違法入国
正式に入国手続きができる冒険管理署を掻い潜って、違法入国することに成功した。元々人を殺しに入っているため、罪を重ねるのは今更だ。一同は中心区甘雨にやってきた。
甘雨はとても発達していた。高い建物が並び、モニターがついている建物だってある。乗り物、という車や電車が整備された道を走っている。空中を走る車だってある。アルザは目に映る全てが新鮮で、目の行き場に困らせていた。
ヤクモもアルザと同じ状況のようで、辺りを見渡したり右往左往したりと忙しない。反対にヤクモの背から降りたアサギは、懐かしむように辺りを見渡した。
「地図とかって買えるのかな…」
大きい都市で、地図がないとすぐに迷ってしまいそうだ。通行人は下を見ながら歩いている。何を見ているんだろう、と人の全体像を見ると、手に何かを持っている。その明るい画面?を見ているようだ。
「10年前と同じだったら、ここら辺に観光案内所があって地図を手に入れれるはず」
「その時の値段は?」
「え?…あー、ここでは地図は無料だから…」
「そんなことが…!?」
ありえない。聞いたことがない。ここの地図というのはそんなにも無価値な物なのか。
「いや、そういうのじゃなくて…観光客のために配ってるから。住民向けに無料にしてるわけじゃないんだよ」
「観光客向け…?金を搾取する古雨国は一体…」
「言うけど、冬春国にだけだからね、あの値段は。表は適正価格で貿易する国だよ」
そういえばそうだった…とアルザは頭の熱を冷まさせる。冬春国の常識は一般常識とは違う。
「アサギ、これか?」
いつの間にかいなくなっていたヤクモは観光案内所と書かれた建物から出てきた。手に紙を持っており、それを開いたり裏返したりして中身を見ている。
「そうそう。僕にはあんま必要ないからさ、二人で使いな。とりあえず、ホテルの予約しないとね」
「ほ、ほてる…??」
「宿ってことだよ。…そっか、いちいち説明しないといけないのか…」
アサギはちょっとめんどくさそうな表情になる。けれど、これはアルザやヤクモが悪いわけではなく、冬春国という国が悪いのをアサギはよくわかっていたため、強く言えなかった。
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ホテルというところで、部屋を予約した。予約する際、代表者の氏名を書く必要があった。幹部なため、アルザ、アサギ、ヤクモの名は知れ渡っているだろう。アサギはこういうのは適当でも案外バレない、と小声で言いながら、イシグと名前の段を一段下げただけの名前を書いた。
それから部屋の鍵というのを貰い、エレベーターとかいう最新技術の結晶を使って上に上がった。
部屋の扉を押してもガチャガチャしても開かず、アサギに助けを求めるとすんなりと開いた。部屋の中は、清潔感に満ち溢れた綺麗な部屋だった。大きなベッド、明るい照明、綺麗と感じさせる小物の数々。
「アルザ!!ベッドがふかふかだぞ!!」
うおおお!!と雄叫びを上げながらベッドにダイブしていたヤクモが叫ぶ。ヤクモがベッドに溶けていく。
「ていうか、アルザちゃんの部屋はここじゃなくて隣だよ。開け方とか閉め方とか教えた方がいい?」
「……お願い」
一瞬迷ったが、先程扉の開け方が分からなかったのが頭によぎった。
「おっけー。ヤクモ〜、そこで大人しくしててね〜」
そう言って、アサギとアルザは部屋から出た。すぐ隣にまた同じような扉があり、アサギに鍵の開け方と閉め方を教わった。
「こういう小物にも魔道具が使われてたり…?」
「いや?これは単に技術の話だよ。魔道具が使われてるのは、基本的に権能未所持者ができないことが多いよ。例えば…道中で空飛ぶ車見たでしょ?あれは魔道具がふんだんに使われてるよ」
確かにアルザも空を飛べない。
「それに、こんなちっちゃいのに高額な魔道具を使うのは利益が少ないよ」
確かに、とアルザは頷く。八大王国随一の先進国でも、魔道具をポンポン使うことはできないようだ。
「ま、そういうことで。荷物…は金しかないけど、置いたら新日学園に行こっか」
アサギはそういって部屋から出て行った。アルザは先程のヤクモと同じようにベッドへと溶け込んだ。
