6.提案
「うー……イベリコ、いま何時?」
「起きたでちゅか、ご主人様!」
「おはよう、ラリル」
「んん? おはよう………………って、ぴゃあああぁぁあ!??」
いつもと違う朝の挨拶にモショモショと目を擦っていたラリルは、目の前に飛び込んできた人物を見て絶叫した。
「ヒ、ヒ、ヒ、ヒア、ヒアデッ、ヒアデスさっ」
「驚かせてすまない。体調は大丈夫だろうか?」
口をパクパクさせながら落ちそうなほど目を見開くラリルの姿に満足げなヒアデスは、爽やかな笑みを浮かべていた。
「昨日は話の途中で倒れてしまったから心配したんだ。目が覚めて安心したよ」
「な、な、な、なん、なんでっ!?」
理解が追いつかないラリルが狼狽えているのを楽しそうに眺めていたヒアデスは、わざとらしく室内を見渡した。
「話には聞いていたのだが。本当に何もかも緑なんだな」
「はへ?」
目が覚めたら推しが自分の部屋にいるだけでもパニックだというのに、推し色だらけの室内をマジマジと見られている。
色だけではない。自作した様々なヒアデスグッズが所狭しと並べられた室内は、完全なる痛部屋である。
オタクとして誰に見られても胸を張っていられるが、相手が推しとなると話は別だ。
ラリルの脳が現実を処理できないのも当然のことだった。
「ここまで自分の顔が並んでいるのを見るのは、なかなか刺激的な経験だな」
異世界に転生したラリルが血の滲むような努力の末に編み出した手法で自作したアクスタを手に、ヒアデスは美しい苦笑を漏らす。
「あ、あう、あうあうぅ……っ」
色んな意味で息ができないラリルは、意味の分からない呻き声を発しながら全身から汗を吹き出し続けていた。
「君は本当に私のことが大好きなんだね」
「!?」
アニメからそのまま飛び出してきたような推しの美貌と絶望的な言葉のダブルパンチに、ラリルの顔から血の気が失せる。
「はうぅっ! 目を開けていられないほどの美! っていうか、推しにバレた推しにバレた……っ」
ブツブツと呟きながらこの世の終わりのような様子のラリルへと、ヒアデスは情け容赦なく笑顔を炸裂させた。
「魔女ラリル・ルルレ。君に提案があるんだ」
見ていたイベリコ曰く、その笑顔は星のように煌めいていたという。
「は、はいっ」
「私と結婚しないか?」
「…………へ?」
「異論はないだろう? 君は私が大好きなのだから」
「…………あ、う、え?」
「アイン。今夜の晩餐会で紹介したい者がいると父上に伝えてくれ。同伴者の許可も得るように。ラリルを連れて行く。兄上や王妃にも情報が流れるよう手配を」
「承知いたしました」
「……ちょ」
「今夜の晩餐会は王室の公式行事ですが、彼女の衣装はいかがいたしますか?」
「そうだな。……用意はしなくていい。ラリルには魔女の格好で来てもらったほうが効果的だ。あ、あそこにかけてある緑色の奇抜なローブなんかでいいんじゃないか」
ヒアデスが指したのは、ラリルが丹精込めてせっせと作成した痛々しいオーラを放つオタクローブだった。
黒と緑の生地に輝く糸で入れた刺繍は、ヒアデスの象徴である牡牛座にエメラルドをあしらった特別仕様だ。
色といいマークといい、誰がどう見てもヒアデスを連想してしまうそれはそれは恥ずかしいローブ。
ラリルが決して人様に見せたくなかったそのローブを、推しであるヒアデス本人が笑顔で指差している。
(あ、死んだ……)
「挙式はいかがされますか?」
「それも問題ない。こちらで準備せずとも済むはずだ」
「……ちょ、ちょっと待ってくださいっ!!!」
何かとんでもないことが起きているのに置いていかれている気がして恐ろしさを感じたラリルは、無我夢中で口を挟んでいた。
「わ、私が!? ヒアデス様と何をするですって!!?」
「おや。そんなに私の口から何度も言わせたいのかな? 私の花嫁は欲しがりさんなんだね」
「ひょえぇ……っ!」
人差し指で顎を持ち上げられたラリルは震えながら奇声を発していた。
「君は私の妻になるんだよ、ラリル」
推しである王子からダイレクトに囁かれ、胸を押さえてバタンと倒れ込む。
「ファンサがすぎるっっ!!!」
ベッドの上にガンガンと頭を打ちつけ出したラリルはどう見てもまともな人間ではないが、ヒアデスは気にせず憐れむ目で主人を見つめるイベリコに問いかけた。
「ファンサとはなんだ?」
「ファンサービス、つまり推しがファンに向けてしてくれるサービスのことでちゅ!」
「なるほど。こういうのかな?」
ヒアデスからウィンクを送られたラリルは、鼻血を吹き出して倒れ込んだ。
「はっひゃあー!!」
「おっと。これじゃあ先が思いやられるなぁ」
「ご主人様ーーーー!!」
終始ニコニコのヒアデスと絶叫するイベリコを視界に映しながら、ラリルは再び意識を失ったのだった。
◇
「はっ!!」
次に目が覚めた時、ラリルは痛々しいオタクローブを着せられて馬車に揺られていた。
「いったい何が、どうなって……!」
「ご主人様、大丈夫でちゅか?」
「イベリコ……? 私、とんでもない悪夢を見ていたみたい」
「それは心配だな。大丈夫かい?」
向かいの席から聞こえた声に、ラリルはおそるおそる顔を上げた。
「……ヒィッ!」
そしてヒアデスの顔を見た瞬間、見事な白目を剥く。
「あー、また気絶されては困る。イベリコ、気付薬を」
「はいでちゅ」
すっかりヒアデスに手懐けられたイベリコは、持ってきた気付薬を主人の口に押し込んだ。
「な、なんなんですか! これは、夢じゃないんですかっ!?」
無理矢理起こされたラリルはヒアデスを直視できないまま問いかけた。
「やれやれ、自覚がないんだな。悪いのは君だろう。君のせいで私は今、とんだ窮地に立たされているのだから」
「え?」
長い脚を組み、頬杖を突いて美しくも傲慢な瞳でラリルを見下ろすヒアデスは一枚の絵画のようだった。
「誰にも明かしたことはないが、私は王位にこれっぽっちも興味がない。むしろ、王位に就くことだけは何があっても避けたいと思っているんだよ」