9.晩餐会
「いやはや、今宵は実に良い夜だ」
煌びやかな室内に豪華な食器が並ぶ中、国王は満面の笑みを浮かべていた。
長いテーブルには第一王子ブラキウムとその婚約者シャウラ、王妃デネボラと第三王子ゾズマが座っている。
「皆も聞いておると思うが、本日の晩餐会には特別な客人が来るらしい。なんとあのヒアデスが、同伴者を連れて来るそうだ」
ニコニコと楽しそうなのは国王だけで、他の四人は無言のままだった。
「王室晩餐会に同伴できるのは伴侶もしくは婚約者のみ。近頃のヒアデスの活躍ぶりには目を瞠るばかりだが、婚約者まで見つけるとは。我が息子ながら実にあっぱれだ!」
すっかりヒアデス贔屓になってしまった国王を前に王妃はわざとらしい咳払いをした。
「コホン。ですが陛下、第二王子がどんな令嬢を連れてくるのかまだ分かりませんわ。それに、婚約でしたらゾズマも候補者を選んでいるところですの。どうかゾズマのことも気にかけてやってくださいな」
王妃の刺すような冷たい声音に眉を上げた国王は、澄ました顔で座っている息子に目を向ける。
「婚約者を見繕うのもいいが、ゾズマにはもっと他に取り組ませるべきことがあるのではないか?」
「それはどういう……?」
「私が知らないとでも? アカデミーの入試で不正があったともっぱらの噂ではないか! 剣の腕は王国一だが、その分ゾズマは勉学を疎かにしすぎた。不正入学など王家の面汚しにも程がある!」
「あ、あれはただの噂ですわ! 確かにゾズマはほんの少しだけ頭の弱いところがございますけれど、やればできる子です! 不正だなんてそのようなこと……」
「ゾズマよ、本当に不正はなかったと言い切れるのか?」
「…………」
父から鋭い目を向けられたゾズマは無言で目を背けた。
嘘が吐けない性分の息子に頭を抱える国王は、深い深い溜め息を吐く。
「はあ……。それに比べてヒアデスはどうだ。ブラキウムには及ばなかったが、全科目でそこそこの成績を収めていたではないか。目立った才能もない中途半端な奴かと思いきや、手がけた事業をことごとく成功させ、あのプレアデス辺境伯のお墨付きを得ようとは。私の後継者にはヒアデスこそ相応しい」
父と王妃のやり取りを黙って聞いていたブラキウムは、聞き捨てならない言葉に声を荒げた。
「父上、お待ちください! ヒアデスの近頃の評判は、ただ運が良かっただけにすぎません!」
しかし、ブラキウムを見る国王の目には侮蔑が浮かんでいた。
「ふん。だとしても運も実力のうち。そして少なくともブラキウム、お前のように女性関連の醜聞が流れるような失態をヒアデスは犯さないであろうよ。婚約者がいるというのに浮気とは情けない」
「なっ!? あの噂は事実無根と申し上げたではありませんか!」
真っ赤になったブラキウムが慌てて否定するも、国王は息子の言葉を取り合わなかった。
「公爵令嬢を婚約者にしながら子爵令嬢ごときにうつつを抜かすとは。お前も王家の恥だ。優秀な第一王子として目をかけてやったというのに」
「国王陛下。お言葉ですが、婚約者の私が断言いたしますわ。ブラキウム様に限って、浮気などあり得ません! 私はブラキウム様を信じております!」
ブラキウムの代わりに隣に座るシャウラが声を上げると、国王は憐れむような目をシャウラに向けた。
「浮気されてもブラキウムを庇うとは……。これほどまでに献身的な女性を裏切るなんて、我が息子ながら嘆かわしい」
「父上! あんまりです、私は本当にシャウラを裏切ったことなどありません! あの噂は誰かが私を罠にはめようとデタラメを拡散したのです!」
「真相などどうでもいい。そのような隙を見せたお前の落ち度だ! 既に王位継承戦の勝者は決まったも同然。ヒアデスがどこの令嬢を連れてこようと私の考えは変わらぬ」
「ッ!」
悔しそうなブラキウムが口を閉じたところで、豪華な食卓の上には重い沈黙だけが広がった。
王妃もブラキウムも、もうすぐここへやってくるヒアデスへと憎悪を募らせている。
氷のような沈黙は長くは続かなかった。
「第二王子ヒアデス殿下とお連れ様がご到着されました」
侍従の声に、国王は満面の笑みを浮かべる。
「おお、来たか!」
居ても立っても居られないといった風情の国王が立ち上がると、従う他ない四人もイヤイヤ席を立ってヒアデスを出迎える姿勢をとる。
「待っておったぞ、ヒアデス!」
「遅くなり申し訳ありません、父上」
両手を広げる父のハグに笑顔で応えたヒアデスは、父の肩越しに恐ろしい殺気を向けてくる親族に向けてニヤリと口角を上げた。
「して、お前が紹介したいという令嬢は……」
ヒアデスから体を離し、その隣に立つ影へと目を向けた国王の動きが止まる。
「………………」
黙り込んだ国王は一瞬、目の前にいるのがいったい何か分からなかった。
ヒアデスの髪や瞳と同じ緑色のローブに身を包み、襟足だけが長い奇抜な黒髪はところどころが緑色に染まっている。
よく見るとローブにはエメラルドをあしらった刺繍でヒアデスの所属を示すマークがデカデカと施されている。
人間の女であることに間違いはなさそうだが、覇気のない青白い顔や目の下の色濃いクマも、耳にたくさんつけられたエメラルドのピアスも、緑色の爪も。
明らかに普通の女ではない。
何よりも得体の知れないこの女の肩には――――
「キャーー! ネズミーーーーっ!!」
国王がフリーズしている間に叫び声を上げたのは王妃だった。
「母上、落ち着いてください!」
「イヤよ! イヤッ! 食事の場にネズミがっ!!」
第三王子ゾズマが宥めようとするも、錯乱した王妃は絶叫するばかり。
そんな王妃へと、ラリルの肩の上にいたイベリコは前脚を組んで頰を膨らませる。
「失礼でちゅね! ワタチはネズミじゃなくてハムスターでちゅ!」
「ひっ! ネズミが、喋った……」
「母上! お気を確かにっ!」
倒れた王妃を受け止めたゾズマが必死に呼びかけるも、白目を剥いた王妃は痙攣しながら気を失ってしまった。
「この不気味な女はいったいなんなのだ!?」
国王が震える指をラリルに向けると、ヒアデスはこともなげに微笑んでラリルを抱き寄せる。
「ご紹介いたします。こちらは私の伴侶となる女性、魔女のラリル・ルルレです」