22.エピローグ。帰って来た世界。
目を開けると──。そこには、朝の光が差し込んでいた。
磨き抜かれた床や艶のある柱が光る。鼎神社の奥の部屋──ご祈祷をした私たちの居た場所。
外は静かで、小鳥たちのさえずる声や、夏の終わりを感じさせる蝉の鳴き声が聴こえた。
けれども、いつもと違って居たのは──。いつまでも消えることの無かった、手の温もり。その感触が今もずっと感じていられることに、胸が一杯になった。
見渡すと──。私たち七人がまるで瞑想して居るみたいに、静かに座っていた。ただ、手を繋いだ私の隣には、ちゃんと結くんが八人目のメンバーとして、この現実世界に帰って来て居た。
だけど、皆、目を閉じたままで……。手を繋ぎあったまま動こうとしなかった。もしかして、まだ夢でも見ているのかな。私は──。
「……あの? すみませーん!」
返事が無い──。皆、どうしちゃったのかな?
もしかして、私だけが無事に帰って……。他の皆は〝あっち〟の世界に行っちゃった?!
と、思いきや……。そう、見せかけておいて、むしろ逆……とか?
「いやー!! 結くん、結くん!! お願い、目を覚まして!! 鈴も、響くんもっ!! お願いっ!!あーっ!!」
揺り動かしても、一向に目が覚めない。そうだ! 葉月さんと、マニカさんならっ!!
(──リリリリリリリリリリ……!!)
「結奈ー? 起きなさーいっ!! 今日から二学期でしょー?」
「はいはい、お母さーん。今、起きるー」
ベッドの下に落として、いつまでも鳴り続けている携帯電話のアラームを拾い上げて止める。けど、寝ぼけていて、なかなか上手く止まらない。
手から、また滑り落ちた携帯電話が、更にベッド下の床を滑って手の届きにくい場所に入り込んでしまったみたい……。
(──リリリリリリリリリリリ……!!)
「うるさいな。もー、分かってるって。てか、目覚まし時計くん、君は私の携帯電話でもありながら、何処に行こうとして居るのかね?」
しばらく鳴ると、携帯電話のアラームがスヌーズ機能に切り替わり、少しの間だけ静かになった。
私は眠たい目を擦りながら、勉強机に置いた写真を眺めて居た。写真には、結くん、鈴、響くん、葉月さん、マニカさん、空也さん、ツナグさん……鼎神社の人たちが写って居た。あの日の朝、無事にこの世界に帰還した──結くんや皆と鼎神社を背景にして撮った写真だった。
「我ながら良い写真だよねー。なーんか、鼎神社のご利益をそのまま頂いちゃってるって言うか。皆、元気なのかな? おはよう! 結くん!!」
私は、ボサボサの髪をヘアブラシで梳きながら、写真の中の結くんへと話し掛けて居た。寝汗をかいて居たみたいだけれど、鼻歌混じりにパジャマのボタンを外していく。窓を開けると、まだ蒸し暑い朝の部屋に心地良い風が入って来た。
「もう、結奈? 何時だと思ってるの? 惚気るのは、その辺にしてくれないっ?! 結くん、来ちゃうわよっ?!」
「わわわっ! お、お母さん!! の、ノックくらいしてよねっ!! い、いつからそこに?! ていうか、私の独り言聴いてたの……? もーっ!!」
「そんなことより、早くしなさーい! ご飯冷めちゃうわよ?」
(──ピーンポーン……)
その時。家のチャイムが鳴った。私は、ドドドっと、階段を降りてから直ぐ様、インターホンに映る結くんを見た。
「わわっ!! む、結くん!! 今日も早いねー?」
「時間どおり。何分待ったら良い?」
「あー、五分! いや、十分かな? アハハ……。な、なるべく早く仕度するからー!!」
待ち合わせた時刻は、二学期が始まる学校に遅刻しない様に、早めに結くんと約束して居た。けど、〝あっち〟の世界から帰って来てからと言うものの、私は眠りが深くて中々起きられない様になってしまって居た。
私は、もはや、神技とも言えるくらいのスピードで、あっと言う間に仕度を済ませた。
「結くん! 待った?」
「ちょうど、十分……。ギリギリだぞ?」
「アハハ……。行こうか?」
◇
高校二年生の二学期は、体育祭に文化祭とイベントが盛り沢山。
結くんと居られる時間を考えると、自然と気持ちが楽しくなってしまう。もちろん、漕いでる自転車だって。
「結奈?! 自転車、漕ぐの速くないかっ?!」
「へ、へーん! 私っていうか、女の子に負けてたら男として、どうなのって想うよねー? 結くん?」
「いや、ハァハァ……。こっちの世界に帰って来てから……なんか、体力が。重力が微妙に違わないかっ?」
「えー? 言い訳して居る男子は、恰好悪いぞ?」
「じゃあ、本気……だなっ!!」
「ちょ、ちょっと、速いっ!! 速いよ、結くんっ!! 待って!!」
