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9/22

9.鈴の部屋。



 

 

 ──次の日。コーラス部の練習は無くって。

 学校に行ってもりんには会えないから、私は少し遠いけど、自転車に乗って鈴の家まで押し掛けた。


「で? どうだったの? 鈴?」

「何が?」

きょうくんと、あの後……」

「あぁ。行ったよ? そりゃ、もちろんでしょ」

「ふふ。良かった」

「良かったじゃないよ。響くん……部長として、ずっと心配してたよ? 結奈ユナのこと」

「そ、そうなんだ……。なんか、ごめん」

「良いって。それより、大丈夫なの? 結奈、眩暈……」

「あ、大丈夫だよ。美術館に行って、急に何か色々想い出しちゃって。外も凄く暑かったから」

「そうなんだ……。私と響くんのこと、気を使わなくても良かったのに」


 鈴の口ぶりが、ちょっと素っ気なくて。鈴は眼鏡を外して、テーブルに置いた自分の指先を見つめて居る。私とは、あまり目を合わそうとはしなかった。


 ……鈴の部屋。

 勉強机の隣には、鈴が吹奏楽部の時に吹いていたクラリネットが、箱に仕舞われたまま置かれてあった。

 机の上には、私たちコーラス部──四人の写真。いつ、撮ったのかな……。

 仲良さそうな鈴と響くんが真ん中で。私も鈴の隣で笑顔で写って居た。むすぶくんって子は響くんの隣で、澄ました顔をして写って居た。


「それで? 何か、思い出せた?」

「えっと……。やっぱり、吹奏楽部の時のことは思い出せるんだけど。今に繋がる記憶とか……思い出せなくて」

「結くんには、言われなかったの?」

「え? 何を……?」

「……」


 自分の指先を見つめて居た鈴が、私とは目を合わせないまま……クッションにもたれ掛かって天井を見上げた。しばらくの間、部屋の時計の音だけが鳴り響いた。


「私。皆で公園に居た夜。聞いたんだよ。結くんの言葉。結奈と響くんには聞こえて無かったかも知れないけど」

「え? そっか……。やっぱり、あの時。結くん、鈴に何か言ってたんだ」

「最初は私、結くんに馬鹿にされているのかと思った」

「そうなの?」

「だって……」


 鈴の指先が、テーブルの上に置かれていた眼鏡に触れた。それから鈴は、目を瞑る様にして眼鏡を掛けた。鈴の瞳がレンズ越しに私を見つめる。


「昨日までの結奈は居ない。今居るのは、違う世界の結奈だ」

「え? 何……それ」

「結くんが、言ってたんだよ……。私は言い返そうとしたけれど、響くんが結奈のこと急に誘ったから。何も言えなくなって」

「そう……なんだ」


 眼鏡を掛けた鈴が窓の方を向いて、頬杖を突いて。私は俯いて、テーブルの真ん中を見つめるしかなかった。鈴から、目を逸らして……。


「結くんの言葉。信じられなかったんだけど。本当は、どうなの? 結奈?」


 鈴の声に──私は、顔を上げた。そこには、真っ直ぐに私を見つめる、いつもの鈴が居た。


「そ、それが……。よく思い出せなくて。いつもと変わらない日常なのに、初めて来た世界みたいに感じることもあって」

「例えば、何? どんなこと?」

「鈴と響くんは、結……くんのこと知っているけど。私は知らない」

「嘘……。いつも普通に話してたのに?」

「それから、吹奏楽部じゃなくて。部活がコーラス部になってたこととか」

「え? いつも私たちと一緒に練習してたのに? やっぱり、記憶喪失……」

「記憶喪失だけじゃなくて。あんまり、言いたくないんだけど」

「何、結奈? 未来が見える……とか?」

「……そうじゃなくて」


 鈴に続きを言い掛けて、私は口をつぐんだ。それは──。記憶が繋がらない不安より、もっともっと大きなことで。

 鈴には聞いて欲しかったけれども、一番、言いにくいことだった。


「あ、あのね。鈴……」

