16.目覚めた場所。
「え? ……ここは?」
目が覚めると──。
私は、何処か見覚えのある神社の本殿の中で座って居て。
古い柱の木の匂いが煙に混じって、お香の薫りがした。目の前には、私がご祈祷を頼んだ綺麗な巫女のお姉さんが居た。
「どうだった?」
「いえ! あの、その……。会えました」
切り揃えられた綺麗な髪と巫女衣装に身を包んだその人が──、私の顔を覗き込む様にして微笑んで居た。私はハッとして……今までのことを急に想い出した。
ここは、鼎神社。大きな方の。そして──。
あの夕暮れ時に、小さな方の鼎神社で地震と不思議な出来事が起きた……きっかけとなる出来事が起きた場所。それは、消えたあの男の子──同じ高校生のあの人の口から聞いた。そう、名前は──。
「結くん……居た。確かに、居たんです! 五年前に消えた、あの子が!!」
「うん。そうね……。話は聞いてる。確かに、そうだったみたいね。……ごめんなさいね」
ごめんなさい? どうして、この人が謝るんだろう? 何故か不思議だった。
そんなことを想い、ふと後ろを振り返ると──。
神社の木組みで出来た屋根の下から、早朝の青空が見えた。
夏休み──。そうだ、私は五年前に消えた結くんに会える様に……何とかして神様に頼んで会わせてもらえる様に──この鼎神社に来たんだった。
「あ、あの! 本当に会えたんです! 五年前に消えたあの子が、高校生になって!!」
「うん。少し落ち着こうか、結奈ちゃん。結奈ちゃんは、何も悪くは無いから」
私が座った姿勢から身を乗り出す様にして、その巫女さんに近付くと──。ふわっと、お香の良い薫りが私の鼻をくすぐって……。巫女衣装の振り袖から伸びた白い手が、私の両の肩にポンと置かれた。結奈ちゃんって呼ばれるのは、高校生の私には少し気恥ずかしかった。
「私は金森葉月。この鼎神社の巫女でもあり神主だけど、鼎石を触媒にしているだけで石の力を直接扱える訳じゃないの。摩尼伽とマニカに会ったでしょ? 思い出せた?」
「は、はい! 綺麗な人たちでした。髪が長くて瞳がパッチリしてて。あっちの世界の橋渡し役的な……? 駅員さんとか。あの人たちって……」
「そうそう。橋渡し的な役回り頼めるのって、同じ巫女でも摩尼伽とマニカだけなんだ。私は直接あっちには行けないから」
「あ、あの……。あっちって?」
「うん。あの世的な? 何だろう。想いの世界──みたいな? 人が行き着く場所だよ」
私は、それを聞いてゾッとした。私が、さっきまで居た場所──それは、あの世? 彼岸とも言える場所。そんな場所に、私と結くんは居たんだ。でも、どうして? 響くんや鈴も居たんだけど……。けど、本体の私はずっとこの鼎神社に居て──座って居たみたいだけれど。
私は鞄から携帯電話を取り出した。画面に表示された時刻は、此処に来た時刻とそう変わらなかった。私が携帯電話の画面をマジマジ見つめながら居ると──。葉月さんの声が聴こえた。
「結奈ちゃん、ちょっとだけ目を閉じて居てくれない? と言っても形式的なものだけど」
「あ、はい」
私の頭の上に鈴の音が響いて、四手を振る心地良い紙の音が聴こえる。それが終わる頃には、ほんの少しだけ〝あっち〟の世界を彷徨っていた疲れが癒された気がした。
目を開いた私は、胸に引っ掛かっていたことを二つ──。思い切って葉月さんに聞くことにした。
「あ、あの! ご、ご祈祷の間、あっちで──今も生きて居る学校の友だちに会ったんですけど……。そ、それは、何故なんですかっ?!」
ご祈祷の一部始終を終えて──。白い足袋を履いた葉月さんの足元が、畳の上でピタリと止まった。それから、やがて……。葉月さんは、私の直ぐ目の前で改まって正座をした。凛とした瞳で、私を見つめる葉月さんは綺麗だった。
「……そうだね。夢の中では意識が繋がるからね。〝存在〟としては生者も死者も同じ。想いは情報や記録として、〝あっち〟の世界を彷徨うんだよ」
「……は、はぁ」
「言ってること、難しいかな?」
「あ、あの。つまり、夢の中では……生きている人も、そうじゃない人も……会えるってことですか?」
「まぁ、そうなるよね。簡単に言うと」
じゃあ、つまり。響くんや鈴も結くんのこと──、覚えてたりするんだろうか? それとも、夢だったら忘れる?
