19.仲の良い誰かが隣に居る日。
──拝殿の奥。木の太い柱が何本もあって、私たちは葉月さんに案内されるがままに、ご祈祷をする場所に辿り着いた。途中、渡り廊下を幾つも通り抜けた。大人数でのご祈祷ともあって、最初に私がご祈祷を受けた場所よりも随分と広い場所に連れて来られた。床や壁の木材は、どれも磨き抜かれて居て、朝の神々しい光を宿して居る様に見えた。
「お、大きい……」
思わず立ち止まった私が、そこで目にしたのは──。その場所の中央──上座に位置する祭壇に祀られていた黒光りした石の塊。両手で抱えても重そうなほどの。深い漆黒の艶が、差し込んで来る朝の光を吸収して七色の虹の様な光彩を放って居た。
「さ、始めようか?」
「は、葉月? 俺の神主デビューは?」
「時間無いから。また今度。今日は省略で」
「え、えぇ……?」
「マニカ、お願い」
「うん。じゃ、皆。円になって適当に座ってくれるかな?」
残念そうな神主姿の空也さんを他所に──。
葉月さんの呼び掛けに応じたマニカさんの言葉に、皆が等間隔に間を空けて座った。大きくて柔らかそうな座布団の上に、男の人は胡座で女の人は正座。それぞれが、それぞれの顔を見渡せる様に円になって居た。
「あ、そこ。結奈ちゃんの隣。一人分、空けてくれるかな?」
「え?」
「結くん、連れて帰るから」
「は、はい」
皆の隣には、それぞれに仲の良い誰かが座って居た。けれども、私の隣には誰も居ない座布団が敷かれて居て──。そして、その一人分空いた座布団を挟む様にして、結くんのお兄さんのツナグさんが座って居た。
「きっと、帰って来るよ」
「……はい」
ツナグさんの言葉が静かに響いた。私は頼りなく返事をした。
朝の光は差し込んでは居たけれど、祭壇が組まれた私たちの居る場所は、神社の中でも奥まった場所で仄暗かった。
結くんに何処となく面影が似ている、ツナグさんの表情が真剣だった。
◇
「……来たれ。我らと時を同じくすべく生まれ、世界を違えた待ち人よ。名は結。七人の縁は星に光り、欠けた一人の輝きを求め空を流れる──」
マニカさんが呪文の様な言葉を口にした途端、目の錯覚だろうか……。円を描いて座る私たちの目の前に、青白い光の筋が現れ──八角形の魔法陣が星の様に結ばれ、最後は誰も座って居ない──結くんが座るべき場所へと伸びた。
「うわっ! し、神秘的……」
「お、おい。鈴! 静かに──」
振り向くと──。驚いて、思わず言葉を発した鈴の顔が、青白い光に照らされて居た。同じく隣に居た響くんが、鈴に声を掛けた瞬間……。二人の姿が、一瞬にしてこの場から消え去った。
「え?」
信じられなかった。言葉を口にする時間も無く──。見渡すと、ほとんどの誰もが姿を消して居た。最後に見たのは、結くんのお兄さんの俯いた真剣な眼差しと横顔で……。ツナグさんが消えた瞬間、私は一人──。その場に取り残されて居た。青白く光り、結ばれた八角形の星が、木の床の上で神聖な輝きを静かに放ち続けて居る。
「え、嘘? 私、一人? 結くんに、会えない?」
キョロキョロと、祭壇や辺りを囲む太い木の柱を見渡して居ると──。中央の祭壇にお祀りされた石が突然光り、思わず目を瞑った私は、急に床が抜けて落とし穴に嵌ったかの様な感覚に襲われた。
「きゃっ!!」
暗闇──。まるで、落下する悪夢だった。ただ、夢と違って居たのは……。とてもとても長い時間、落ちて行く感覚に襲われて居たことだった。
「あ……う、あ……」
