7.野望
「誰にも明かしたことはないが、私は王位にこれっぽっちも興味がない。むしろ、王位に就くことだけは何があっても避けたいと思っているんだよ」
「えぇっ!? そうなんですかっ!?」
どんな公式情報にもなかった驚愕の推しの真実に、ラリルは推しが目の前にいることも忘れて顔を上げた。
「ああ。金も権力も、あるに越したことはないさ。だが国王なんて昼も夜も働かされて、何千何万という国民の命を預からなくてはならない。考えただけで面倒くさいじゃないか」
「た、確かに……? でも、だったらどうして今まで王位継承戦のために頑張ってこられたんですか?」
「君は歴代の王位継承戦の敗者達がどうなったか知っているか?」
「えっと、処刑されたり、身分を剥奪されたり、領地を没収されたり……?」
「そう。王位継承戦で敗北した者に未来はない。だから私は王位継承者が決まる直前まで均衡を保ち、兄か弟のどちらが王位に就くかを見極めて取引を持ちかける予定だった。私の支持勢力を引き渡し王位へと後押しする代わりに、相応の地位と財産を要求しようと」
「おお……!」
ヒアデスの抜かりない計画を聞いて感心するラリルだが、その能天気な顔にヒアデスは溜め息を吐く。
「なのに君の加護ときたら。強力すぎて、私が必死にバランスを保ってきた王位継承戦の順位を変動させてしまった」
「えっ?」
「私は常に裏で手を回し、僅差で自分が三番手になるように仕向けてきたというのに。度重なる幸運のせいで、今や私を推す声が多くなりすぎている。正直迷惑だ」
「そんな……っ」
悩ましげな表情のヒアデスは、硬直するラリルに流し目を向ける。
「特に厄介なのはプレアデス辺境伯の支持だ。彼は父上の憧れの人物でね。辺境伯が背後にいるというだけで、父上はすっかり私を次期国王に任命する気でいる。まったく頭が痛いよ。そのうち兄上や王妃が私を暗殺しようとするはずだ。だから目立つのは嫌だったんだよ。いったいどうしてくれるんだい?」
「わ、私が……ヒアデス様にご迷惑を……?」
状況を理解しガクガクと震え出したラリルは、馬車が揺れる勢いで膝を突き床に頭を押しつけた。
「申し訳ありません! 死んでお詫びしますっっっ!!」
「いやいや。今君に死なれては困るんだよ」
「へ?」
気怠げに手を振ったヒアデスは優しくラリルの顔を上げさせて、馬車の床に正座する憐れな魔女を見下ろす。
「いいかい、ラリル。私の窮状を打開するには、絶対的な形の王位継承権放棄が必要なんだ。そのために君の協力が不可欠だ」
「私の協力、ですか……?」
「ただ王位継承権を放棄すると宣言しても、誰も取り合ってはくれない。継承権を放棄するには一定の欠格事由がいる。半身不随とか深刻な病とかね。しかし、継承権放棄のためにそんなリスクを負うわけにはいかないだろう? となれば残る方法は一つ。王室規範に則った、別の欠格事由を利用するしかない」
「別の欠格事由……とは?」
ニコリと微笑んだヒアデスは、王室規範の一節を諳んじた。
「国王たる者、自国または周辺諸国の王侯貴族を伴侶とすべし」
「王侯貴族……」
「つまり、裏を返せば王侯貴族以外の者を伴侶にすると国王にはなれない。魔女なんかを伴侶にすれば、一発で王位継承権がなくなるというわけだ」
「魔女を伴侶に……」
「だから私にはどうしても君との結婚が必要なんだよ」
「うおぉ! なるほど! さすがヒアデス様、目の付け所が違いますね!」
「うん?」
「素晴らしいお考えだと思います! そんな方法を思いつくなんて、ヒアデス様の頭脳は優秀すぎます!」
目をキラキラさせて見上げてくるラリルに、ヒアデスは首を捻って呟いた。
「……やっぱり思っていたのと違う反応なんだよなぁ……」
「あっ! では邪魔な私の加護も今すぐ取り消します! 幸運で得た金脈も、プレアデス辺境伯の支持も、全てなかったことに……」
「おやおや、何を言い出すんだい?」
「え?」
「ラリル。よく聞いて」
「はう!」
ラリルの耳に顔を寄せたヒアデスは、直接吹き込むように囁いた。
「私はね、一度手にしたものを手放すのが大嫌いなんだ」
「……っ!」
「確かに金脈もプレアデス辺境伯とのコネクションも、私の計画には邪魔だったさ。けどね、だからといって今さらそれらを手放すのは少しだけ惜しいんだよ。分かるだろう?」
「……ほあぁ!」
ニタリと微笑むヒアデスは悪魔のように美しく魅惑的だった。
「つまり、何も手放さずに王位継承権だけ放棄したいんだ。もっと本音を言うのであれば、君の加護は王位継承権を放棄したあとであればとても役に立つ。だって私の野望は、潤沢な財産とそこそこの権力を持ちながら悠々自適に暮らすことなのだから」
本音を明かしたヒアデスは、ラリルの反応を見極めようと目を細めた。
計画は全て話した。
ここでラリルが逃げ出すようなことがあれば、相応の対処をしなければならない。
(さて。この魔女はどう出るのかな)
俯いたラリルは密かに肩を震わせている。
「…………か」
「か?」
「カッコ良すぎます!!!」
「……んん?」
「ああ、どうしよう。その狡猾さ、それでこそヒアデス様です! 痺れちゃいます! 好きすぎて限界です! 愛してます! 最高がすぎます!! LOVE! BIG LOVEです! ヒアデス様の素敵な夢、全力で応援させていただきます!!」
「じゃあ……私に協力してくれるのかな?」
「もちろんです!! ヒアデス様のお言葉は全て正義です! ヒアデス様の幸せが私の幸せ! 私にできることならなんでもします! 命を差し出せと言われたら喜んでそうします! ヒアデス様こそこの世の摂理にして道理! 世界の中心にして神そのものです!」
「…………物分かりがよくて助かるよ」
微笑んだヒアデスはラリルから目を背け、腑に落ちない表情で窓の外を見た。
その間もラリルのキラキラした瞳がヒアデスの横顔に向けられている。
恋や愛というよりも崇拝の色が濃いその視線を浴びるヒアデスは、むず痒さを必死に我慢した。
隣でずっと気配を消していたアインはそんな主人にそっと耳打ちをする。
「主君、いつの間に新興宗教を開いたんですか? そのような計画は聞いておりませんが」
「……奇遇だな。私も自分の記憶を辿っていたところだ」