私は疑問に想いながらも、再び葉月さんの目を見つめて──ゴクリと、息を飲んだ。私は畳に手をついて身を乗り出すと、二つめの疑問を口にして居た。
「あ、あのっ! む、結くんを救う方法はあるんでしょうかっ?!」
私の言葉の後に、少しの沈黙があって……。早朝の空気の澄んだ神社の境内に、夏の風が吹いて──頬を掠めた。制服のリボンが風に揺れた気がして、チチチ……と、小鳥たちの鳴き声が聴こえた。
葉月さんは、一瞬目を閉じたかと思うと、そっと瞼を開いて静かに話し始めた。
「……どうしてもね。自分の命に変えても〝会いたい〟って想う気持ちが大事なの。それと、一方通行じゃ駄目。結くんって子も、何に変えても結奈ちゃんに会いたいって想いがないとね」
私は、ふーっと息を吐いて、その場に座り込んだ。ふわっと、スカートが膨らんで……私は畳の上を見つめて居た。
「それから、もう一人。結くんをよく知る人で、結くんの想い出に強く残る血縁者が必要かな」
「血縁者……ですか?」
「そう。私もご祈祷の間、結奈ちゃんと結くんの世界を垣間見ていたの」
「え、えぇ?!」
私は、もう一度、顔を上げて──。葉月さんの真っ直ぐな瞳を見た。葉月さんは、ニコッと切り揃えられた綺麗な髪の毛を揺らして微笑んで居た。余計に恥ずかしかった。全部見られて居たなんて……。
「確か、結くんには……お兄さんが居たよね?」
「……あ、はい」
「私と結くんのお兄さんとは、幼い頃から交友があってね。まさか、〝星夜祭り〟の事故が──、あの時、小さな鼎神社に居た結くんと結奈ちゃんまで巻き込んで居たなんて……」
「そう……なんですか」
「でもね。未来は少しずつ変わり始めて居るよ?」
「どう言うことですか?」
「神隠しに遭い、誰からも忘れられて居た結くんの〝存在〟が、私たちに認識され始めたから──」
そう言うと……。葉月さんは、スッと立ち上がって──。携帯電話を取り出したかと思うと、誰かへと電話をして居た。
時折、「マニカ」とか「ツナグくん」って、人の名前が聴こえる。
二、三分ほど葉月さんが、巫女衣装のまま畳の上を行ったり来たりして居たけれど。程無くして、「じゃあ、よろしく。そう言う事だから」と、言って電話を切った。
「じゃあ、結奈ちゃん。一週間後に、また来てくれるかな?」
「は、はい……」
「結くんのこと、好き?」
「え、えぇ?! い、いや、あの、その、でも……」
私が、返事に困って、目を泳がせて居ると……。葉月さんが、凛とした表情で私を見つめたまま口を開いた。
「ごめん。けど、気持ちは強くしっかり持って居てね? それと……。星夜祭りの事故のせいで、結くんを神隠しに遭わせてしまったから──。私たちも、結くんと結奈ちゃんを助けてあげたいんだ」
神社の境内に朝の光がキラキラと差し込んでいて──。巫女衣装を着たまま立って話す、葉月さんの笑顔が眩しく見えた。
そうだ──。
ちゃんと願い通りに、私は五年前に消えた結くんに会えたんだ。それに、ここに来る前と違って、結くんを知って居るのは私だけじゃなくなった。誰からも忘れられて、最初から居ないことになって居た結くんの存在が──確かに戻りつつあるんだ……。
私は、そう想いながら、両方の手のひらをぎゅっと握り締めた。それから、お礼の気持ちを込めて、葉月さんに会釈した。
