23.ラブラブ作戦
「困ったな」
ラリルの部屋に戻ったヒアデスは、ラリルとイベリコ、アインがいる前で悩ましげに溜め息を吐いていた。
「辺境伯のあの様子。本気だと思いますが、どうなさるおつもりですか?」
心配そうにアインが問うと、億劫そうなヒアデスは気怠げに天を仰いだ。
「どうしたものか……。辺境伯が戦場から戻る前に式を済ませてしまおうと思っていたのだが、考えが甘かったらしい。まさか手紙を読むなりすっ飛んでくるとは」
「テンションの高い物騒なおじいちゃんでしたね」
「すごい勢いだったでちゅ!」
「ああ見えて我が国の国境を長年守護している英雄だ。あれくらいのエネルギーがなければ辺境伯は務まらないのだろう」
やれやれと首を振ったヒアデスは心底面倒くさそうな顔をしていた。
「私だってあそこまで熱心に王位を望まれると分かっていたら、もう少し程よく気に入られるように調整していたものを……」
「多分きっかけは私の幸運の加護だと思うんですが、いったい何をしてあんなに辺境伯から激推しされるようになったんですか?」
「本当でちゅ。気に入るなんてレベルじゃなかったでちゅ! ご主人様とは違う意味でヒアデス様のことを崇拝してたでちゅ!」
不思議そうなラリルとイベリコを見たヒアデスは、辺境伯と縁ができた日のことを思い出しながら口を開く。
「半年ほど前のことだ。辺境伯の奥方は心優しい女性で、王都に来るたびに貧民街で施しを行うのがお決まりだった。あの日もいつも通り侍女と護衛を一人ずつ連れて貧民街へ訪れたらしい。熱い夏の日だったな……」
「熱中症患者が多く出た猛暑日でした。貧民街でも倒れる者が続出していたとか」
「アインの言う通り。夫人は同行していた侍女と護衛に倒れた貧民達の介抱を命じたそうだ。しかし、二人が離れた一瞬の隙に持病の発作を起こし自身も倒れてしまった。高貴な格好は貧民街では目立つ。質素な服で貧民に変装していた夫人は、誰に助けられることもなく素通りされた。そこへ幸運にも偶然通りかかったのが私というわけだ」
「なるほどでちゅ! ヒアデス様が辺境伯夫人を助けたんでちゅね! やっぱりヒアデス様はお優しい人なんでちゅ!!」
声を弾ませたイベリコがヒアデスに尊敬の眼差しを向けるも、小さなハムスターのキラキラ輝く視線に苦笑を浮かべたヒアデスは肩をすくめた。
「少し違うな。私は初めから、倒れている老婦人が高位の貴婦人であると見抜いて恩を売ろうと思い、手を差し伸べたんだ」
「へ?」
「ヒアデス様は辺境伯夫人のお顔を知っていたんですか?」
「いや。だが、ひと目見てピンときた。服装は質素なものだったが、手だけが違ったからね。シミひとつない、年齢の割に美しい手。水仕事などしてこなかったであろうその手を見て、この老婦人は貴族のご夫人だと直感したんだ」
「おお……! さすがヒアデス様、目ざといですね! そんなところも大好きです!」
目をハートにするラリルを見て微笑んだヒアデスは、大したことでもないと手を振った。
「まぁね。つまり、最初からどこぞの貴族に恩を売る好機だと打算ありきで助けたんだよ。それを辺境伯は、貧民の老婆にさえ慈悲を施す聖者そのものだと涙を流しながら感激してね……。私が介抱しなければ辺境伯夫人は命を落としていたかもしれないと医者が言うものだから、余計に感謝されてしまったんだよ」
当然ながら、辺境伯の勘違いを計算高いヒアデスが敢えて訂正するはずもなく。
熱血辺境伯から熱烈に崇拝され、今に至るというわけだ。
「辺境伯は今、どちらへ?」
「父上へ挨拶に行った。おそらく今頃は父上に結婚取り消しを進言しているだろうな」
ヒアデスの答えを聞いたアインは顎に手を当てて考え込む。
「厄介なことになりましたね……。国王陛下のことです。プレアデス辺境伯の言いなりになるのは目に見えています」
「そうだな。ここはどうにか辺境伯を説得して結婚を認めさせるしかない。式を強行してあとからトラブルになるのは避けたいからね」