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新日学園前。三人は校門の前に来ていた。道中、意外と苦労した。ヤクモは職務質問を受け、アサギはナンパされまくった。それをかわしているうちに、夕方の時刻になってしまった。アルザは、ヤクモのように怪しいとも、アサギのように特段可愛いとも思われていないことを知ってしまい、テンションは下がり気味だ。
校門をくぐろうとすると、門番らしき人に止められた。下校時刻とやらも過ぎているだろうし、一人大人みたいなやつがいるならば止めない理由はないだろう。流石は国立というか、セキュリティはしっかりしているみたいだ。
クロからもらったチケットのようなものを見せると、門番はキッとこっちを鋭い眼光を向けた後、校門を開けてくれた。
「(やっぱめっちゃ嫌われてんね〜)」
分かっていたことだったが、こう目の当たりにすると気持ちは沈む。
三人は新日学園へと足を踏み入れた。
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地図からなんとなく分かっていたが、新日学園はとても大きな敷地を持っているようだ。目の前にある校舎は黒城と対して変わらないような気がする。他にも大きな建物がまばらに散っている。
「いや〜、10年前と変わってないね〜!やっぱ国立なだけあって、予算とかは考えなくていいんだろうね」
アサギは校舎の周りをうろうろし始める。25歳の男性が女の制服を着ながら校舎の周りをうろつく…明らかに不審者だ。見た目は完全に女子なのが救いようがあるだろう。
「アサギはここの卒業生なの?」
「大体ね!厳密に言えば卒業生というか、退学させられたんだけど」
在学中に追放されてしまったということだろう。
「場所が変わってなかったら、寮はあれだね」
校舎の次に大きそうな建物を指差した。同じ制服の人が出たり入ったりしている。
「よし、行こうか」
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寮206号室の前。
三人は扉の前にいた。カノは技能三つ持ちのため、生命反応が効く。それが今、反応している。ヤクモも同じことがわかるため、顔が緊張している。
ここに来る間に考えた作戦は、簡単に言えば一度真正面で戦ってみようだった。暗殺依頼だとか書かれていたような気がするが、ヤクモが暗殺なんてつまらないと言い出したせいでこうなっている。それにアサギも同調し出したせいで、アルザは折れてしまった。
アサギからまだー?という視線を感じる。ヤクモからも視線が痛い。
しょうがない。
バァンっと扉を開け、抜剣。
場所は分かっている。手に確かな感触が…
「『移転』!?」
焦ったような女の子の声。途端に確かだった感触が消えた。バッと周りを見渡してみれば、部屋の前に茶髪に桃色の瞳を持つ小さな少女が現れた。腕に微かな切り傷が残っている。
これがカノの技能の一つ、人を転移させる技能だろう。
「わぉ〜、すごいけどあんまり逃げないでね!」
扉付近にいたアサギがナイフを振るう。だが、ガキィンッと鈍い音を響かせた。カノも短刀を隠し持っていたらしい。
「また古雨の使者?最近来ないからもう諦めたと思ってたんだけど…も〜、うちのことどんだけ好きなんだよっ!」
おもしろおかしくめんどくさそうに笑う。ヤクモがカノを羽交締めにしようと接近するが、カノはするりと躱した。
「私たちは古雨の使者じゃないよ。あー、でも古雨からの依頼を受けて来たからある意味そうかもしれないけど…」
「殺しに来たんだね」
嘘は許さないといった雰囲気で問われた。アルザは素直に「うん」と頷いてしまった。
「じゃ、逃げるねーばいばーい!『移転』!」
「あっ!?おいこら待て!!」
瞳と同じ桃色の魔力色がカノの体から発現する。転移の合図だろう。
「待つわけないでしょ〜!この殺し屋が!!」
ヤクモがカノを再び捕まえようとしたが、その前にカノは消えてしまった。突入した時と依然変わらぬ部屋に三人だけが残された。
「手慣れてんね〜。あの感じじゃ、古雨国側も相当苦戦してたんじゃない?」
