12.想定外
ラリルの奇行が人目につくのを避けるため、そしてラリルの鼻血が治るのを待つ意味でも一行は馬車に乗っていた。
「ご主人様、大丈夫でちゅか?」
「うん、ありがと」
イベリコに介抱され気合いで鼻血を止めたラリルは、このままでは出血多量で命が危ないと大きく息を吸って目の前のヒアデスに顔を向けた。
「あの! やっぱり私には荷が重いと言いますか! たとえ王位継承権放棄のための偽装であっても、ヒアデス様の結婚相手なんて私のような魔女には分不相応です!」
「今さら何を言い出すんだい? 君以外に相応しい者がいるとでも?」
「貴族以外なら平民とかでも……」
「はあ。分かっていないんだねぇ、君は」
呆れたような溜め息を吐いたヒアデスは、能天気な顔のラリルに鋭い目を向けた。
「父上も言っていただろう。平民が相手ならば養子縁組という手がある。私と縁が欲しい貴族は喜んで相手を養子にするだろう。しかし、魔女なら話は別だ。簡単に養子縁組できる平民とは違い、魔女を戸籍に入れるには煩雑な手続きがいる上に、普通の貴族家であれば気味の悪い魔女を家門に入れる不名誉は避けたいと思うだろう」
「で、でも、探せば私よりもマシな魔女がもっといるかも……」
「じゃあ適当に相手を見繕うのかい? その魔女とどうやって取引をするんだい? 金で雇うのか? 金で結んだ関係なんて、金でいくらでも壊すことができる。その魔女が私を裏切って寝首を掻いてきたら? そんな危うい橋を、私が渡るわけないだろう?」
「た、確かに……。あれ?」
ヒアデスに理詰めで言い含められたラリルは、ある疑問を抱いて首を傾げた。
「じゃあ、どうして私を……?」
「君が私を好いてくれているからだよ」
「ふえ……?」
「この世に金に勝るものがあるとすれば、それは愛と恩義と憎しみくらいだと私は思っている」
前世のラリルがアニメで見て一目惚れした時のように、静かに話すヒアデスは後光がさすほど輝いていた。
言葉を失うラリルに向けて、ヒアデスの薄い唇がフッと笑みの形に歪む。
「君は私を金で裏切ったりしないだろう?」
「いくら積まれようとも絶対にあり得ません! むしろ私の全財産をヒアデス様に差し出します! 私のものはヒアデス様のもの! ヒアデス様のものはヒアデス様のものです!!」
反射的に答えたラリルは大真面目な顔で、その声の大きさにも言葉の重みにもヒアデスは笑いを堪えることができなかった。
「はははっ! こんなに愛が重いんじゃ、君は絶対に私を裏切らないな。私の目は確かなんだよ」
ご満悦なヒアデスは、ついでとばかりにイタズラな目を光らせた。
「というか。そもそも君は、私がどこぞの女と結婚しても耐えられるのか?」
「え。普通に無理ですけど」
被せ気味の即答をしたラリルは、真顔でどこからともなく禍々しいオーラを放つ髑髏と蝋燭を取り出した。
「その時は日々研鑽している黒魔術でその女を呪殺して地獄行きに処します」
「まったく。そんなんでよく他の相手を探せだなんて言えたものだな。……くくく」
笑いが止まらないヒアデス。
からかわれていたのだと思い至り、ラリルは恥ずかしそうに髑髏と蝋燭をしまった。
「コホン。……分かりました。確かにこの役を演じるのは私が一番安心安全ですね。たとえ推しの供給過多でこの身が爆ぜようとも、鼻血で失血死しようとも、ヒアデス様のご尊顔に尊死しようとも。必ずお役目を果たしてみせます!」
「相変わらず良い心がけだね」
目を細めるヒアデスは、目の前のオタクという未知の生き物にますます興味が湧いてきたようだった。
「はっ!!」
帰りの馬車に揺られていると、突然何かに反応したラリルが窓に手をつき齧り付くように外を見る。
「どうしたんだい?」
「……あの色、すごくいいなって。私のヒアデス様センサーが反応しました」
「センサー……?」
ラリルがバキバキに血走った目を向けているのは雑多な市場の片隅だった。