立ち上がったヒアデスは他人事のようにポカンとしているラリルへと、美しい笑みを浮かべながら手を差し出した。
「ということで、ラリル」
「ほへ?」
「ラブラブ作戦といこうじゃないか」
推しに手を差し出されて思わず手を重ねてしまったラリルが後悔するのは、数時間後のことだった。
◇
「ほら、ラリル。口を開けて……?」
「無理ですっ! 無理!! 絶対に無理ぃ〜!」
ヒアデスの膝に乗せられたラリルは、ヒアデスから〝あーん〟をされる苦行を受けていた。
「いい子だから、食べてごらん?」
野良猫に話しかけるような猫撫で声でラリルに囁くヒアデスは、どこからどう見てもこの状況を楽しんでいる。
「ひょええぇぇええ!! 近いっ! いい声! いい匂い! 無理! 無理ぃ!!」
ジタバタと暴れるラリルを強い力で押さえるヒアデス。
「お願いですから、もう下ろしてください! 私のような下等生物なんかがヒアデス様のお膝に乗ってるなんて無理よりの無理!!」
ヒアデスとラリルの向かい側に座っていた辺境伯は、ワナワナと震えていた。
「これはどういうことですか、ヒアデス殿下! 殿下からお食事のお誘いを受けて喜び勇んで参上したというのに、なぜこの魔女が同席しておるのです!?」
「なぜも何も、私はラリルとの仲を認めてもらいたくて呼んだんだ。私達のラブラブぶりを見てもらおうと思って」
悪びれもせずにそう言うヒアデスは、ラリルの顔を引き寄せて頭をくっつけた。
「こんなに愛し合っているのだから、結婚を認めてくれ」
「ほにゃああぁぁ!! ヒアデス様の頭が! 近い! 死ぬぅ! 死んじゃう!!」
「何を言っているんだい? 照れているのかな? 結婚する仲なのだから、これくらい日常茶飯事だろう?」
「ひぇえ!? やっぱり結婚なんて無理ぃ!!」
ヒアデスに頬擦りされてしまったラリルは白目を剥いて叫び声を上げていた。
辺境伯の我慢が限界を迎える。
「いい加減になされよ!!」
バシンッと割れる勢いで叩かれたテーブルの音に、さすがのヒアデスとラリルもビクリと固まった。
「この魔女のどこが、殿下に相応しいのかっ!!? 無礼で卑屈、変態的な言動の数々! かと思えば殿下の好意を無理無理と無下にする厚顔無恥! それに先ほどから聞いておればなんなのか!? 顔を近づけただけで死ぬだと!? 結婚は無理!? そのような態度で殿下と添い遂げることができるわけなかろう! 覚悟もなく殿下の未来を奪おうなど笑止千万! その程度の想いで何が〝愛〟か!! 身の程知らずにも程がある! 片腹痛いわ!!」
「……っ!」
「何もそこまで言わなくとも……」
「これも殿下の御ためなればこそ!」
唾を撒き散らしながら力説する辺境伯の圧は空気がビリビリと揺れるほどで、ヒアデスもラリルも口を挟むことさえできなかった。
跪いた辺境伯は、ヒアデスの手を取り真剣な目をする。
「ヒアデス殿下。どうか口煩い爺の戯言と聞き流されませぬよう、わしの言葉をお心に留めてくだされ。殿下のようなお人こそがこの国の支配者には相応しいのです! 殿下と添い遂げる覚悟も持たぬ中途半端な魔女なんぞに人生を台無しにされていいはずがありませぬ!!」
辺境伯が頭を冷やすために王都中を走ってくると言って出て行くと、ひっそりと様子を見ていたアインがイベリコを肩に乗せて姿を現す。
「主君……作戦は失敗でしょうか」
「逆効果だったな。私としてはイチャついているつもりだったんだが……。まったく、どうしたものか。推されるというのも楽ではないな」
「そこの魔女とは違った意味で狂信的なお方ですね」
「あのゴリ推し、ご主人様といい勝負でちゅ!」
「…………」
呆れるアインとイベリコの言葉に頭を抱えたヒアデスは、ふと違和感に気づく。
「ラリル? どうしたんだい?」
「……いえ。なんでもありません」
「?」
いつになく大人しいラリルの様子が気になったものの、目先の問題を解決しなければいけないヒアデスがそれ以上何かを聞くことはなかった。