「何? 凄く気になるんだけど?」

「……じゃあ。言うね。生き返った人って、見たことある?」

「えぇ?! な、無いよ。そんな人、居る訳……」

「嘘じゃなくて。瑞穂先生と私のお婆ちゃんが、そうなの……」

「え? い、いや、現実にまだ生きて……」

「信じられないよね。けど……私が憶えている記憶じゃ、確かに」

「それって。やっぱり、結くんが言う様に……結奈は結奈でも、違う世界から来た結奈ってこと?」

「分からないよ。私は、私だし」


 私は、もう一度、鈴から目を逸らして──鈴みたいにテーブルの上で自分の指先を見ていた。

 けれど、「違う世界から来た」って言った鈴の言葉に、核心めいた何かを感じた。自分でも気が付かなかった。やっぱり、鈴は勘が良いって想う。


「結奈……てさ? 憶えてる?」

「な、何を?」

「実はさ……。結奈、私に結くんのことで良く相談してたんだよ?」

「え?! ええっ?! そ、それって、つまり……」

「そ。結奈、結くんのことが好きだったんだよ」

「嘘……。いや、まさか。全然。そんなこと……」

「だよね? 記憶無くしてるんだもんね。何か、変だと想ってたよ。いつも、結奈って結くんと仲良かったからさ?」

「い、いや。えぇっ?! 嘘だよ……そんなこと」

「あ。一応、言っておくけど。まだ、結奈は結くんに告白とかはしてないよ?」

「そ、そりゃ、そうでしょ……。そんなこと、する訳……」

「じゃあ、響くんのこと。結奈は好きになってたりする?」

「い、いやいや! ま、まさか、まさか!」

「いや、そんなに否定しなくても。まぁ、でも、安心した。けど、記憶を無くしている訳だから、もしかして……」

「な、無い無い! 無いよ……」

「ふふ、油断は禁物だよね? 結奈は可愛いから。結奈に、その気が無くっても……」

「いや。無いよ。私は私のことで……頭が一杯だから」

「そっか。なら、余計な心配かな? けど、響くんは」

「何? 鈴?」

「ううん。何でもない」


 いつもの鈴との恋話らしくなって来たかと想えば──。鈴は、響くんのことを言い掛けて、天井の方を見ていた。また、眼鏡を外して鈴は目を瞑った。


「怖くない? ……結奈。無くした記憶や、誰かの気持ちを知るのって」

「そりゃ、まぁ……。怖くは、あるけど」


 何だか、急に不安が込み上げて来た。

 鈴は知っているけれど、知らない過去の自分が居る。それに、私は鈴の気持ちを知ってても……今の響くんや結くんの気持ちは知らない。


 私は買って来ておいたお菓子やジュースを、テーブルの上に置こうとして鈴に尋ねた。


「……食べる?」

「要らない。あ、喉は渇いたかな」

「鈴……」


 何か。鈴とは仲が良かったのは憶えているだけに。今の素っ気ない鈴の態度が、ちょっとショックだった。


「何か、あったの鈴? ……響くんと」

「別に? 普通だよ。いつも通り」

「そっか……」


 鈴が身体を起こして、買って来たジュースのペットボトルに触れる。「……ありがとう」って、鈴が小さく呟いた。それから、私もペットボトルの蓋を空けて。部屋の窓の方を向いて、少し飲んだ。

 鈴の顔を見ながら楽しくお喋りしたかったのに。鈴の顔が見れなかった。


「何か……。響くんの態度っていうか。雰囲気がさ。結奈が記憶喪失になった日から、少し」

「え?」


 喉が渇いていたのか、鈴は半分近くペットボトルに入ってたジュースを飲んで。深い溜め息をついた。


「ねぇ? 結奈……私、どうしたら良い?」

「どうしたらって……別に、今まで通り私と」

「違うよ。響くんとだよ……」

「え? あ、うん……」


 私も……。何だか悲しくなって来た。部屋の窓を見上げると、西陽が強く射し込んでいる。少し鈴の方を見ると、鈴は眼鏡を掛けていて。下を向いて、いつものお下げ髪を胸のあたりで触って居た。


