21.さようなら、もう一つの世界。
「──今日は皆さん有り難う御座いました。後は皆で無事に元の世界に帰れる様……よろしくお願いします」
結くんは話し終えた後、もう一度丁寧にお辞儀をしてから、その場に座った……。
(──パチパチパチ……!)
皆を照らす蝋燭の炎が揺らめく中、自然と沸き起こった拍手が鳴り止んだ。少しの間、元の静寂が訪れて外の祭囃子の音や人混みで賑わう声が聴こえた。
その時、一瞬。私の隣に座って居た結くんが床に手をついて──胸を抑えながら苦しそうにして居た。
「……うっ! ハァハァ……」
「お、おい! 大丈夫かっ! 結っ! 身体が薄く──」
「大丈夫だよ。響……」
私より素早く立ち上がった響くんが、結くんの背中を擦りながら、顔色や表情を伺って居る。徐々に結くんの身体が急速に薄くなって行くのが、私の目にも明らかに見て取れた。
「時間が……無い」
床に顔を伏せて、結くんがポツリと呟いた。私も結くんの顔を覗き込むと、額には冷や汗が光り……苦しそうに結くんは目を閉じて居た。
「マニカ!」
「……葉月。大丈夫だよ、分かってる。……皆! 軽く目を瞑ってから少し唇を上向きにしながら祈ってくれないかな?」
「でも、マニカさん! 結くんがっ!」
「落ち着いて、結奈ちゃん。今から摩尼伽さんを呼び出して、鼎さんの力を最大限に高めてから──結くんを元の世界に連れ帰るから」
見渡すと──。皆も心配そうに結くんのことを見つめて居た。気が気じゃないのは私だけじゃなくて……。皆だって、居ても立っても居られない空気なのが自然と肌に伝わった。
それから、ほんの少し……結くんの呼吸が穏やかに落ち着いて来て居るのが感じられた。薄くなっていた身体が、また元の結くんの身体に戻ろうとして居た。
「……結奈、ありがとう。俺は、何とか持ち堪えるから。その代わり」
「え?」
「傍に、居てくれるか?」
「うん、分かった。大丈夫だよ、結くん……」
落ち着きを取り戻した私と結くんを見計らって、響くんが元の場所に座った。
その後、鈴が小声で響くんに何かを言ったみたいだった。
「ね、ねぇ? 結くんが非常事態なのは分かるけど、目を瞑って唇を突き出すのって……」
「ば、馬鹿っ! そんなこと考えて居る場合かっ! 言われた通りにやるんだよ! さ、早くっ!!」
何かを察した響くんの声だけが、この場所に響いて──。皆が自然と目を瞑ってから唇を上向きに突き出して……。神聖な祈りの空気が漂い始めた。
(こ、これって……。何か──、キス顔? ……みたいな?)
「俺たちも、やらなきゃだよな?」
「えっ?! む、結くんっ?!」
結くんに〝傍に居てくれるか?〟って言われた手前──。それを承諾した私は、結くんの傍から離れる訳にはいかなかった。け、けど……。突然、〝やらなきゃだよな?〟って、結くんに言われた私は驚いて──ドキドキして。……心臓の鼓動が止められなかった。
「これって、キス顔みたいにならないか?」
「そ、そうだよね……」
少し身体の状態が落ち着いた結くんは、額に汗を浮かべながらも──。軽く目を瞑ってから、唇を上向きにして居た。
私は結くんのその横顔を見て居るだけで、胸の高鳴りが抑え切れそうになかった。これって、これって──もう……。私は冷静な自分には戻れなかった。辺りの空気がシンと静まり返り、自分の鼓動だけが波打つ様に感じられて。気が……変になりそうだった。
(──む、結くん……)
私も目を瞑って唇を上向きにして……。少しずつ、少しずつ──自然と引き合う様に、惹かれ合う様に……。身体と心が、近づいて。髪が肩から零れ落ちて、私のワンピースが膝より少し上にあがって──。そんなのが気にならないほど、床に突いて居た私の手が汗でキュッと鳴って。
