27.愛
「わしに果し状を送ってきた女は貴様が初めてだ。その勇気に免じて来てやったぞ。いったいなんの用だ?」
「手紙に書いた通り、ヒアデス様と私の結婚についてお話があってお呼びしました。お入りください」
「ふん。無駄なことを。何を企んでおるのか知らんが、貴様のような魔女の言うことを誰が信じると……って、なんじゃこの部屋は!?」
ラリルから送られてきた手紙を片手にラリルの店を訪れたプレアデス辺境伯は、二階の部屋に通されるなり顎が外れるほど驚いた。
「あっちもこっちも、どこもかしこも緑!? そしてあちらこちらにヒアデス殿下のお顔が……! こっちには小さい透明な板の中に殿下が、あそこには殿下の姿絵が! そこには殿下を模した人形が……!? なんと珍妙な部屋だ! さてはわしを錯乱させる作戦か!?」
「違いますよ。この部屋はいつも私が生活しているだけの部屋です。ここにお連れしたのは、私のヒアデス様愛を分かってほしかったからです」
「この中で生活しているだと? 正気か!? どういう神経をしておるのだ!? いくらなんでも頭がおかしいだろう! き、貴様! いったい何者だ!?」
慄く辺境伯に向けて、ラリルは堂々と胸を張って答えた。
「私はヒアデス様のオタクです!」
「オ、オタク……?」
「この世の誰よりも、ヒアデス様を愛している者です!」
「……っ!?」
言いながらラリルが取り出し頭に巻いたのは、『ヒアデス様LOVE』と書かれた鉢巻だった。
「確かに私はヒアデス様を神格化するがあまり卑屈になっていました。でも、あなたのおかげで気づいたんです。なんの取り柄もない中途半端な私でも、ヒアデス様を想う気持ちだけは誰にも負けないと!!」
「!!」
言い切ったラリルの姿は自信に溢れていた。
「この世界に転生して、私は必死に魔法の腕を磨き日夜グッズ制作に励んできました。全てはヒアデス様の推し活をしたいがため! 血反吐を吐こうと、睡眠不足でぶっ倒れようと、金欠でひもじかろうと、イベリコに小言を言われようと、ヒアデス様のためならどんなことも耐えることができました。どんな苦行も、少しも苦じゃなかったんです! ヒアデス様のためなら私は命もお金も加護も、いくらでも差し出せますから!!」
「…………き、貴様っ!?」
「私の愛の重さを舐めないでください! ヒアデス様との結婚を認めてくださらないのなら、この命を懸け刺し違える覚悟であなたを倒してみせます!!」
緑色の痛ローブをはためかせるラリルは杖を構えた。
ラリルの目は本気だ。
数多の戦場を経験してきた辺境伯にはその覚悟がよく分かる。
だからこそ辺境伯は、ワナワナと震えていた。
「こんの…………アホタレがぁ!!!」
ぐわっと闘気を放出し、辺境伯は力の限り叫ぶ。
「最初からそう言わんかいぃ!!!」
「……ん?」
「それほどまでに殿下が好きなら好きと言えばいいものを! 無理だなんだとはぐらかしおってからに! いくらヒアデス殿下が貴様を望んでおっても、貴様のふざけた態度と素っ気なさが気に食わんかったのだ!!」
「えっと……?」
「夫婦とは相思相愛、命を懸け互いに愛し合わねばならぬっ! それを貴様の態度ときたら、あれだけ殿下が甲斐甲斐しく世話を焼いておられるというのに、無理だ嫌だと泣き喚いて逃げようとしおって! 殿下ばかりがゾッコン状態。これは殿下を王位から引き摺り下ろしたい何者かの陰謀で送り込まれた曲者が、殿下を妖しい術で籠絡したと勘違いしたではないか!」
肩で息をする辺境伯の言葉をゆっくりと理解したラリルは、なるほどと手を叩いた。
「……じゃあ、ただの誤解だったということで。私とヒアデス様の結婚を認めてくださるのですね!」
「ふん。……二人が真に愛し合っているのならば、引き離すはずがなかろう。国王陛下には私から二人の挙式を進めるよう進言しよう」
「ありがとうございます!!」
「礼には及ばん。わしはあくまでもヒアデス殿下のお幸せを願うのみ。たが……どうしても礼をしたいと言うのであれば、そこにあるヒアデス殿下の姿絵をわしにも譲ってくれんか?」
辺境伯が咳払いしながら指したのはヒアデスのポスターだった。
「え、普通に嫌です」
「き、貴様〜! そこへなおれーっ!!!」
「嫌です! 八つ裂きにされても私のヒアデス様は渡しませんから!」
秘蔵のヒアデスグッズを死守するため、ラリルは辺境伯と真っ向からやり合ったのだった。
「ヒアデス様〜! やりましたよ〜!! プレアデス辺境伯を説得できました!」
「ああ、ご苦労だったね」
「シャウラから話を聞いて、夫婦の愛を重視する辺境伯なら私がどれほどヒアデス様を愛しているか証明すれば結婚を認めてくれると思ったんです。作戦通りでした!」
「そうか。よくやった」
大好きなヒアデスから頭を撫でられたラリルは、微笑む唇が視界に入り身を硬くする。
「……っ!!」
「おや、ラリル? 急にどうしたんだい? なんでそんなに顔が赤いのかな?」
「い、いえ! ちょっと、ふしだらな夢を思い出したと言いますか、その、あの……」
「私の唇を凝視して。エッチなことでも考えていたのかい?」
「ぴやあぁぁあああっっっ!!」
鼻血を吹き出して倒れたラリルを笑顔で受け止めたヒアデスは、晴れやかな表情のままプレアデス辺境伯を見た。
「見たかな、辺境伯。ラリルはこの通り照れ屋さんでね。私のことが好きすぎてよく失神するんだよ。可愛いだろう?」
楽しげなヒアデスを見る辺境伯は、やれやれと呆れたように首を振る。
「まったく。殿下を手玉に取る悪しき魔女かと思いきや、ただの愛の重い痴女であったか。ヒアデス殿下。わしは殿下の愛と選択を尊重いたします。この先は、殿下が王位を託してもいいと認めた相手を次期国王として支持すると誓います」
頭を下げた辺境伯は、若い二人を邪魔するまいと早々に場を辞した。
「これはまた……随分と私に都合のいい展開だ。これも君の加護のおかげかな、ラリル」
腕の中でぐったりとするラリルの唇をなぞり、ヒアデスはニンマリと微笑んだ。
◇
プレアデス辺境伯にも認められ、式の準備を進めていたある夜のこと。
「ヒアデス! いるか?」
いつものようにラリルの部屋でくつろいでいたヒアデスは、閉店後の店内に響く声を聞き一階へと降りた。
「……なぜ兄上が、このような場所にいらっしゃるのです?」
「ヒアデス兄上! 私もおりますよ」
「ゾズマまで……」
長年ライバル関係にあった兄と弟が、酒瓶を片手に薄暗い店内に立っていた。




