7.語りかける明日。
「ハァハァ! ……で、で、出た! 出たの! 出たのよっ?!」
「で、出たっ? な、何? 幽霊か何かの話? ま、まぁ、少し落ち着けよ」
「凄く汗かいてるよ、結奈? ……大丈夫?」
「……話。聞かせてくれないか」
赤いレンガの様なタイルが敷き詰められた市民会館前の広場。
夕日が、ほとんど沈みかけていて。辺りは暗く、皆の姿が外灯の明かりに照らされている。
自転車に跨がったままの私は、息を切らせながら、ペットボトル片手に。お婆ちゃんが、まだ生きていて……家に居たことを話そうとしていた。
夜風が私と皆との間に吹き抜ける。
さっき、ペットボトルの清涼飲料水を私にくれた響くんが、驚いた顔をしている。鈴が、心配そうな顔をして私を見つめた。結って子は、相変わらず……落ち着いた表情をしていて。その子の前髪が風に揺れている。
「じ、実は、お婆ちゃんが、お婆ちゃんが……」
「……倒れたのか?」
「救急搬送? 入院?」
そこから先を言おうとして……。ゴクリと唾を飲み込んだ。
けれど、響くんも鈴も信じてくれない気がした。結って子、以外は──。
「……生きていた?」
──その時。
結って子から、意外な返事が返って来た。
ほとんど沈みかけの夕日を見ていた結って子が、静かに私に目を向けた。
……道路の信号が青から赤に変わる。車の流れが止まる。近くの駅から沢山の人たちが横断歩道を渡る。外灯に照らされたその光景を見ていると、私たちだけが止まっている様に想えた。
「……そうなのか? なら、良かったんじゃないのか? 結奈、そんなに慌てなくても……」
「な、何……。心配したよ? 結奈から、お婆ちゃんのことって、あんまり聞いたことないから……」
響くんと鈴が、何処か動揺しながらも辻褄を合わせるような口ぶりで話す。まるで、お婆ちゃんが最初から〝生きていた〟様に。
私は、「……うん」と、黙ったまま……何も言えずに俯くしかなかった。
「で、大丈夫なのか? 結奈のお婆さん? 病院に行かなくても?」
「家の人には、連絡した? もし、何なら、私たちが……」
「い、いや。良いよ。大丈夫だから。お婆ちゃん、元気そうだったから……」
お婆ちゃんが〝生きている〟ことになっていて。その前提で話す響くんと鈴には、何を言っても伝わらない気がした。
私は俯いた顔を少し上げた。結って子を見たけど、相変わらず黙っていたままだった。
車道の信号が、赤から青に変わった。また、車の列が走り出した。横断歩道では、渡れなかった疎らな人影が、静かに信号が青に変わるのを待っていた。
「おっと……。そろそろか? 五分前」
「だね。合唱サークルの練習。始まっちゃうね?」
外灯に照らされた市民会館前の広場。
響くんに鈴が駆け寄って歩き出す。……話を聞いて欲しかった。信じる信じないは別として。
黙ったまま俯いた私の隣に、結って子が並んだ。
「……大丈夫?」
「え? いや……。うん」
私は結って子に曖昧な返事をして。響くんと鈴の並んで歩く後ろ姿を見ていた。これから、合唱サークルの練習だなんて。……歌える心境じゃなかった。このまま、帰りたかった。今日は、練習中止なら良いのにって想った。
♢
「え? 練習中止っ?!」
「よ、曜日、間違えたの?」
市民会館の中にある文化教室。いつも合唱サークルが活動しているその部屋では、別の人たちがお稽古事をする為に貸し切っていた。
慌てた響くんが、入り口の受付のお姉さんと何かを話している。隣に居る鈴が、響くんと顔を見合わせて驚いていた。
「……まさか、今日が練習日じゃなかったなんてな」
「まぁ、仕方ないよ。他の人たちも来て無いみたいだしさ?」
「……そうだな。気合い入れて来たのにな」
俯いた響くんの背中を、ポンポン……と叩く鈴。鈴の茶色いお下げ髪が揺れる。
窓の外は、すっかり夜になって真っ暗に。けれども、玄関ホールは蛍光灯の明かりが眩しくて広々としていた。
空調が効いていて涼しく──。剣道をしている人たちの掛け声や、竹刀のぶつかり合う激しい音が聞こえた。
竹刀の激しい音が鳴り止んだ後──。ほんの少しの静寂。
少し間を空けてから、私の隣に居た結って子が、口を開いた。
「……帰る?」
「うん。……そうだね」
けれど──。帰りたくなかった。不安だった。皆と一緒に居たかった。俯いていた私の視界に、頼りない自分の足と長い前髪が揺れて見えた。
せめて、結って子には、私の話を聞いて欲しかったけれど。
響くんや鈴は、やっぱり、この世界の住人で。私とは温度差みたいなのを感じた。
そのせいか……。結って子には傍に居て欲しかった。感情抜きにして。……怖かったから。この世界のことが。
受付のお姉さんと話し終えた響くんと鈴が、私と結って子に話し掛けた。
「結、結奈! 練習日、間違えてたみたいでさ? 今日は無いって」
「……おかしいよね? 確か、こないだは、あるってことになってた気がするんだけど?」
響くんも鈴も腕組みしたまま。お互いを見つめ合って。不思議そうな顔をして首を捻っている……。
(──〝魔法〟……?)