人も物も多すぎてどれのことを言っているのか分からなかったが、気になるものがあるならばとヒアデスは馬車を停めさせる。
簡素な露店が並ぶ中を迷うことなく一直線に進むラリルは、ガラスの工芸品を並べている店先で緑色のガラス玉がついたチョーカーを手に取った。
「うわぁ! 私でもこんなに完璧なヒアデス様の瞳の色を作り出せたことがないのに……! これ、どうやって作ったんですか!?」
問われた職人らしき店主は困ったように頭を掻く。
「どうやってったって、……余ったガラスの破片を適当に溶かして、たまたまできたやつなもんで。どうもこうもないんだけどねぇ」
「ふぉおお! まさに偶然の産物!? ここで出会えたのは運命、そして奇跡……!!」
ガラスを日に透かして目を輝かせるラリルは普段青白い頬を薔薇色に染めている。
「買ってあげるよ」
「えっ、いいんですか!?」
「ご褒美だ」
ラリルの背後から店主に代金を渡したヒアデスは、驚くラリルに向けて微笑んだ。
「これからも私のために馬車馬のごとく働くんだよ?」
かちゃりとヒアデス自らラリルの首に取り付けたチョーカーのガラス玉は、全身緑のラリルにこれでもかと似合っている。
「……まるで首輪でちゅ」
見ていたイベリコの小さな声はイベリコを肩に乗せているアインにしか聞こえていなかった。
「ほぁあぁあ……! 推しからのプレゼントッ! 一生外しません! 家宝にしますぅっっ!!! うっ、ひっく……ふぇ……っ、私、生きててよかったですぅ……!」
感激のあまり、ラリルは市場の真ん中で号泣する。
「何も泣かなくてもいいだろうに。よしよし」
情緒不安定極まりないラリルに慣れてきたヒアデスは、ドン引きし騒然となる周囲の視線など気にせずにラリルの頭に手を伸ばした。
優しい感触に驚いたラリルは涙でぐちゃぐちゃの顔でヒアデスを見上げる。
「今……」
「ん?」
信じられない思いで自分の頭に両手を伸ばすラリル。
「推しに頭ポンポンされたー!? 信じらんないっ!! もう一生頭を洗いませんっ!」
「いや、頭は洗ってほしいな」
至極真っ当なヒアデスのツッコミは、興奮するラリルには届かなかった。
ラリルを家に帰し、王宮に戻る馬車の中。
今日一日ヒアデスとラリルを静かに見守っていたアインは、迷いながら控えめに主人へと声をかけた。
「……主君。本当にあの魔女と結婚する気ですか?」
「ああ、もちろんだとも。あれほどの適任者はいないだろう?」
「しかし……いくらなんでもあんな変態女と結婚だなんて。継承権放棄のための策略とはいえ、ご自身を犠牲にしすぎではありませんか? 主君が不快な思いをされていないか心配です」
頬杖を突いて窓の外を見ていたヒアデスは、アインの言葉に笑みを漏らした。
「それが不思議なことに、不快どころかあの魔女がだんだん可愛く見えてきて困ってるんだ」
「はあ!? あの女のどこが!? もしや目に異常があるのでは!? 急いで医者を手配しましょう!」
本気で慌てるアインだが、窓に目を向けるヒアデスの横顔は穏やかだった。
「自分でもおかしい自覚はあるさ。だが……」
出会ってからのラリルの奇行の数々を思い出すヒアデス。
「どうにも悪くない気分なんだよ」
「主君……?」
ヒアデスのことを神のように崇め、ヒアデスの言うことは絶対で、何をしても何を言っても褒め称えてくる変な女。
どう考えても普通ではないというのに、ラリルから向けられる重くてドロドロとしていて粘ついた摩訶不思議な好意が、どこかクセになってくる。
今さらアレがなくなると思うと、寂しいような物足りないような気さえするからタチが悪い。
「あんな安物ガラスを家宝にするだって? 泣いて喜んで……不憫というか憐れというか。……ふっ。いったいどれだけ私のことが好きなんだ?」
安物を買い与えてやっただけなのに、号泣しながら見上げてくるラリルのぐちゃぐちゃの泣き顔。
思い出すだけで口角が上がってしまうヒアデスは、自分の中に芽生えつつある感情に苦笑を漏らした。
「あー、参ったな。……これは想定外だ」