「部活は、行かないとね……」

「そうだね……」


 鈴と私との間に、冷たい空気が流れる。部屋の空調は効いていたけれど、窓から入って来る西陽が強くて眩しかった。

 このままじゃ、家に帰れなかった。鈴との間に出来た距離をもう一度、埋めたかった。やっぱり、響くんと鈴に……何かあったんだろうか。


「私は……鈴の味方だよ」

「うん……」

「な、なんか、私が記憶無くしてから、変になっちゃってるよね」

「結奈の……せいじゃないよ」

「……」

「結奈は、どうしたいの? 記憶のこととか、あると思うけど」

「私は──」


 どうしたいんだろうか……。そう言いかけて、俯いて口をつぐんだ。ギュッとスカートの裾を握りしめる。

 正直に言うと、記憶を無くしてから数日しか経ってなかったし……。自分以外のことを考える余裕も無かった。いや、自分自身が、どうしたいのかなんて鈴に言われるまで……考えてもみなかった。


「私は、鈴と響くんには……今まで通り仲良くしてもらいたい」

「うん。大丈夫だよ。響くんとは今も昔も何も変わらない」

「じゃあ……」

「早く記憶、想い出して? ……結奈。それが、結奈にとっても良いし。私や響くん……結くんにとっても良いと想うから」

「う、うん……」


 それが、何を意味するのか。私の中にある、どうにも出来ない感情が揺れ動く。

 目の前を向くと、いつもの鈴が眼鏡を掛けて……私に笑い掛けて居た。

 私は立ち上がって、鈴の傍に座り……寄り添う様に、鈴を抱き締めた。


「鈴っ! ごめん!! うわぁぁん!!」

「な、何? ……結奈」

「私のせいで、私のせいで……」

「……私の方こそ、ごめん。結奈を責めるみたいなこと言って」

「ううん。そんなことないよ……。私の方こそ、ごめん……」

「そんな……。泣かないでよ、結奈。私まで、泣けてきちゃう……」


 それから──。どれくらいだろう。

 しばらく、鈴と私は抱き締め合って……声が掠れるくらいに泣いたんだと想う。

 窓から射し込む西陽が眩しいくらいに、部屋の中に居た私と鈴を照らしていた。









「……だいぶ、遅くなっちゃったよね? 結奈、帰れる?」

「うん。平気。夏だし、まだ明るいからね。今日は、ありがとう。鈴」

「ううん。私の方こそ、ごめんね。ありがとう、結奈」


 私と鈴。いつもの二人に戻って、嬉しかった。

 部屋を出る頃には夕方の六時は過ぎていたけれど、外はまだ明るかった。

 鈴の家の前で、私は自転車にまたがったまま鈴と立ち話。

 明るい内に帰らなきゃって想うけど、鈴との仲が戻ったことが嬉しすぎて。ずっと、鈴とこのまま話して居たかった。

 だんだんと夕日が沈み、さっきまでの外の暑さが幾分か和らぐ。風が少し吹いて、鈴のお下げ髪と私の一つ括りにした背中の髪が揺れた。


「じゃあ、またね! 鈴!」

「うん! 気を付けて帰るんだよ? 結奈……そろそろ、道が暗くなると想うから」

「なんか、鈴。お母さんみたいだよ?」

「もぅ、同級生だよ! ま、結奈よりお姉さんってことで」

「ふふ。そうだね」

「また、何でも言ってよ。結奈!」

「うん。頼りにしてる」


 鈴と私。鈴に笑顔で手を振った後、私は勢い良く自転車のペダルを踏み込んだ。風が流れ、背中の髪の毛が靡く。

 鈴の言った通り外は薄暗くなって、道には外灯の明かりが灯り始めていた。

 車と人が行き交う中を、自転車のライトを点灯させて走り抜ける。鈴のことを想いながら漕ぐ自転車に風を受けて心地良かった。


(──ルルル……ルルル)


 その時。しばらく、自転車を走らせていると、鞄の中の携帯電話が鳴っていることに気付いた。

 私は近くのスーパーの駐車場の隅に自転車を停めて、携帯電話を手に取った。


「はい……もしもし?」

「ごめん。結奈?」


 鈴や響くんと違って。まだ聞き慣れていない声が、私の耳元で響く。

 電話の向こうから響いたその声に、少し私は足下を見て俯いた。


「結……くん?」









 

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― 新着の感想 ―
[良い点] 結奈と鈴がピリピリバチバチのケンカにならなくて良かったですわ(*´-`) それにしても…ほんと、結奈はどうしちゃったのでしょうね。 記憶喪失なのかもしくは──実に興味深いですね~(-ω-)…
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