不意に頭に浮かんで出て来た言葉に、ハッとした。いや。まさか。私が、練習中止を願ったせい? そんなはずが……。
私より背の高い結って子の顔を見上げる。
私の視線に気づいた結って子が、何かを見透かした様にポツリと呟いた。
「……何処か、行く?」
「え?」
期待していた言葉だったのかも知れない。このまま、家に帰っても不安だったから。また、家に帰っても、思いがけないことになっていたら……って想ってたから。
そう想っていると。スタスタと響くんと鈴に歩み寄った結って子が、何かを二人に話始めた。
「響。何処かで話……しないか?」
「おぉっ……。結。まぁ、このまま帰るのも何だし。ファミレスか公園?」
「何々? 話って? まぁ、夏だしさ。公園で良くない? 懐事情が厳しくってさ」
「なら、高架下近くの公園だな。晩飯まだだけど」
「まぁ、そんなに遅くならないでしょ。行こっ!」
高架下の公園──。近くには地方線の小さな駅があって。その下にはコンビニがあった。
皆でコンビニに寄って、パンとかアイス……それに飲み物を買って。その少し離れた場所にある公園に着いた。
寂しげな外灯が、フェンス越しに。ブランコや砂場……滑り台を照らしていた。
♢
「もし。……死んだ人が生き返っていたとしたら。どう想う?」
「えっ?! な、何だよ。結、藪から棒に……」
「ど、どうかしちゃったの? 結くん。アイス、落としそうになったじゃん?!」
「……」
鈴と私は。公園の赤いブランコに腰掛けて、隣り合って座っていた。
響くんは、砂場に足先をつけて滑り台に座っていた。
結って子が、立ったまま……皆の真ん中で。私が話したかったことを代弁する様に話始めた。
……公園に静かに外灯が灯る。
「……そうじゃなくても。皆は知らない真実を、自分だけが知っている……とか?」
「何の話だよ? 結。昨日のドラマ? タイムリープものの?」
「推理サスペンスとか? 主人公が記憶喪失に陥るって奴?」
やっぱりだ。結って子が響くんと鈴に話しても伝わらない。けど、〝自分だけが〟って部分を私──つまり、〝結奈だけが〟って置き換えないと、伝わらない。でも、今は、いきなりそう言い換えても無理。多分、伝わらない。
けれど。……ちょっと惜しいかなって想う。記憶喪失って言葉を口にした鈴に。
ジジジ……と。小さな虫たちが外灯の明かりに引き寄せられる様にして集まる。
私たち四人以外には誰も居ない公園。時折、電車の音が高架下のこの静かな公園にゴォッ……と、音を立てて鳴り響く。結って子の話す言葉が聞こえなくなる。
「んー。まぁ、結の話。真剣に聞くなら、ある日突然、自分が死んでいるって事に気がついて……」
「んー。なんかそう言う映画。あったよね? 生きてたと想っていた人が、実は……みたいな?」
……当たらずと雖も遠からず。
鈴と響くんの推測は、的を得てはいないけれど、逆……。
感覚的には似ているけれど。けど──。
まさか、私が〝生きてはいない〟……ってことは無いはず。皆とも、今ここで会話出来てるし。
堰を切った様にして、響くんが滑り台から立ち上がった。
ポケットに手を突っ込んで、しばらく砂場の中を歩いていた。何度も往復する。半袖のカッターシャツにぶら下がるお洒落なネクタイが、響くんが俯いて歩く度に揺れる。
それから、私の隣に座っていた鈴がブランコから立ち上がって、私の方に振り向いた。鈴のお下げ髪とスカートが、夜風と一緒に靡いていた。
「つまり。何か、今の結奈と関係があるってこと?」
「え?」
勘の良い鈴が、クイッと眼鏡の真ん中を押しながら、「ふふ……」と、笑みを浮かべていた。
