデス様のご家族に無礼を働いてしまうかもしれません! どうしたら……」
「問題ないよ。君の役目はあくまでも私が王位継承権を放棄できるようにすること。伴侶として選んだ君に奇行があればあるほど私に有利になる」
「なるほど。では私、ヒアデス様のために一生懸命変人魔女を演じます!」
「……そのままで充分だと思うけど」
奇抜な痛々しいローブを身に纏ったラリルを見ながら呟いたヒアデスだが、やる気に燃えるラリルの耳には届いていないようだった。
「イベリコ〜、あの晩餐会だよ! 界隈で毎回考察合戦が繰り広げられるあの恒例イベント! まさかその場に参加できるなんて!」
「すごいでちゅ! ワタチもアニメで見ていた晩餐会に行ってみたいでちゅ!」
「いや、さすがにネズミを連れて行くのは……」
魔女と使い魔の会話を聞いていたアインが止めに入ろうとするが、笑顔のヒアデスが彼を制止した。
「いいじゃないか。王妃あたりが飛び上がるほど喜びそうだ。イベリコもラリルの肩に乗って一緒に来たらいい」
「本当でちゅか!? やった! 嬉しいでちゅ! ありがとうございますでちゅ、ヒアデス様!」
ヒアデスに許可をもらったイベリコは、主人と手を取り合ってそれはそれは喜んだ。
◇
ラリル達が和気藹々と馬車に揺られている中、王宮の一室では第一王子ブラキウムが婚約者であるシャウラ・エスカマリ公爵令嬢からある情報を聞かされていた。
「ヒアデスが晩餐会に同伴者を連れてくると?」
「はい。どうやら婚約者をお決めになったようですわ。国王陛下も会うのを楽しみにされておられるとか」
「マズいな。今の状況で有力貴族の令嬢などを婚約者にされてしまえば、ますますヒアデスの支持が高まってしまう」
「そうでなくとも国王陛下は今夜の晩餐会でヒアデス殿下への支持を表明するおつもりだったようですわ」
「なんだと?」
青色の髪を揺らすブラキウムは、凛と背筋を伸ばす美しい婚約者へ身を寄せた。
「まだ王位継承戦の期限まで三年もあるではないか。その情報は確かなのか?」
「ええ。側近達へ事前に漏らしていらっしゃったようで……。王位継承戦の勝者はヒアデス殿下しかいないと」
「クソッ! やはり、プレアデス辺境伯がヒアデスについたことが原因か……!」
「陛下はプレアデス辺境伯のこととなると、昔から見境のないところがございますから」
悔しげなブラキウムは拳でテーブルを叩いた。
「このままでは奴が王位を……。こうなれば、残る手段は一つしかない」
「はい。第二王子ヒアデス殿下を暗殺いたしましょう」
シャウラの言葉を聞いたブラキウムは、そっと彼女の手を取った。
「シャウラ。君は美しく聡明で、私にとって唯一無二の素晴らしい婚約者だ。私には君しかいない。……私達の未来のために、やってくれるか?」
「お任せくださいませ。どうせ王妃様も動いていらっしゃるはず。ヒアデス殿下がこの世を去るのは時間の問題ですわ」
◇
同じ時刻、王宮の別の一室では王妃デネボラが騎士に怒りをぶつけていた。
「ヒアデスの相手が誰なのか、まだ情報は掴めていないの!?」
「申し訳ございません。第二王子殿下は秘密主義で有名でして……」
「言い訳は結構よ! まさか、ゾズマの婚約者候補の中に裏切り者がいたわけではないでしょうね!? 厳選した有力貴族の令嬢達だというのに、ヒアデスなんかに取られてたまるものですか!」
「調査しておりますが、現段階ではなんとも言い難く……」
「この役立たず!」
カップを投げつけられた騎士はさらに深く頭を下げるばかり。
「ゾズマ、そんなことをしている場合ではありません! あなたの王位継承がかかっているのですよ!?」
母のヒステリーなど気にも留めていない様子の第三王子ゾズマは、母譲りの赤髪を揺らしながら剣を振っていた。
「王位継承戦が決する期限まで三年もあるではありませんか。ヒアデス兄上が誰を伴侶に選ぼうと、どうとでもなるのでは?」
「まったく……あなたはどこまで能天気なの! ことの重大さが分かっていないようね!」
室内で素振りをする脳筋息子に痺れを切らした王妃は、強い口調で息子を叱りつけた。
「いいこと、ゾズマ。よくお聞きなさい! 王位継承戦の期限は王室規範で定められているわ。ですけどね、そんなものは国王陛下の采配次第でいくらでも早めることが可能なのよ」
「そうなのですか?」
「当たり前でしょう! 次期国王を定めるのは国王陛下なのだから。陛下が第二王子を次期国王に指名すると言えば勝敗は決したも同然。貴族達は名指しされた第二王子を支持するでしょう。そうなればもう取り返しがつかないわ!」
「あちゃー。じゃあもうヒアデス兄上の勝利ですね。父上は今夜の晩餐会でヒアデス兄上への支持を表明するつもりみたいですから。なんでも、プレアデス辺境伯から手紙が届いて浮かれていたようなので」
「なんですって!? それは本当なの!?」
「はい。大臣達に話しているのを聞きました」
「どうしてそれを早く言わないの! 本当にこの子はっ……!」
「母上! 大丈夫ですか?」
よろめく母を抱き止めたゾズマだが、腕の中のデネボラは恐ろしい顔をしていた。
息子の逞しい腕を掴み、低い声を出すデネボラ。
「大丈夫なはずがないでしょう? あなたを次期国王にするため、私がどれほどの労力を費やしたか分かっているの?」
「えーっと……」
「第一王子も第二王子も陛下の前妻達の息子。私の血を引く尊い存在はあなただけ。この国の頂点に立つのはあなたしかいないのよ」
「はい。何度も聞かされて育ったので心得てます」
「油断したわ。突出した才もない第二王子にプレアデス辺境伯がつくなんて……。ゾズマの敵は第一王子ブラキウムだけだと思っていたのが間違いだった。こんなふうに隙を突かれるとは不覚だった」
目を血走らせたデネボラは、親指の爪を噛みながら宙を睨みつけた。
「かくなる上は……第二王子には不慮の事故にでも遭ってもらいましょうかしら」
「母上! いくらなんでもそのような不正は……」
「お黙りなさい!」
「っ!」
「あなたがいつまで経っても甘ったれているから、この母が手を回しているのです! 第二王子ヒアデス……あの身の程知らずを、なんとしてもこの世から消し去ってやるわ!」