そう言いながらナイフを懐に仕舞う。剣を振い、受け止めることができるくらいの身体能力があり、ましてや転移によって逃げられる。唯一の救いは生命反応が感知することだろうか。
「ここにいればまた帰ってくるんじゃね?」
「いやそれはないでしょ…流石にヤクモほど馬鹿じゃないと思うよ」
「はぁ!?じゃあお前はどうすると思うんだよ!」
「他の住処とかあるんじゃない?セーフハウスみたいなさ」
カノは古雨からずっと狙われているようだった。それならば、絶対的に安心できる場所があってもおかしくない。
「まあとりあえず、しばらくここには帰って来ないと思うよ。一度帰ろうか」
どちらにせよ、今回の作戦は失敗した。次の手を考えなければならない。
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「…嫌な予感がしたな」
冬春国の冬春地区。黒城内部。イズミの私室。部屋の主人が身震いした。机の上には大量の書類が散らばっており、イズミはそれに手を付けているようだ。
「あいつら、何かしでかしてないだろうな…?」
思い当たる節を探す。入国の仕方、男性陣の女装、暗殺依頼だと念を押したが、正面からやる気だったヤクモ……
「くそっ、不安要素しかねぇ…!」
数秒頭を掻いて苦しんでから、息を吐く。
「…考えても仕方がないな。はぁー…やるか」
再び書類に手を付ける…と、コンコンとノックの音がした。
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「イズミ、いるか」
イズミの私室をノックする。中には生命反応が一つ。時間的にもイズミだけだろう。
「はい、クロさんですか」
扉が開いて、イズミが顔を覗かせた。髪がボサボサで目に隈が見える。見るからに疲労困憊の様子だ。
「忍和国の巫女のこと、話してもらいたい」
「…良いですよ。上がってください」
驚いた。少しくらい躊躇すると思っていた。
クロはイズミに言われるがままに私室に入った。部屋の中は前来た時とあまり変わらないようだ。イズミが一人作業する机の上の書類が多くなっているような気はするが。
クロは低い丸机の下に足を通して座った。低すぎて椅子が地面と同じだ。イズミも反対側に座る。
「忍和国の巫女、46の話ですか」
「そう。何か知っているな。定例会議で巫女の話を持ち出した時、素直に頷くはずがない」
不自然に思った。あの役職授与の書類を作ったのは全てイズミだ。製作者の意図をひっくり返したあの発言は、反感を買っていないとおかしい。絶対王政だから、と適当なことを言ったがそれを言って納得する性格でないことも分かった。
「隠すことでもありません。私の出身は冬春国ではなく、忍和国です。そして、私は巫女の世話を行う一族に生まれました。…巫女の境遇は知っていますか?」
「知っている。だから、救いたいと」
「クロさん自らそう思うなんて珍しいですね。私も46を、シロを、救いたいと思っていました。…立場を利用して、巫女の境遇の改善を求めました。が、失敗に終わり。しかも反逆したとして国から追放されました」
「46でシロ…ヤクモと同じようなことを言う」
「支配されていたので覚えていないとは思いますが、最初に96をクロと呼び始めたのは私ですよ。ヤクモが自身の手柄のように周りに言いふらしているだけで」
「要は、シロを救いたかったけど、今がそれの結果。チャンスが巡ってきたから賛成した」
「大体そういうことです。…少しずつ精神が崩壊していくのは、見ているだけで息苦しくなります。今となってはどうなっているかさえ検討がつきません。シロを救うならば、なるべく早くがいいかと」
「じゃあ、アルザたちが依頼を達成してから。今から忍和国を潰せる依頼がないか探す」
「あった方がいいですけど、あの国は意外と他国から反感を買っていませんからね…精々頑張っても密輸の依頼とかじゃないでしょうか。金銭的にカツカツですけど、依頼無くても大丈夫ですよ」
「巫女を拐うということは、忍和国の民全てを敵に回すことと同じだと思うけど」
「クロさんを出陣させれば全て解決です。忍和国に世滅人はいませんので。まあ、あちらも全戦力を持って抵抗するとは思いますけど」
「それくらいで諦めるか?」