それから──。触れたんだと想う。ほんの少しだけ。柔らかかった。そこからの、その先は──。
「はいっ! 皆、目を開けて! それから、隣りの人と手を繋いで!」
──マニカさんの声が聴こえた瞬間。ハッとして気がついた。
ふっと、静かに瞼を開いた結くんの目と──私の目が。至近距離で見つめ合う形で、時間が止まった様にして固まってしまった。結くんの唇から離れた私の唇が、震えて居た。
「……結奈?」
「あ、手、手を繋がなきゃだよね……」
「ありがとう」
「え?」
結くんの言葉に、思考が追いつかなくて。頭が真っ白になりそうになる中──。
ボンヤリと床に映っていた蝋燭の炎が勢いを増して。円になった皆の中央に、幻影の様な白い人影が浮かび上がり始めた。その場に居る皆が一瞬、騒然とした。
「摩尼伽さん! 鼎さんの力の顕現と共に、この世界から私たち七人と神隠しに遭った結くんを、どうか救い出して下さいっ!!」
マニカさんが叫ぶ中──。私の隣に居た結くんの向こうから、落ち着いた声が聴こえて来た。
「結……。手を繋ぐのって、いつぶりだろうな?」
「……兄貴」
結くんの隣に座って居たお兄さんのツナグさんが、ふっと笑った。それを見た結くんは、何処か懐かしい表情を浮かべて居て。ツナグさんの差し伸べた手を結くんはそっと握って居た。それは、まるで──、結くんが小学六年生の時に戻ったかの様な。そんな姿に見えた。
──けれど、空也さん、葉月さん、マニカさんたちが自然に手を繋ぐ中……。私の視界の端で、もたついている二人を見た。鈴と響くんだ。
「手! 手だよ、手っ! 鈴っ! 早くっ!!」
「響くん、わ、分かってるって! は、はい、手!」
「お、手、に、握るぞ……?」
「は、はい! ど、どうぞ!!」
そっかぁ……。二人はデートなんかしてても。手を握るの、初めてなんだ。──と、そんなニヤニヤ浮ついて居る場合じゃ無かったよね。わ、私も結くんと手を繋がなきゃだし。結くんには時間が、もう……。
チラッと横目で隣に座る結くんを見ると──。
結くんが口元に笑みを浮かべて、私に手を差し伸べて居た。
「結奈……」
「う、うん……」
何度か触れ合って、実際に握ったりもした結くんの手。薄くはなっていない……。色んな出来事があって、その度に私と繋いでくれた結くんの手。見ると、ほんの少しだけ土が付いていた。
雨降りもあったし、神社の境内で倒れたりもしたし……。でも、それって私も同じなんだって想って。自分の手のひらを見つめると、結くんと同じ様に土がこびり付いていた。
すると、私の手のひらに結くんの指先が、少し触れた様な感覚を覚えた。
「結奈の手、温かい」
「え?」
「俺、元の世界に帰れるんだよな?」
「も、もちろんだよ! そ、その為に私、この世界にまで来たんだし」
「そうだったよな。帰っても、結奈のこと……忘れないから」
「む、結くん……。わ、私も。忘れない──」
そっと手のひらの上から触れた結くんの手は温かかった。柔らかくて、今日までの結くんのこと忘れないって想った。そして、これからも、元の世界に帰っても。ずっと……。
私は恥ずかしくなって、少し俯いた。
──やがて、皆が座ったまま輪になって手を繋ぎ終えると。
より一層、部屋の周囲を照らす蝋燭の炎が、ゴオッと音を立てて高まった。皆が輪になって居る中心へと目を向けると。白い人影が、ユラユラと蜃気楼の様に立って居たそこには、十二単衣の様な荘厳な衣装と金の髪飾りで着飾った摩尼伽さんが、スーッと音も無く……その場に現れた。
驚いた鈴と響くんが、あまりのことに震える声で座って居る足を投げ出した。
「か、か、神様ぁっ!?!」
「つ、連れていかれるぅっ!?!」
チラッと横目で鈴と響くんを見た摩尼伽さんは、口元に笑みを浮かべて居たかと想うと、堪えきれずに笑い始めた。
