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2.土下座



 アニメの世界。


 アニメのストーリーに一切関係のない、名もなき魔女として生まれ変わったラリルは変わらずヒアデスのオタクだった。


 前世のようにヒアデスのグッズがあるわけではないので様々なグッズを自作し、緑色のものを見ればついつい買い漁り、ヒアデスに関連のある新聞記事などは丁寧にファイリングした。


 ヒアデスが投資した事業があればせっせと貢ぎ、毎日毎日魔力を込めてヒアデスの幸運を祈り続ける日々。


 しかし、せっかく〝推し〟であるヒアデスがいる世界に転生したというのに、ヒアデスに直接会ってみたいという欲求はラリルの中に微塵もなかった。


「ご主人様、せっかくだからヒアデス様に会いに行けばいいじゃないでちゅか」


「何言ってんの? 推しは自分と住む世界が違う崇高な存在なの。実際に会って話したり恋愛をしたりする対象ではないわけ。分かってないわね」


 頑固な主人にイベリコがそれ以上何かを言うことはなかったが、二次元の中の世界に転生しても別次元の存在としてヒアデスを崇め続けるラリルを、イベリコはずっと不思議に思っていた。


 イベリコは前世も含めたラリルの唯一の理解者ではあるが、オタクという生き物がどれだけ複雑怪奇な生き物かはよく分かっていない。


 使い魔の首を傾げさせながらも、ラリルは推し活を生き甲斐に、アニメの中に転生した人生を大いに満喫していた。


 普通の人間から気味悪がられている魔女には、面倒な人付き合いというものが必要ない。


 何よりも生まれ変わったラリルには、魔女としての才能があった。


 無愛想なラリルを気味悪がりながらも、人々は〝まじない〟を求めてラリルの店に通う。


 おかげで生活に困窮することはなかったが、儲けのほとんどをグッズ製作などの推し活に使うラリルの店はいつまで経ってもオンボロだった。


 そんなオンボロの店に、推しであるヒアデス本人が来店するとは。


 同じ世界でこっそりひっそりと推し活をしてその活躍を陰ながら見守ることが生き甲斐だったラリルにとって、それはまさに青天の霹靂。


「推しと世界が交わるなんて……こんなのあり得ない!」


 たった一度の邂逅から抜け出せないラリルは、ヒアデスが店を訪れてから数日間は上の空だった。


「推しに見つかっちゃった以上、この店を消して遠くの国で一からやり直すべきじゃない?」


「バカなこと言わないでくださいでちゅ! ここの人間達はご主人様のまじないの力を知っているから、魔女が怖くても店に来るんでちゅ! 新しい地ですぐに客がつくと思いまちゅか!? 下手したら客が来なくてのたれ死んじゃいまちゅ!」