「いいえ。今度こそ、救います。絶対に」
確固たる意思が聞けてクロは満足した。
「話はこれだけ。念の為に依頼は探しておく。じゃあ」
そう言ってイズミの部屋から出た。今課した課題をこなそうと自室へと向かう。
「(自分にも、こんな人がいたら)」
そう思うのもしょうがないことだとは思わないだろうか。
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ホテルに帰ってきた。どうしようか、と考える前にイズミに連絡を取ることにした。冬春国でも二つしかない現代の技術、無線機を使う。イズミは常時通信が取れる状況にしていると言っていたため、繋がるかは安心していい。
「イズミ、イズミ。聞こえる?こちらアルザ」
通信ボタンを押して無線機に話かける。
「本当にそんなんで通信できんのか?信じらねーぞ」
「冬春国には無いからね。てか、無線機なんて結構前からあるけどね。今は四角いデジタル機器とかが主流じゃないっけ」
ヤクモとアサギは後ろで話している。イズミからの返答はまだ無い。寝ていることも考慮しておかねばならなかったか、と反省していると、無線機から声が聞こえてきた。
「すみません、少し遅れましたね。どうかしましたか?」
イズミの声だ。
「えっと…カノを逃してしまったから、何か助言が欲しい」
真正面から戦ったなどと口が裂けても言えない。どう考えても怒られるのが目に見える。
「暗殺は最初が肝心なのですけれど…失敗に終わったことをくどくど言ってもあれですね。そうですね、カノのクラスメイトに色々と聞き込んではどうでしょうか。行きつけの場所とか。クラスメイトなら知っているでしょうし。あ、カノのクラスは1年3組です」
なるほど、その手があったか、とアルザはわかったと頷く。
「次は上手くいくことを祈っていますよ。では」
そう言ってから、イズミの声は聞こえなくなってしまった。
「本当に通信できるんだな…ちょっと貸せ」
腕を前に出して、くれくれとねだられる。
「ヤクモ絶対壊すじゃん…」
「そんなことない!ちゃんとゆっくり触るから!」
ゆっくり触ったとしても、ヤクモの力なら少し力を入れれば壊れてしまいそうだ。
「…ダメ」
「くそ…ちょっと触りたいだけなのに…」
しょぼんとした顔でベッドにうずまる。そんな顔をしても、無線機を壊されてはアルザの責任になるため、アルザは容易に渡せない。
「で、アルザちゃん。イズミからアドバイスはもらったけど、どうしよっか?」
「イズミが言った通り、カノのクラスメイトに色々聞いてみよう」
あわよくば、カノの逃げ込んだ先がわかるかもしれない。
「お昼休みっていつかわかる?」
「まあ大体明けの亥刻〜宵の子刻じゃないかな?」
「じゃあ、その時間に行こう」
「おっけー。ヤクモー、明日の準備して早く寝よ。アルザちゃんも早く寝なね」
未だ不貞腐れるヤクモを目の隅に捉えながら、アルザは男性陣の部屋から出た。
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明けの亥刻。三人は再び制服に手を通し、新日学園へと足を運ばせた。もう授業が始まっている時間なため、校門付近には誰もいない。門番は下校時刻が過ぎてから配置されるのだろう。
三人は校内に入り、堂々と校舎内に入った。
入った瞬間、同じ制服を着た生徒と一瞬目が合ったが、すぐに逸らされた。だが、恐怖や焦りは見えないため、ここの生徒と思われたのだろう。
ちょうど今はお昼休みのようで、最初に目が合った生徒以外にもゾロゾロと見えてくる。こちらに気付いて見る生徒や、こちらを見向きもしない生徒もいる。だが、疑念は抱いていないようだ。
「ヤクモは絶対アサギと一緒にいてよ。もしなんか言われたら、アサギの彼氏ってことにして」
「えっ、嫌…」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ?ねぇ〜ヤッくぅーん、あたし、放課後パンケーキたべたぁい♡」
アサギはヤクモの腕に頬を擦り付けた。完全に甘えた彼女面だ。
「まだやんなくてもいいだろ!?」
「慣れないとだよ?」
