18.嫉妬
「…………」
ラリルの視線の先にあるのが自分ではなく、腹違いの兄。
キラキラとは少し違う、ギラギラした瞳をいつも自分に向けてくるラリルが、こちらに一瞥もなく兄の姿を目に焼き付けている。
そのことがどうしようもないほど不愉快に感じるヒアデスは、なんとしてもラリルを振り向かせたくて堪らなくなった。
「ラリル」
「はい?」
「その作業は、そんなに重要なのかな?」
「はい。私の魔法って、ヒアデス様のグッズ作りにばかり特化したせいで他のことに使おうとするとすごく効率が悪いんです。この魔法も、私の記憶の中のヒアデス様を紙に転写したくて開発したやつなんで、ブラキウムの姿を転写するには一度細部まで記憶しないといけなくて……」
「ふぅん?」
「あの、ヒアデス様……?」
「ん?」
「な、なんだかやたらといい匂いがするというか。まさかとは思うのですが、もしかしてものすごく近くにいらっしゃったりします……?」
ブラキウムの肖像画から目を離すことなく話していたラリルだが、この世の何よりも芳しいヒアデスの香りが鼻をかすめて集中力が切れてしまった。
さらにはヒアデスの声が至近距離から聞こえる気がして、おそるおそる顔を上げる。
「……ふぉおああぁあ!?」
近いどころかラリルの背中に覆い被さるようにして肩越しに手元を覗き込んでいたヒアデスは、息のかかる距離で奇声を発したラリルに苦笑を向けた。
「鼓膜が破れるかと思ったよ」
「近い! 近いです! 距離感おかしいぃ!」
「ただ見ていただけだ。気にせず作業をしたらいいさ」
「ま、眩しい! 今日も最高に眩しい! 神? え? 神なの???」
パニックに陥り両目を覆う憐れなラリルの背後から抱え込むように手を伸ばし、ヒアデスはラリルの両手に手を重ねた。
「ほら、目を開けて。もっと集中しなきゃだろう?」
「ふひぃっ」
推しに手を取られ、顔から両手を引き剥がされたラリルは硬直する。
その隙にラリルの目元を指でなぞったヒアデスは、低い声で直接吹き込むようにラリルの耳元で囁いた。
「あぁ、またこんなにクマを作って。私のために徹夜をしてくれたんだね」
「ひょえぃっ!」
咄嗟に手で耳を覆ったラリルの隙だらけの腰をがっしりと掴んだヒアデスは、ラリルの横に腰掛けながらさらに囁く。
「座りっぱなしで疲れたんじゃないか? 私の膝に乗せてあげようか?」
「は!? 無理! 無理ぃ! やめてえぇぇ!」
自分の膝に乗せようとラリルの腰を引っ張るヒアデス。
推しに引き寄せられながら逃げようともがくラリルは、机にしがみついて必死に抵抗した。
攻防の末、肩で息をしながら推しの膝に乗るという苦行を回避したラリルは震える声で抗議する。
「ハァ、ハァ、……急になんなのですか!? 私を殺す気なんですか!?」
「君に死なれては困ると何度も言っているだろう? 私なりに応援してあげているんだよ」
「いや、拷問の間違いですよね!? 本気で心臓が止まるかと……はっ! ブラキウムの顔が記憶から吹っ飛びました。どうしてくれるんですか! また覚え直しですよ!? ただでさえヒアデス様フォルダでいっぱいの貴重な脳内スペースをブラキウムなんぞのために空けなきゃいけないのに、ヒアデス様を拝む時間をこれ以上浪費するなんて耐えられません!!」
「いくらでも覚え直せばいいじゃないか。たくさん応援してあげるよ」
「あの。まさかとは思うんですけど、……先ほどから邪魔してるんですか?」
「おっと、バレてしまったか」
「ひどい! ヒアデス様のために貢ごうと必死な私をからかうだなんて! 鬼畜! でもそんなところも好きぃー!!」
足をバタバタさせて悶えるラリルは相変わらずの支離滅裂にして情緒不安定だが、ヒアデスはこの上なく満足そうだった。
「ブラキウムのグッズを作る時間があれば、一秒でも長くヒアデス様のご尊顔を拝んでいたいのにぃ……」
嘆くラリルを見ていたヒアデスは、あることを思いつく。
「この際だ。私のグッズも作って売ればいいのでは? 売り上げにもなるだろうし、君は私のグッズを思う存分作成できて一石二鳥だろう?」
名案だとばかりに笑顔を向けるヒアデスだが、顔を上げたラリルは真顔だった。
「は? 普通に無理ですけど」
「……なぜだい?」
笑顔が固まるヒアデス。
「だって、ヒアデス様のグッズを売るなんて! 私の愛しいヒアデス様グッズが他人に買われていく姿なんて、想像しただけで涙が出ますっ!! ヒアデス様のグッズを他人に渡すくらいなら命を差し出すほうがマシです!!!」
「…………そうか」
「絶対に売りませんからね! 何があっても、いくら積まれても! 私のヒアデス様グッズは私だけのものです! 誰にも渡しません!!」
断固拒否の姿勢を崩さないラリルを見て嬉しそうなヒアデスは、宥めるように穏やかな声を出す。
「分かったよ。それにしても、シャウラ嬢は兄上のグッズを売って多くの令嬢に広めたいと言っていたが、同じオタクでも君とは違うんだね」
「シャウラは布教したいタイプのオタクなんですよ。でも私は同担拒否なので、布教なんて論外です」
「同担拒否とは?」
「私以外にヒアデス様を推している奴がこの世にいると思うと憎くて憎くて仕方なくてマウントを取って私の思いの深さを見せつけ地獄の底に突き落としてやりたくなるんです!」
「……ふ。ふははっ」
とうとう堪え切れずに吹き出したヒアデスは思わず呟いていた。
「嫉妬深いんだなぁ、君は。……可愛いな」
「か、可愛い!? 私が!? 目は大丈夫ですか!? 医者を呼びますか!?」
「……なんでアインと同じ反応をするかなぁ。まあ、今はいいさ。ほら、兄上の顔を頑張って記憶しなきゃなのだろう? 応援してあげるからおいで」
「ちょ、なんで引っ張るんですか! 膝は無理です! 推しの膝は絶対に無理ぃぃい!!」
二人のやり取りを見ていたイベリコは、同じく隅で佇むアインを見上げた。
「アイン、あっちに行くでちゅ。ご主人様のイチャイチャシーンなんて見ていられないでちゅ」
「……同感だ」