「葉月さん、有り難う御座いました。今から、学校に行って来ます。部活の友だちに会えば、何か変わって居るかも知れないから」
「うん。良いよ、そんなに改まらなくても。初穂料も、しっかりと貰ったからさ。そうだね……。きっと、今までとは違う。何かが変わり始めて居るから」
私は、それから──。自転車の籠に鞄を詰め込んで、颯爽とサドルに跨った。学校に向かって、ペダルを勢い良く踏み込み……鼎神社を後にした。
◇
──学校の敷地内にある、いつもの駐輪場。
自転車を飛び降りてから鍵を掛ける。鞄も忘れずに、肩に掛けてから勢い良く四階の視聴覚室まで駆け上がった。酷く蒸し暑くて、制服の中は汗ばんで居たけれど気にならなかった。朝から元気良く鳴く蝉の声も、何処か夏らしくて良いからなんて想って居た。
私が四階の視聴覚室へと続く廊下に辿り着くと、そこから何処か懐かしい声が二人分聴こえた。
「……ハァハァ」
「あ、おはよう! 結奈っ!」
「お? 来た来た。今日は、結奈より俺たちの方が早かったな?」
眼鏡っ子の鈴が、栗色の髪の毛を二つ括りにしたお下げ髪を背中に揺らして──。くるりと、私の方へと振り返った。響くんは私の姿を目にすると、橙色っぽい艶のある短髪を爽やかに掻き上げて──。そのスラッとした長身から、ふっと、私の目を見つめて笑った。
──私は、元気そうで仲の良さそうな二人の姿に、胸が踊った。
「鈴っ! 久しぶりっ!! 元気してた? 響くんも男前が上がったね! いやぁ、二人とも元気そうで何よりだよぉ!!」
「な、なっ?! ちょっと、結奈っ!! 朝から、めっちゃ元気だね?! ど、どうかしちゃった?」
「ま、まぁ、久しぶりって言うか。昨日ぶりだな、結奈? 元気が過ぎると言うか……。な、なんか良いことでもあったのか?」
私は、ほんの少しの間、〝あっち〟の世界に行って居た訳だけれど──。
何だか二人に、凄く懐かしさを覚えて。
時間旅行の後遺症とかって、小説か何かであった様な気もしたけれど。本当に会えたのが凄く凄く嬉しくて──。
──いや。よくよく考えてみると、響くんの言った通り。昨日だって夏休みの学校で部活で会って居た訳だし……。
そう思うと、何だか急に冷静に思えて来た。咳払いをしてから、自分の気持ちを落ち着けてから話そうと思った。
「ゴホンっ! あー、あー。えーっと……ですね」
「な、何だよ? 急に改まって。何か校長先生みたいだぞ、結奈?」
「え、えぇ……? ら、落差激しくない、結奈? どうしたの?」
「う、うん。……あ、あの、あのっ!!」
「な、何?」
「結奈?」
だ、駄目だ。何だか変だ、私……。自分の気持ちを抑え切れない──。
高揚していた気持ちとは逆に。今度は、あの事を響くんや鈴に尋ねようとすると……。瞳から自然に零れて、涙が溢れた。
「響くん! 鈴っ! 結くんの事って、覚えてるよねっ?! ねぇ!! ねぇっ?!!」
何だか、私だけ馬鹿みたいだった。
結くんが居ない世界──。夏休みのこの学校には、結くんは居なくて。同じ部活だったけれど、会えない事実を突き付けられると──。とめどなく、涙が溢れて来るのが分かった。
それは、キョトンと呆気に取られて……黙ったまま私を見つめて居る二人の顔を見ると、尚更だった。