ヤクモは悪態をつきそうな顔をしながら代わりに舌打ちをした。それを許諾と認識したアサギは、再びヤクモの腕に頬をスリスリする。
「くそきもちわりぃ…」
きっと大丈夫だろう。ヤクモなら。半分適当な思考で、アルザは一人で生徒に聞き込みに回った。
まずは廊下ですれ違った女の子。
「ちょっと時間大丈夫?」
「…ど、どなたですか…?」
引っ込み思案そうな子。こういう子は警戒心が強いが、適当に言って押して押しまくれば情報が取れる。
「知らない?君の友達の友達!」
「友達の友達…何の用ですか…?」
掛かった。
「えっと、1年3組のカノちゃんって知ってるよね?あの子ってどんな子なの?」
「…!?あ、あ……」
急に心臓に手を当てて苦しみ始めた。呼吸が荒くなってる。
「大丈夫!?」
サスサスと背中をさすってあげると、少しずつ呼吸が楽になってきたようだ。
「は、は……冬春国民の名前を出してはいけないことを知らないんですか…!?貴方、死にますよ…!?」
「……え?」
「最近転校してきた人とかならまだ分かりますけど…」
「あ、あぁ!そうそう。最近転校してきたんだよね」
きっとこれは将来的にバレる嘘。だけど、今更引き戻せない。
「その…冬春国民ってどんな人なの?やっぱ、怖いの?」
カノ、という名前がダメなのならば、先程言った冬春国民で攻めてみる。カノを話題に出すこと自体は大丈夫なはずだ。
「はい、とても……ですが、ニウラ様に平伏しているのか、やたらと大人しいです」
「ニウラ様?」
「生徒会長ですよ。見たことありませんか?」
「あー…ない、かも?」
「美麗さに誰もが息を飲み、その神々しさに誰もが目を奪われます。あの方は、あの方は……!!紛れもなく神からの使いです!!」
最初は淡々と、次第に熱を込めて早口に。カノとは真反対の反応で呼吸を荒げた。その迫力にアルザは一歩後退りをしてしまった。
「そ、そうなんだ…!!」
引き攣ったような笑みしかできない。反応の異常さにアルザは僅かな恐怖心を抱いていた。そんなに慕われているニウラとは、どのような人物なのか。
「ニウラ様、ってのは何年何組なの?」
「3年1組です。共に崇め、敬拝しましょう。ニウラ様も貴方を認めてくれますよ。今からでも行きましょうか?」
雰囲気が違う。盲目的で狂信的な目でアルザの目をじっと見つめる。驚くというより、もはや怖かった。
「あ、あー。今日はちょっと用事があるから、いいかな…ありがとうね!!」
ねっとりとした視線からなんとか逃れて、アルザはその場を後にした。少女はそのどろっとした目で後ろ姿のアルザを見続けた。
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次に話しかけた少年も、少女と同じような対話をした。カノ、という単語を発せば動悸が起こったように息が荒くなり、ニウラのことを聞けば盲信的な信者になり、その目でアルザの顔を覗き込んでくる。
その次に聞いた二人組も揃って同じような反応を示した。
「(ニウラ…接触する価値はあるかもしれない)」
カノの情報は引き出せなかったが、カノとニウラには何らかの関係性があるということはわかった。それならば、ニウラに直接聞いてみるというのもありだろう。
3年1組の札を探して校内を歩き回る。3年だから3階だろう、という安直な考えを持って3階に上がる。
すると、アルザの適当な考えは功を奏した。3年1組の中を覗く。生徒たちは全体的にお淑やかで、身分が高そうだ。そんなクラスは今笑い声で賑わっている。その中でアルザは雰囲気が別格な生徒に目を奪われる。
長い翠緑の髪を下ろし、真っ赤な目を持った大人らしい雰囲気を纏う美少女。生徒たちが椅子に座っている彼女の周りを囲んでいる。その生徒たちは友達のようで、歓談しているのか、彼女は時折ふふっと淡い笑顔を浮かべている。
見た目の割に雰囲気が大人だからか、一層強く惹かれる。
「(あれが、ニウラ様…?)」
神聖視する気持ちも分からなくはない美貌だ。しかし、その美しさだけであんなに敬拝されるものなのか。とりあえず接触を図ろうと教室に入る…
「冬春国民かしら?」
教室に入った瞬間、ニウラらしき人が席から声を掛けてきた。心臓が跳ねたが、表に出せば終わる。アルザが冬春国民だという証拠はないはずだ。クラスが喧騒から一変、静寂な空気に変わる。アルザは臆せずに近付く。