 イベリコの説得によりラリルがバカなことを実行することはなかったが、平和な日々はそう長く続かなかった。





「ヒィッ!!!」


 その日、来客の顔を見たラリルは後ずさりすぎて店の後方にある棚に激突した。


「な、な、な、なんで……っ」


「この前の紅茶がすごく効いたからね。効果があったらまた来ると言っただろう?」


 爽やかな笑顔のヒアデスは、緑色の瞳を細めて落ちてきた薬草まみれになったラリルを見た。


「今日も紅茶をもらえるかな?」


「ひゃ、ひゃい! あ、あり、ありがとうございましゅ……!」


 噛みに噛みまくったラリルは自分が何を言っているのかも分からないまま、まじないの紅茶が置かれた棚から両手いっぱいの袋を取り出した。


「どうぞ、全部持っていってください!!!」


「え?」


「これも、あとこれとこれも! 全部! お代は結構ですからっ」


「いや、そういうわけには……」


「本当に、お願いですから! 持っていってください!」


 ヒアデスを見ることなく顔を背けながら叫ぶラリルは真っ赤だった。


「ふむ……。じゃあ、こうしよう」


「はえ?」


 目の前に置かれた紅茶の中から一袋だけを手に取ったヒアデスは、ニコリと微笑んだ。


「一袋ずつ、飲み終わるたびに取りに来るよ。この量を一度に持って帰るのは大変だからね」


「……飲み終わるたびに、取りに来る……?」


 その言葉通り、ヒアデスは定期的にラリルの店に通うようになった。


 毎度ふらりと訪れては、一言二言ラリルと会話を交わして紅茶を手に帰って行く。


 ラリルとしては毎回見せつけられる生のヒアデスに心臓が破裂しそうな生き地獄の日々。


 推しが店に通ってくるというあり得ない現実。


 ヒアデスが来た日には数日間涙が止まらないほど取り乱し、この店でヒアデスが息をしていたかと思うだけで尊くて心臓が止まりかけた。


 そして次はいったいいつ来るのだろうかと、緊張と興奮と不安と焦りとなんだかよく分からないぐちゃぐちゃな感情で睡眠も食事もろくにとれないラリルの姿を、イベリコは心から心配していた。


 ある日とうとう、ラリルは限界を迎える。


 手足の震え、眩暈、動悸、息切れ、耳鳴りに吐き気に頭痛に……と、体が異常をきたし、寝ても覚めてもヒアデスの幻覚が見え始めたのだ。


「私が何をしたって言うの……! 陰ながら推していただけなのに! それがこれほどの罪だというの!? このままじゃ本当に心臓がもたない。推しの過剰摂取で死んじゃう……っ」


 この異常事態に危機感を抱いたラリルは、何度目かの来店をしたヒアデスに思い切って問いかけた。


「あの! いったいなんの罰ゲームなんでしょうか!?」


「罰ゲーム?」


「いや、その、だって……。なぜ、ヒ、ヒ、ヒアデス様のようなお方が、こんなオンボロの店にっ……!」


「私がこの店に来るのが、そんなに迷惑なのかな?」


 眉を下げたヒアデスを前に、ラリルは大急ぎで首を横に振った。


「い、いいえ! 決して! 決してそのようなことはありません! ヒアデス様のなさることは全て正義です!! 私が作った紅茶がヒアデス様の血肉になっているなんて、想像しただけで興奮と不安と喜びで脳みそが煮えたぎりそうです!」


「……ああ、うん。ありがとう?」


 ラリルの言葉は常人には理解不能だったが、悪い意味ではないと解釈したヒアデスはとりあえず礼を言っておく。


「でも、本当になんで……、ヒアデス様ほどのお人が、私なんかの店に通われるのか分からなくてっ」


「…………」


 緑色の瞳を注意深くラリルに向けていたヒアデスは、二人を隔てていたカウンターから身を乗り出してラリルに顔を寄せた。


「本当に分からない?」


「へ?」


 突然の推しのドアップに驚いたラリルの口から間抜けな声が出ると、ヒアデスはその美麗な顔に刺激的で悪い笑みを浮かべた。


「本当に心当たりはないのかと聞いているんだよ、魔女のラリル・ルルレ」


「…………!!」


 名前を呼ばれたラリルは戦慄する。


 全身に鳥肌が立って止まらない。


 脳が警鐘を鳴らしている。


 これ以上推しを摂取すれば、確実に爆死するだろうと。


 推しに詰め寄られるこの状況に限界を感じたラリルは、許しを乞うため土下座をした。


「申し訳ありません! 私なんかがヒアデス様のオタクで! 私のような者に推されてもヒアデス様になんの得もないのは分かっているんです! それでも私、ヒアデス様のオタクをやめることはできそうにありません! 前世からずっと推し続けているんですっ! ヒアデス様を推せない生活なんて耐えられません!」


「……うん?」


「いっそのこと、死んでまた別の世界に転生して、そこで推し活をします! 同じ世界に転生しちゃったのはきっと、何かのバグだったんです!」


 意味不明で支離滅裂なことを叫びながら頭を下げ続けるラリルに、ヒアデスは困り顔をした。


「……なんだか思っていた感じと違うな。どうしたものだろうか」


 当てが外れた、とでもいうかのように、ヒアデスは頭を悩ませている。


 その間も土下座を続けるラリルに向き直り、ヒアデスは優しくその肩を叩いて顔を上げさせた。


「うん。そろそろ潮時かなと思っていたんだ。話をしようか、ラリル・ルルレ」




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