外灯の明かりにキラリと眼鏡のフレームを光らせた鈴の姿に。私は、「あ……」──と、一瞬。声を上げそうになった。鈴には、早く核心を突いて欲しかった。
「だって。結奈。朝から様子。変だったじゃない?」
「え……。まぁ。そうだったかな」
「そ、そうなのかっ?! 結奈は、記憶喪失に陥っているのか?!」
鈴の言葉から遅れて。響くんが、ようやく私の核心の半分に触れた。
鈴の直感ほどの冴えはないけれど、響くんには想像を飛び越える力があるな……って想えた。
そう……想っていたのに──。
響くんが突然、ブランコに座っていた私に急に詰め寄った。
「えっ?!」……ってなった私は、座っていたブランコから落ちそうになった。
「ど、どうしたの……? ち、近いよ。響くん……」
「す、すまん。……結奈。驚き過ぎたのと、心配し過ぎて……」
「もう……。部長。結奈に近づき過ぎだよ?」
ガタッと落ちそうになったブランコから私は立ち上がる。済まなさそうにした、響くんが……。少し頭を下げて、私へと謝った。お洒落な首もとのネクタイがぶら下がる。……微妙に気まずい。鈴が、ちょっと怒っている様にも見えた。なんか、響くんじゃなくて、私に……。
「結奈。今日は、この辺で良いか? ……皆には、いきなり話しても」
静かに様子を見守っていた結って子が、また──。ポケットに手を突っ込んだまま、私へと話掛けた。
今度は逆に──。鈴が、結って子に詰め寄った。
「……今日はって、どう言うこと? 私や響くんには、分からないってこと?!」
何だか──。話を聞いては欲しかったけれど。核心に触れる度に、皆との仲が拗れる……。そんな気がした。
結って子が、溜め息を吐いた。詰め寄った鈴に驚きを隠せない響くんが、立ち止まって居た。
本当に。……どうしてだろう。私の核心に触れる度、皆の心が揺れ動く。まるで、それは──。お互いの心の隙間や距離を生む様な。
また、高架下の公園に、私たちの頭の上を通過した電車の音が鳴り響いた。
音が遮られて──。結って子が、鈴に何かを言ったけれど。……聞こえなかった。全部が聴き取れなかった。
その後……。
鈴は、結って子に背を向けて俯いた。何処か信じられない気持ちが、鈴の握り締めた拳に見て取れた。何を話したんだろう。……結、くんは。
私は、この時。もう良いかなって想って。この子のことを〝結くん〟って呼ぶことにした。
その時だった──。
そんな私の気持ちとは別に。
響くんが私へと、もう一度頭を下げていた姿が目に飛び込んだ。何が起きたのか分からなかった。
これには、振り向いた鈴も結くんも驚いて──。何度目かの電車の轟音が鳴り響く中。外灯に灯された四人だけの公園が、時を止めた様に……誰もが動けなかった。
通過した電車の後。外灯の光に集まる虫たちが、ジジジ……と音を立てた。
「すまん。結奈。何かあるのなら俺に……話してくれないか? いや。部長としてだ。ほら、『ルネッサンス』の原画展。昔、好きだったろ? 何かを結奈が想い出せるんじゃないかって。それに、有名なソプラノ歌手のコンサート。あるんだけど……。鈴、結も明日一緒にどうだ?」
そう、響くんが私に言った後。鈴は向こうを向いて黙ってしまった。何か、鈴に悪い気がした。別に、私は行きたい訳じゃなかったけれど。『ルネッサンス』の絵画に興味があったのは確かだった。
それから──。
結くんも少し黙ってから、「俺は良いよ……」って答えた。
私は何故か。響くんと、ルネッサンスの原画展と、ソプラノ歌手のコンサートと。行くことになってしまった。
しかも、明日。……急だなって想った。
鈴への罪悪感が止まらなかった。