「え?何言ってるんですか?私は最近転校したきた…」
「最近転校してきた子はいませんよ」
歩みが止まる。言い切ってきた。ここで曖昧な表現を使ってくれればまだ抵抗できたというのに。
「(や、やばいかも)」
言い逃れできない。転校以外に思いつくシチュエーションがない。冷や汗が背中を伝う。
「どうやって潜り込んだかは分かりませんが…聖女ニウラ、貴方をここで殺します」
やはりこの人がニウラのようだ。しかも、どういう訳かニウラはアルザが冬春国民だと信じきっている。ニウラは席を立った。信頼を勝ち取るために近付いたのが裏目に出でしまった。距離は2mほどしかない。踏み込まれたら攻撃できる距離だ。反撃は流石にできない。ならば逃げるしかない。
一歩後ろに下がる。と、同時にニウラは大きく一歩踏み込んできた。両手に刃物は持っていない、だから殴るのだろう。そう思って衝撃に備えた。
「『召喚』」
ニウラの右手に真っ赤な魔力が纏い、槍を形作った。瞬間、それが実体化する。やばい、と思うには少し遅かった。
身を捩らせて心臓部分は避けられたが、胸の横を抉られる。しかし、それでは終わらないようで、槍を握り直した。真一文字に薙ぎ払おうとしているのだろう。今の肉体強度では到底耐えられない。死ぬかもしれないのなら使うほかない。
「『限界』…うわっ!?」
限界突破を使おうとした瞬間、誰かに後ろから服を強く引っ張られた。生命反応はあったが、限界突破を使えば問題ないとしていたため、ノーマークだった。そのため体勢を崩され、限界突破も中断された。アルザの体幹がいくら強いと言えども、油断しきっていた体には効果覿面な訳で。ニウラはまた槍を握り直して、今度は唐竹割りのように振り下ろそうとしてきた。限界突破を使うためにもう一度集中力を高めなければ…
「誰に喧嘩売ってると思ってんだ…!」
今度は腕を取って、後ろに強く引っ張られた。すごい腕力だ。足に力を入れたが引っ張られる力には弱く、なすがままに後ろへと下がってしまう。しかし、そのおかげでニウラの攻撃は空を切った。
行動を阻害してくる敵は誰だ、とアルザは後ろを振り向く。
若干目に掛かった黒髪に夕焼けを連想させる鋭い目。その表情は必死なようだ。男子生徒が着る新日学園の制服を着ているのを見るに、アルザたちとは違ってここの生徒なのだろう。
「君は…」
「とにかく、逃げるぞ」
腕を取られたまま走られる。若干体勢を崩しながらも少年に着いていくが、ニウラには遅かったようだ。
地面に叩きつけられた槍を持ち上げ、一歩前進し、槍本来の使い方をする。アルザの心臓部目掛けて。
ニウラの動向を見ていたから、先程の焼き直しのように心臓部だけは避けることに成功する。が、先程とは違い、肺部分を貫通する。
「ぐっ、」
痛みに顔を顰める。途端に反射で血を吐いてしまった。胸が熱い。
ニウラは容赦無く槍を抜く。傷口から血が吹き出た。
それでも足の力は絶対に抜かない。全身全霊で体に力を入れ、少年が引っ張る力を借りて必死に走る。血が点々としているのにも関わらず、ニウラは追いかけてこなかった。
「負傷してんな…保健室で医療機器あるからそこ目指すか。…歩けそうにないか?」
ひゅーひゅーと喉からダメな音が聞こえてくる。失血からか今にも目の前が暗転しそうだ。
「あ、あさぎ…が、なおせ…」
言葉を伝えようと頑張るが、この少年がアサギを知っているわけがない。どうやって伝えればいいのか内心焦っていると、曲がり角からふらりとアサギとヤクモが出てきた。アサギはこちらを見ると、やっぱりと言いそうな顔をした。
「今にも死にそうって感じだね」
アサギは近付きながら制服の袖をまくる。その瞬間、視界がブラックアウトした。もう目の前が見えない。意識だけは何とか気合いで保つ。
「近付くな」
「そんな警戒しないで?僕はアルザちゃんの味方!ちょーっと治すだけだから」
近くに誰かが座る音が聞こえた。
アサギだろうか、と考える前に、必死に落ちないよう抱えていた意識が安心したのか、意識を手放してしまった。
二週間くらい遅れてしまいました
次は7月上旬になると思います