「アッハッハ!! 驚かせて済まない。が、その様な者では無い。ただの人ぞ?」
それから、摩尼伽さんは音も立てずに結くんの目の前に立ち、真剣な眼差しで話し始めた。
「汝、名は結。上坂の兄ツナグの弟。間違いないな?」
久しぶりに会った摩尼伽さんは、時代が私たちとは違う存在なのか、話し口調や言葉使いが、相変わらず昔の人みたいだった。
私は摩尼伽さんの美しさにボーッと見惚れて、最初にこの世界に来て摩尼伽さんに色々と教わった日のことや、マニカさんと一緒に駅員さんとして登場して居たことを思い返して居た。
「はい。五年間、幼少時よりこの異界を彷徨って居ました」
「鼎石による神隠し、此度の巻き添えの件。済まなかった。我が霊力と結と七人の縁を以って、そなたを掬い上げる。良いな?」
「どうか、よろしくお願いします」
結くんは流石だった。異性として摩尼伽さんに見惚れてしまう訳でもなく、その荘厳な雰囲気や神聖さに気圧され臆する訳でもなく。
いや──。よく見ると、また、結くんの身体が薄まって来て居た。私は安堵していた自分を責める様に急激に不安になり始め、心配になった。
何かが腑に落ちたのか、摩尼伽さんは幾重にも重なる美しい十二単衣の着物を、くるりと返して、今度はマニカさんや葉月さんに向き直った。
「ふむ。マニカ! 葉月! 空也! ツナグ! 準備は整ったか? そなたたちの想いの中に溢れる神楽の音色に舞い、そなたたち八人を無事に元居た世界へと帰す! では、今より〝帰魂の儀〟を執り行う」
コクりとお互いの顔を見合わせたマニカさんと葉月さんたち四人。繋いで居たその手の方から、私の手まで何か振動の様なものが伝わって来た。
思わず結くんと繋いだ手を離しそうになった瞬間──。
「皆! 手を離さずに心の声を聴いて!」
そう、マニカさんが叫んだかと想うと、再び私たちの目の前に、八角形の魔法陣と星が──青白い光を放って現れた。
(──心の声?)
そう想って耳を澄まして居ると、ハッキリとお神楽舞の音色や歌声が聴こえ始めて来た。そして、その音色や歌声に合わせて──摩尼伽さんが私たちの目の前を幻想的に舞う姿に目を奪われた。
「幾年、幾月隔てても尚夢に見る夜ごとの儚さは、現し世に生まれ落ちたる人の儚さ。いずれ離れ別れるならば、せめて今この時をともに生きる。目覚めの時に眼を開き、世界へと帰る者たちなり……」
その言葉の後──。摩尼伽さんが扇子を広げて下から上へと煽り始めると。座って居た私たちが、まるで暖められた空気の様にして……どんどん、どんどんと、上へ上へと昇って行った。
「きゃ、何これ?! 響くん!?」
「俺の手を離すなっ!! 鈴っ!!」
どんどん身体が持ち上げられることに、驚いて居た鈴と響くんとは対照的に──。葉月さん、空也さん、マニカさん、ツナグさんは黙ったまま天井を見上げて居た。
──すると、黒い大きな円が水を湛えた様に天井に広がり、それが鼎石から放射された虹色の光を受けて揺らめいて居たのが、私の目には鮮明に見えて居た。
「ありがとう。結奈。これで帰れるんだよな、俺。もう、一人じゃないよな」
「そうだよ。結くん。結くんは、一人じゃない。これからも、ずっと一緒なんだから……」
何だか、愛の告白?──みたいな言葉を、その時は気づかずに言ってしまったことを私は知らなくて。
手を繋いだ結くんや皆と、元の現実世界に帰れることに──ふわふわと浮き上がる身体とともに、心の中までもが軽くなって行くのを目を瞑って感じて居た。
「さようなら、もう一つの世界……」
「え? 結くん?」
私は結くんの目に光る涙を見て、胸が熱くなるのを感じた。
「さようなら、結くんの居た世界……」
私は自然と溢れた涙が頬を伝って行くのを、そのままにして居た。




