17.不安
「あなたが私に話があるだなんて、珍しいこともあるものだわ。結婚式の準備は順調だから安心してちょうだいね。今さらやめるだなんて何があっても絶対に許しませんからね」
ヒアデスの要請を受けた王妃デネボラは、表面上はにこやかに義理の息子を牽制していた。
「ありがとうございます。婚約者とは良好な関係を築いておりますので、ご心配には及びません」
「それは大いに結構ですこと。絶対にあの魔女を離してはダメよ。二人はとてもお似合いなんだから、末永く幸せでいてもらわないと。それで、結婚の件でないのなら話とはいったい何かしら?」
「実は、私の婚約者に兄上の婚約者であるシャウラ・エスカマリ公爵令嬢が接触いたしまして」
「なんですって!? エスカマリ家の小娘がいったい、あなたの婚約者になんの用なの!?」
思った通り、ライバル関係にある第一王子ブラキウムの婚約者シャウラの名前を出した途端にデネボラは顔を顰めて身を乗り出した。
ヒアデスは上がる口角を隠すことなく、シャウラがラリルに依頼した内容を話して聞かせる。
「ブラキウムの宣伝グッズ……ですって? それをシャウラが依頼したというの? ブラキウムの支持率向上のため? あなたの婚約者であるあの魔女に?」
「はい」
「ダメよ! あなたが王位継承戦を降りてからはブラキウムとゾズマの一騎打ち。先手を打たれてたまるものですか! そんなものを売られてブラキウムの評判が上がったらどうしてくれるの! 今すぐ制作を中止させなさい!」
慌てるデネボラの言葉は想定内だったヒアデスは、わざとらしく困ったように眉を下げてみせた。
「しかし、我々も相応の報酬をご提示いただいているのでお断りするのは難しいのです。されど私としては兄上にばかり便宜を図るのも心苦しく、義理を通そうとこうして義母上へご報告に伺ったしだいです」
「何が義理よ! 使えないわね! いいわ、私がなんとしても阻止をして……」
椅子から立ち上がろうとしたデネボラに対して、ヒアデスは即座に語りかける。
「そこでご提案なのですが、この際です。ゾズマのグッズも一緒に制作するというのはいかがでしょうか」
「な、なんですって?」
狼狽えて動きを止めたデネボラに向けてヒアデスはにこやかに説明を始めた。
「シャウラ嬢は多額の出資をしてくださいました。収益も全てこちら側にくださるとお約束いただいております。さらに上乗せで出来高報酬までいただけるとか。義母上が同じ条件でゾズマの宣伝グッズを出したいとお考えなら、私からラリルに掛け合いましょう」
「それは……金を出せば、ゾズマのグッズも同様に制作するということね? 破格の条件ではあるけれど……」
ギリリと持っていた扇子を握り締めたデネボラは、自分の息子の邪魔をする憎き第一王子ブラキウムの顔を思い出しながら歯を食いしばる。
「ブラキウム側がそうしたのなら、こちらもそうしないと格好がつかないわ。いいでしょう。金ならいくらでも出します。ブラキウムなんぞに負けないよう、立派なゾズマのグッズを作るようにあなたの婚約者にしっかり言い含んでちょうだい!」
「お任せを」
頭を下げたヒアデスの脳内には、チャリンチャリンと大量の金貨が降ってくる音がしていた。
自室に戻り静かになったところで、ヒアデスの従者アインが主人の前に姿を現す。
「主君……ここまでやる必要があったのですか? 継承権放棄が確実になったとはいえ、今はまだ第一王子や王妃をあまり刺激しないほうが……」
「いいじゃないか。これで私は何もせずに懐が潤う。この事業が成功しようと失敗しようと多額の資金が入ってくるのだから。うまくいけば金脈に並ぶ財源になる可能性もある。それに……」
ソファに腰掛け長い脚を組んだヒアデスは、ニンマリと目を細めた。
「今回の件はブラキウムとゾズマのグッズ、どちらのほうが売れるのか。つまり、どちらがより国民に人気があるのか見極める一つの指標になるかもしれない」
「と、言いますと?」
「兄と弟。今後どちらにつくべきか。王位に就く可能性の高い者を見極めることができれば、何かと便利だろう?」
「そのためにあの魔女を利用するということですね?」
「そういうことになるな。私のためにせっせと働いてくれるとは、ラリルはどこまでも可愛い子だよ」
「…………」
楽しげに頬杖を突くヒアデスだが、アインの顔には不安が浮かんでいた。
「どうしたんだ?」
腹心の様子に気づいたヒアデスが問いかけると、アインは思い詰めたように顔を上げる。
「先日のお言葉は、主君の本心なのでしょうか?」
「……なんのことかな?」
「あの魔女を、その……可愛いだとか、悪くない気分だとか。主君に限ってあり得ないとは思いますが、まさかあの魔女に心を奪われるというようなことは……」
深刻な様子のアインが気になっていたヒアデスだが、話の内容を聞くなり不敵な笑みを浮かべていた。
「さあ、どうだろうか?」
「主君!」
「お前が何を心配しているのかは分かる気がしないでもないが、あれだけ私に従順な女が裏切るとでも? どうせ結婚するのだから、少しくらい可愛がってあげてもいいだろう?」
軽い調子で言ってのけるヒアデス。
一見するといつも通りの姿ではあるものの、その表情はどこか浮かれているように見えなくもない。
ヒアデスに絶対的な忠誠を誓うアインは、これまでにないヒアデスの様子が不安でならなかった。
「……あまりお心を傾けすぎるのはよろしくないかと。あんな魔女に気を取られ、いざという時に誤ったご判断をされないか。僕は主君のことが心配なのです」
「分かっているさ。別にそこまで後戻りできないほどではない。ちょっと興味が湧いた程度だ。心配は無用だよ」
手で合図を送りアインを下がらせたヒアデスは、ワイングラスを片手に独りごちた。
「……今のところは、だけどね」
◇
「ラリル。作業は順調かな?」
「うーん……滞ってます」
アインを引き連れてラリルの店を訪れたヒアデスはどことなく違和感を覚えた。
机に向かい何かを熱心に見ているラリルはヒアデスが来たというのに顔も上げない。
「……?」
普段はヒアデスが入ってくると奇声を上げて鼻血まで出すというのに、この静けさはなんなのか。
真剣なラリルの横顔がなんだか面白くないヒアデスは、ズカズカと店内に入り込んでラリルの前に立った。
それでもラリルは顔すら上げない。
ヒアデスがいるというのにラリルがここまで静かなのは出会ってから初めてのことだった。
「……何をしているんだい?」
「アクスタ制作のためにブラキウムの姿を転写しようと頑張っているんです。一回自分の頭に記憶しなきゃいけないのが大変で……」
「なるほど……?」
例のグッズ制作のためかと安堵したヒアデスだが、ラリルの手元を覗き込んで動きを止める。
ラリルがヒアデスには目もくれず一心に視線を向けるその先には、勝ち誇ったように笑うブラキウムの肖像画があった。
ピクリ、と。
ヒアデスの笑顔が凍りつく。