気が変になりそうだった。言葉が出ない。意識が消えてしまう──。なのに、制服やスカートが風を受けたみたいに飛んで居た様な感覚がして……。頭の上が眩しくて、その先に落ちて行くのは確かだった。
「光り──?」
視界の中が青い光に包まれた。風の勢いで、落下の風圧を感じた。白い雲と太陽の光が見える──。
地平線や水平線が、この地球の輪郭を象って居るのを初めて見た。けれども、瞬きをする度に、地図が圧縮されたかの様な風景に切り替わり──。どんどんと、地上が見えて来た。なのに、不思議と怖さは無かった。
「あれ? 私?」
最後に見えたのは、砂利が敷かれた場所で倒れて居る私自身の姿だった。
白のワンピース姿……。
それは、結くんと最期に生き別れになってしまった、あの日の──五年前の小さな鼎神社の境内で倒れて居た私の姿だった。
◇
「結奈! 結奈っ! しっかりしろっ!!」
「うーん……。誰?」
ザラザラとした砂利と、少しヒンヤリとした土の地面を肌に感じて居た。
誰かが呼んで居る──。
懐かしい声、聞きたかった声。何処か、欠けていた何かが、しっかりと組み合わさった様な存在感──。
朧気な意識の中で、私は、薄っすらと瞼を開いた。
見覚えのある白いカッターシャツに浮かぶ、その顔と表情が……蜃気楼を見るみたいにして揺れて居る。はっきりとは分からない。誰かの温かい手のひらの温もりが、しっかりと私の手を握り締めて居た。──そして、段々と、ボヤけていた視界が少しずつ鮮明になって来た。
「結奈っ!!」
「……む、結くんっ?!」
驚いた。まさかだった。会えないかと想って居た。ずっと、会いたかった……。
私の頬を伝って行くのが、自然と涙なんだって分かった。
無意識に手を伸ばした先には、はっきりと覚えて居た結くんの懐かしい顔が──、そこにはあった。
手のひらに触れた結くんの頬は、温かかった。そして、蒸し暑い夏の夕暮れ時の涼しさも、響き渡る蝉の鳴き声さえも……懐かしかった。
「私、戻って来れたんだ……。結くんの居る世界に」
「戻って? 結奈、一体……」
「先にね。元の世界に戻ってたの。けど、結くんに、会いたくて……会いたくて」
「そう……なのか」
結くんの手が私の上半身を支える様にして、ようやく……私は身体を起こして座ることが出来た。
結くんの手が私の手を更にぎゅっと強く握り締めて、私も同じ様に強く──結くんの手を握り返した。
「一週間……。長かったよ?」
「俺には……ついさっきの出来事みたいで。驚いたよ」
「つい? さっき?」
結くんのその言葉を聴いて──驚いたのは、私も同じだった。
私は立とうとしたけれども、上手く足に力が入らなくて。もう一度、その場に座り込んだ。結くんの心配そうな眼差しを、私はずっと瞬きをしながら見つめて居た。
「あの後、鼎神社の小さな石の欠片の光に吸い込まれて……。気がついたら、また、同じ場所に立って居たんだ」
「同じ場所?」
「あぁ。けれども、結奈も──、小学六年生だった俺も結奈も居なくて」
「どう言う……こと?」
「もしかしたら、時間を……超えたのかもしれない」
「じゃあ、この場所は──?」
「同じ小さな方の鼎神社。けど、いつの時代かは。……うっ!」
私を心配そうな眼差しで見つめて居た結くんの表情が一瞬──。何処か身体の痛みを感じたのか、目を瞑ったまま、その場に片膝をついて屈み込んだ。
「大丈夫っ?! 結くん?!」
「……ごめん、結奈。時間が、あまり無いのかも知れない……」
見ると、結くんの身体が一瞬、薄くなった様にも見えて……。また、いつもの結くんの姿に戻ったりを繰り返して居る。