こんな風に会話をして──。校門までの登り坂をどっちが速く登れるかなんて、競い合う。それが、私には嬉しくて。
朝から自転車で掻いた汗もキラキラと光って行くみたいで。私は、二学期こそ結くんと同じクラスメートになりますようにって……。実は、鼎神社にお詣りに行って居た。その時に葉月さんから、ご祈祷済みの御守りをもらって居て。私は肌見放さず持って居た。
駐輪場では、あっちの世界と同じ場所に結くんの自転車を停める様になって居て。
私は、停め終えた自分の自転車に鍵を掛けてから、結くんに駆け寄った。
「結奈、悪い。本気出して……」
「なーに? ふふっ! 結くんが元気そうで安心したよ? 心配してたんだからね?」
「あぁ。俺も早くこの世界に馴染める様に頑張るよ」
(──キーンコーン、カーンコーン……)
ちょうど、その時。朝のホームルーム五分前のチャイムが鳴った。見上げると、校舎の時計の針は──八時二十五分。……まずい。
「結奈っ! 急ぐぞっ!」
「うん!」
◇
あれから、旧クラスでのホームルームには、遅刻せずに間に合った。記念すべき二学期の初日を清らかに過ごせて居ることに、私は満足して居た。
それから、体育館への移動があって。
私の教室の窓際の廊下を、今は別クラスの結くんが通らないかな……なんて、目で追って居た。
「ねぇねぇ? 鈴から聴いたよ? 結奈って、あの結くんと付き合ってるの?」
「え? いや、まさか、まさか! ただの噂だよー。付き合って居るのは、鈴と響くんじゃない?」
「そうなの? けど、見てたんだからね? 一緒に、登校してたじゃん?」
「いや、近所だし、部活が同じってだけで。そんな、そんな! アハハ……」
隣りの席の栄子が言うように──。見た目は付き合って居る様には見えても。正式には……。
体育館での始業式は、校長先生の長い長い話や、クラスの担任教師陣の紹介が終わりを迎えた頃、私は二階の観覧席の窓の光を見つめながら、欠伸をして居た。まだ、スッキリとしない頭の中が眠気でボンヤリとするのは、結くんの言うように、この世界の重力のせいなのかも知れない──。なんて、想って居た。
だけど、あっちの世界には居た吹奏楽部の元顧問の瑞穂先生の姿は、やっぱり見当たらなくて。こっちの世界に戻って来られたことを実感しつつも、何処か寂しさを感じて居た。
(──あ、そうだ。クラス替え……。鈴と響くんと結くんと私と、そんな奇跡……起こらないのかな?)
あっちの世界じゃ、割りかし願えば思い通りになっていたことも、こっちの世界では、中々に難しい。またしても、重力のせい?──なんて想ってしまった私は、グーパーをしながら、手のひらを見つめて動かして。魔法が、もしかして出ないかなんて試して居た。
(──魔法。なんて、出る訳ない……か)
それから、結くんからの〝付き合ってくれないか?〟みたいな台詞を想像して。そんな出来事が二学期中の、いつでも良いから起こらないのかなって、とっても青春して居る放課後のシチュエーションを期待して。いつの間にやら、体育館での始業式が終わって居た。
◇
教室へと戻ると──。皆の様子が明らかにザワついて居るのが分かった。
「あー、安藤くんと同じクラスにならないかなぁ」
「いや、宝積くんでしょ?! そこは!」
「え? もしかしたら、もしかして? 期待する?」
……私だって同じだから。お目当ての男子は違っても、その辺りの女子たちの気持ちは、良ーく分かるつもりだった。
ところが、同じクラスメートが、どの組に行くとかは分かっても。違うクラスの子たちが、どのクラスに行くのかなんて分からない。
おまけに、文系? 理系? それとも、混合?──って言うのが、担任の表情を伺ってみても読み取れない。
私は、葉月さんから貰った御守りを握りしめ、マニカさんにこっそりと教えてもらった秘密の呪文? みたいなのをブツブツと心の中で唱えて続けていた。これで、結くんとの未来の運命が決まるんだから、このクラス替えは本当に一大事だった。
「やっぱさ? 上坂くんだよね?」
「だよね? 分かるー! 目の保養?」
「ね? もう、それだけで良いからさぁ」
「付き合えなくても、一緒ならって」
「そう! それっ! あー、もう、ドキドキするー!」
女子たちの言う〝上坂くん〟とは、もちろん〝結くん〟のことだ。
私は同じ部活で、鈴や響くんが私や結くんと下の名前で呼び合うから、普段は怪しまれないけれど。ここぞって時にはバレる可能性があることを私は恐れた。
