4.虹の橋
「売れ残りだから値引きしますよ」
仲間や兄弟姉妹が巣立つ中、いつまで経っても店先に置かれたままの私を見ていた客に、店長は愛想笑いで声をかけた。
「ジャンガリアンハムスターなんですけどね、見た通り色が中途半端でして。太ってるってのもあってか、なかなか売れなくてねぇ。どうです? 飼育キットもサービスしますから」
「……いえ、見てただけなんで」
店長のトークに付き合う気がないのか、その客はさっさと帰ってしまった。
どうせこのまま売れ残って誰からも愛されず死んでいくんだと、やさぐれてヒマワリの種をドカ食いしていた時だった。
さっき私を見ていた客が、息を切らしながら再び来店してくるなり大声で言った。
「あの、やっぱりこの子ください! 値引きしなくて結構です! 正規の値段で買います!」
そうして私は、ご主人様と暮らし始めた。
初めて部屋に入った時、なんでこんなに緑だらけなんだろうと不思議だったのを覚えてる。
カーテンもシーツもカーペットも小物も、あれもこれも全部緑。
あちこちに同じ人間の絵が飾られていて、ちょっとヤバい人に飼われることになっちゃった……なんて思った。
私のケージも緑だらけで、目がおかしくなりそうだった。
「あんたの名前はベリだよ」
名前をもらった私は、ご主人様のペットになった。
「まーたこんなに食べて! 太り過ぎは体に良くないんだよ!? そんなんじゃ豚になるんだからね! あんたなんかベリじゃなくてイベリコって呼んでやる!」
「見てよイベリコ! このヒアデス様、ビジュ最高じゃない?」
「ねー、ヒアデス様ってなんであんなに素敵なんだろう? この策士で腹黒いところが魅力なのよね〜」
「あ! ちょっと見てこれ! 今月の表紙まさかのヒアデス様じゃん!!!」
「イベリコー、あんたもヒアデス様のこと好きでしょ? だってこんなにカッコいいもん。カラカラばっかりしてないで見てよ」
ご主人様の言う〝ヒアデス様〟は、どうやらテレビ画面の中や紙の中に住んでいるみたいだ。
あれこれ見せられたけれど、私はペラペラ人間のオスに興味なんてないから今日も頰いっぱいにごはんを詰め込んで回し車の上をカラカラ走るだけ。
「言っとくけどね、私がヒアデス様以外にお金を使うのはあんたのエサ代だけなんだからね。感謝しなよ」
「あはは、虹の橋だってさ。死んだペットはそこで飼い主を待ってるんだって。あんたも私のことそこで待っててくれるのかなぁ?」
「おやすみ、イベリコ。明日も一緒にヒアデス様を見ようねー」
毎日毎日、友達のいないご主人様は私にばっかり話しかけてくる。
私も友達がいないから、ご主人様の話ばっかり聞いている。
一緒にアニメを見たり、ヒアデス様の話をしたり、ごはんを食べたり。
なんでもない平凡な日々だったけれど、なかなか悪くない生活だった。
「ねぇ、嫌だよ。なんで食べないの? あんなに食いしん坊だったくせに」
「あんたがいなくなったら、私本当に独りになっちゃうじゃん……! あんた以外の誰が私の推し活に付き合ってくれんのよ!」
「お願いだから逝かないでよ」
ごめんね、ご主人様。
ご主人様と一緒に推し活するの、実は結構楽しかったの。
でも私、ただのハムスターだから。
いつもなーんにも手伝ってあげられなくて、こんなに早く死んじゃって、本当にごめんね。
美味しいごはんも、あったかい寝床も嬉しかったよ。
虹の橋ってところが本当にあったら、そこで待っていてあげるから。
「なんでそっちに行くでちゅ!?」
虹の橋で気長にご主人様を待っていた私は、死んだご主人様の魂があらぬ方向に彷徨い出すのを見て慌てた。
天国はあっちで、絶対この虹の橋を通るはずなのに。
ご主人様が来るのを今か今かと待ち侘びていたのに。
ご主人様の魂は別の方向にフラフラと吸い寄せられていく。
「天国に行かないで転生するでちゅか? いつまでワタチを待たせる気でちゅ!」
私は走って走って、たくさん走ってご主人様を追いかけた。
小さな体でも、ご主人様の魂を見失わないように。
「走るのは得意なんでちゅ!」
ここまでずっとずっと待っていたんだから、もう会えないのはイヤだよ。
お願い、置いていかないで。
走って走って走って、私はやっとご主人様に追いついた。
「待つでちゅ! ワタチも一緒に行くでちゅーー!」
ご主人様の魂が今にも消えてしまいそうになった瞬間、必死にしがみついた私の魂は、ご主人様が転生したこの世界でご主人様の使い魔として生まれ変わった。
◇
転生した主人の魂を追いかけて異世界まで来た健気なハムスターは、目の前の非常事態に震えていた。
「まったく起きる気配がないな」
「どうします? 気絶している間にサクッと始末しますか?」
「どう処理する気だ? 面倒ごとは避けたいんだが」
「目撃者は残しませんのでご安心を」
気絶したラリルを前にヒアデスとアインが物騒な会話を繰り広げている。
アインが持つナイフの冷たい光に怯えながらも、イベリコは震える小さな四肢を奮い立たせた。
「ご、ご主人様に手を出したら許しませんでちゅ!」
「うん?」
ラリルの腹の上に乗り、短い前脚を広げるイベリコ。
「このネズミは、魔女の使い魔でしょうか?」
「ネ、ネズミじゃないでちゅ! ハムスターでちゅ!」
首を傾げるアインに言い返したイベリコは、全身がガクガクと震えていた。
見るからに弱そうなハムスターは手で払えば吹き飛びそうなほどちっぽけだ。
しかしながら、こう見えても魔女の使い魔。
侮るべきではないと判断したヒアデスは、逆にこの小さな使い魔を利用することにした。
「ふむ。主人が話せないのであれば、使い魔に聞いてみるのも一興だと思わないか?」
「また何をお考えなのですか……」
主人の言葉に呆れるアインだが、口角を上げたヒアデスはハムスターの視線に合わせるように姿勢を低くする。
「君の名前は?」
「イ、イベリコでちゅ」
名前を聞かれて驚くイベリコへと、思わず警戒心を解いてしまいそうな優しい笑顔を見せるヒアデス。
「少し質問してもいいかい? 正直に答えてくれたら君の主人には手を出さないと誓うよ」
「あ、怪しいでちゅ。でも、……ご主人様が言ってたでちゅ。ヒアデス様は本当のことを言わないことはあっても、嘘はつかないでちゅ」
「……ほう?」
ますます興味深そうな顔をしたヒアデスは、小さなハムスターに向かって質問を始めた。
「君は君の主人がなぜ私に妙な加護を授けたか知っているか?」
「そんなの、ご主人様がヒアデス様のオタクだからでちゅ!」