「やっぱり、結くん、帰らなきゃ! もう、この世界には居られないんだよっ!」
「そうだな。けど、どうやって……」
私は元の現実世界に戻って、皆が結くんを連れ帰る為に、この世界に来て居ることを結くんに話した。もちろん、結くんのツナグお兄さんのことも。まだ、会えては居ないけれど、この場所の近くに皆が居るんじゃないかって。
──座り込んで居た私は、その時。手のひらと地面との間に、不思議な違和感を感じた。ふと、手の先を見ると、あまり見慣れない小さな茶色の小瓶が二本。私の手の中にあった。
「え? ま、魔法っ?! ……こんな時に」
「ハァハァ……。やっぱり、この世界は……変だよ。結奈の居た世界は、こんなことにならないだろ?」
「そう……だけど。なんか、液体? 入ってる」
「なんか、ドリンク剤みたいじゃないか? ハァハァ……」
「えっ?! い、いや……。な、なんで出て来たんだろ? ご、ごめん」
恐る恐る──。私は手にしていた二本の小瓶を、座ってワンピースの膝の上に置いてみた。
──ラベルが貼られていて、何かが、そこには書かれてあった。何が書かれて居るのかな……。私は結くんの体調の悪さを気にしながらも、その茶色い小瓶へと視線を落とした。
〝結くん元気になって一緒に帰ろ! 大好きだよ!!〟
「ふえぇっ?! うわわわっ!!」
「ハァハァ……。な、何? どうしたの、結奈?」
「い、いや! なんでもないからっ! ちょ、ちょっと待ってて! 結くん!! ふ、蓋を開けるからっ!!」
とても、しんどそうな表情の結くんを気にしながらも、私は慌ててラベルを剥がした。全部は上手く剥がれなかったけれど、書いてあった文字の部分だけはどうにかなった。そんなことをしてる場合じゃない──。そう想いながらも、急いで瓶の蓋を開けて匂いを嗅いだ。市販のエナジードリンクの様な甘い匂いがした。
「……だ、大丈夫みたい。エナジードリンク? ……みたいな」
「結奈の中から出て来たんだから……ハァハァ。大丈夫だろ……信じて飲むよ」
「な、中からって……」
私が蓋を開けた、エナジードリンクの茶色い小瓶を結くんに渡すと──。結くんは喉がカラカラに渇いて居たのか……ゴクリゴクリと大きな音を立てて、一気に飲み干した。
私もラベルを手で持って隠したまま飲んで──。飲み終えた空瓶は、赤いポーチの中に素早く仕舞い込んだ。けれども、空瓶はその瞬間に何処かへと消えてしまった。
「……ありがとう。結奈、生き返ったよ」
「よ、良かった! わ、私も……」
まるで、何事も無かったかの様に──。結くんは、額の汗を拭う様にして、立ち上がって空を見つめて居た。私もホッと胸を撫で下ろして……ようやく、立ち上がることが出来た。なんだか、照れ臭くて……少しだけ地面と足元を見つめて居た。
「そっか。兄貴も俺のこと──向こうの現実世界で思い出してくれたか」
「え?」
「こっちじゃ、俺が居ることが当たり前で。誰も俺が神隠しで消えたことを認識出来なかったんだ」
「元の世界に戻る条件は──、現実世界の誰かに思い出してもらえることだったの?」
「そう……。だから、結奈が来た。それから、兄貴たちも……ようやく来てくれた。いくら鼎神社の巫女さんでも、こっちからアクセスするのは難しいって言われて居たから……」
気が付くと──。私の指先が結くんの指に触れていて、夕暮れの日の沈みかけた空に、お月様が輝き始めたのを二人で見上げて居た。
「さっき、結奈に出会う前に──。見たんだ。空に流れ星が幾つも別れて落ちて行くのを」
「もしかして──?」
「あぁ。……兄貴たちかも知れない」