私は耳を塞ぎながら、女子たちの結くんへの強い憧れと、熱い熱い気持ちを身に沁みて感じて居た。告白するなんて、とても恐れ多くて。しかも、結くんからの〝付き合ってくれないか?〟を期待して想像するなんて。
◇
新しい教室に着いたのは良いけれど。まだ、クラスへの移動が始まったばかりで。鈴や響くんには、会えていなかった。
「あー、もう。怖いよぉ。どうしよう……。皆、同じクラスに来るのかなぁ……」
元クラスの担任からは紙が渡されていて。書かれてあるクラスと番号を頼りに、新しいクラスの席に着いた。
次々に教室にやって来る新しいクラスメートたちに冴えない返事をして。それとは逆に、私の願いが叶う瞬間を心待ちにしてて。私の心臓は思い掛けないほどにバクバクして居た。
「おっ! 結奈っ! 奇遇だな? 同じクラス?」
「響くん!!」
まずは、ひとつめ。取り敢えずの響くん。なんて言ったら、鈴に怒られるかな。……怒られるよね。けれども、響くんに出会えた私は、一気に気分が上がった。
「いやー! 良かったよ、響くん!! 取り敢えず出会えて!!」
「取り敢えず? い、痛いって! あんまり、バシバシ叩くなよな? 鈴じゃあるまいし」
「いやいや! 安心の響くんだよぉ!」
「そっか? うーん、分からんような、分かるような?」
いつもの部活のノリで響くんと話していた、その時。ちょっとだけ、嫌な視線を感じた。
(──うっ。突き刺さる、視線……)
響くんは、これでも女子たちから人気があって。取り敢えず、部活以外では注意を払わないと後が怖い。まぁ、鈴は、その辺──要領の良さと気の強さで持ち堪えて居るみたいだけれど。
私は、そっと……響くんから離れて元の席に着いた。
「ん? どうした? 結奈?」
「良いから、良いから! それより、席、確認したの?」
「あ、まだだったよな。えーっと、この番号って、どの席なんだ?」
──と、響くんが自分の着くべき席を探している途中で。聞き覚えのある元気な声が聴こえて来た。まさかって、想った。……鈴だ!
「やー、もう! 結奈っ!! 部活ぶりー!!」
「部活ぶりって! 鈴っ!! 会いたかったよー!!」
「きゃー! 私もー!!」
「な、なんか入りづらいな。女子トークってヤツ?」
「あ、響くん!! すっごい!! 叶った、叶った!!」
「え? どういうこと?」
「いやぁ。鼎神社の、おまじないと御守りだよー! 内緒にしてて、ごめん! 結奈っ!」
「え? 鈴も?」
「ん? じゃあ、結奈も?」
「えっと、二人とも、どういうこと……?」
「「──男子には、内緒っ!!」」
私と鈴の二人に気圧されて、戸惑っていた響くんだったけど。何かをみつけたみたいな表情で、目が一瞬の輝きを放つのを私は見逃さなかった。
「結ーっ!!」
響くんのその声に、周りの女子たちが一瞬にして騒然となった。いや、本当の意味で心臓が波打つほどドキドキし始めて居たのは、私だけ……なのかも知れない。
「響? 俺、クラス……ここで合ってる?」
「おっ! 俺と同じクラスだなっ! 結っ!!」
「え? 四人とも同じクラス?! 凄くないっ?! ねぇ、結奈っ!!」
「う、うん……」
私は急に、結くんを意識し始めてしまって。何だか、恥ずかしくなって俯いてしまった。それから、本当に叶ってしまった鼎神社のご利益って凄いんだなって想って。……また、葉月さんやマニカさんにお礼言わなきゃって想ってた。
「結奈? 同じクラスになれて、良かったよな?」
「結くんは? ……良かったのかな?」
「そりゃ……。そうだろ? 結奈は違った?」
「ううん。……私も?」
何だか、モジモジとした私の空気に──。いつの間にか、察した鈴と響くんが、別のクラスメートたちへと、挨拶周りを初めて居た。なんか二人が、最早、夫婦みたいに見えた。
「結奈。放課後、空いてる?」
「え、えぇ? な、なんて?」
「だから、放課後……。空いてるかって」
「あ、空いてるよ? きょ、今日は始業式だけだから……」
「あ、そっか。今日は、初日だから部活も自由参加だったよな?」
「え? なに? 部活の話?」
「いや、そうじゃなくって……」
今度は、何だか結くんの方がモジモジした雰囲気で。傍に居たら、結くんが何かを話しそうで恐くて──ドキドキして。胸の高鳴りが抑え切れ無かった。
「じゃあ、放課後……。部活で。またな、結奈──」
「え? えぇっ?! 結くん?!」
結くんが意味深な言葉を残した後──。新しい担任の先生がガラガラと音を立てて、扉を開けて入って来た。
鈴も響くんも私も慌てて新しい席に着いて。結くんは、私のちょうど斜め左前の席で──。ボンヤリと南側の窓辺を眺めながら、頬杖を突いて……運動場を眺めて居た。
──完──




