22.指ハート
「ヒアデス殿下ーーーー!!!!」
その日、ラリルの部屋でいつも通り寛いでいたヒアデスは、耳をつんざくような怒号を聞いた。
なんだかあまり聞きたくない声だなぁと思いながら外に出たヒアデスは、想像通りの人物が狭い路地に仁王立ちしているのを見て頭を抱えたくなった。
「主君! 危険ですのでお下がりを!」
咄嗟に前に出たアインだが、呆れた面持ちのヒアデスはゆっくりと首を横に振る。
「問題ない。ただのプレアデス辺境伯だ。私に危害を加えることはないだろう。問題は……」
「な、なにごとですか? ヒアデス様、ご無事ですか!? え、誰??」
ヒアデスを追って慌てて店から出てきたラリルの姿が目に入った瞬間、プレアデス辺境伯は剣を振りかざす。
「貴様かー! 我が麗しの殿下を惑わせし魔女はー!!」
「ヒィッ! なになになになにー???」
情け容赦のない辺境伯の剣の切先が喉元を掠めそうになり、慌てたラリルは咄嗟に魔法で防御壁を張った。
「姑息な! 防御魔法を使うとは! 魔女の分際でわしに勝てるとでも思うたか!? これでも喰らわんかい!!」
「ひぇー! なにこの人、強すぎるんですけど!!? 恐い〜!!」
ラリルが張った防御壁は辺境伯の強力な一振りで粉々になり、冷たい光を放つ剣がラリルの首に突きつけられる。
さすがにこれはまずいと思ったヒアデスは、ラリルの前に立ち塞がり辺境伯を宥めた。
「そこまでだ、辺境伯。私の婚約者をあまりいじめないでくれないか」
「い、いじめるなんてレベルじゃないでちゅ! ほ、本気で殺す気だったでちゅ!」
ラリルの肩でガタガタと震えるイベリコが悲鳴を上げるも、辺境伯はギラついた瞳でラリルとイベリコを威圧的に見下ろす。
「黙れ魔女の使い魔ごときが! 魔女諸共八つ裂きにしてくれる!」
「やめてくれと言っているだろう。彼女達は私にとって大切な者達なんだよ」
「ヒアデス殿下! いったい何があったのでございますかっ!? このような魔女と結婚するために王位継承権を捨てるなどおぉぉっ!! 驚きのあまり、お手紙を拝読し戦場からすっ飛んできてしまいましたわいぃ!!」
「……相変わらず熱苦しいな」
聞こえないように小さく呟いたヒアデスは、息を吐いてから笑顔を作った。
「説明するから一旦剣を納めてくれないかな? こんな街中で物騒なものを振り回すべきではないだろう?」
言われて初めて周囲を見回した辺境伯は、ラリルの店から覗いていたオタク令嬢達の怯えた視線に気づいて静かに剣を下ろした。
「わしとしたことが、少々熱くなりすぎたようでございます。殿下にお見苦しいところをお見せしてしまいました! このとおり! お詫び申し上げまするっ!!」
「いちいち大袈裟にしなくていいんだよ。とにかく……場所を移そうか」
土下座しようとした辺境伯を慌てて止めたヒアデスは、辺境伯とラリルを連れて近くのカフェに入った。
敢えて人目のあるところを選ぶことで、辺境伯が剣を振り回すのを避けるためだ。
「して、この魔女はいかなる術をもってヒアデス殿下を誘惑したのですか!?」
人差し指でラリルを指しながら、辺境伯は大きな声で問いかける。
「誘惑も何も、私から頼み込んで結婚を承諾してもらったんだよ」
あくまでも嘘は言っていないヒアデス。
「なんと!? どうかお考え直しくだされ! あなた様は国王の器! この国を導く賢君となられるお方です! このような魔女なんぞのために継承権を放棄するなど言語道断!」
「悪いが私は何があっても国王になる気はない。静かに暮らしたいんだ。……私を支持してくれている辺境伯には申し訳ないが」
運ばれてきた茶に口をつけたヒアデスは、冷静に言葉を選びながら告げた。
しかし、辺境伯は少しも納得していないようだった。
「わしは……、わしは認めませぬぞ! やっとこさ見つけた仕えるに値するお方を玉座へと推し上げる夢を、そう易々と手放すことなどできませぬ! どうかお考え直しを! 我が君主としてこの国の頂点に立つのです!!」
涙ながらに訴える辺境伯を横目に、ラリルは空気を読まず手を挙げる。
「あのー……。私はそろそろグッズ制作に戻ってもいいですか? ゾズマのアクスタが売り切れそうなんです」
「ああ、中断させてすまないね。戻っていいよ」
「ヒアデス様のためならどんなことでも喜んで! 今日も眩しいほど光り輝くヒアデス様、BIG LOVEです! 死ぬほど愛してます〜!!」
徹夜続きでテンションのおかしいラリルは、愛を叫びながらヒアデスに指ハートを送りまくった。
「ああ、私も愛しているよ」
イベリコからあの謎のポーズが愛を送るポーズだと聞いていたヒアデスは、ラリルに向けて笑顔で指ハートを返してあげる。
「ふひゃああぁ!! ファンサがすぎますー! 笑顔が眩しすぎるぅー! 指の先まで美しすぎるぅー! 元気百倍!!! 今のファンサ、いくら課金すればいいですか!?」
「課金はいいから、戻って働いてくれ。……いや、その前に少し休んだらどうだい?」
「承知いたしました! ヒアデス様の祭壇に祈りを捧げてから仕事に戻ります!」
寝不足でいつにも増して様子のおかしいラリルを気遣ったヒアデスだが、何も分かっていないラリルは敬礼をしてその場をあとにした。
「な、なんなのですか、あの態度は!?」
頬杖を突いて口角を上げながらラリルの後ろ姿を見送っていたヒアデスは、ワナワナと震えながら声を上げる辺境伯に気づき顔を戻す。
「ん? ああ、可愛いだろう? 私のことが好きすぎて他のことは眼中にないんだよ」
「おいたわしや、殿下。……あのような魔女に誑かされるなど!」
本気で泣き出した辺境伯は、般若のような顔を上げて宣言した。
「このアトラス・プレアデス! 命に変えても殿下の結婚を阻止してみせまする!!」




