1.鼎神社の巫女。
「ここが、鼎神社か……」
石段の上を見つめる。見上げると、朱色の大きな鳥居が空にそびえ立つ。
地元とは言え、私の家から自転車で三十分ほど掛かる道のり。清々しい神社の朝の空気の中、私の制服の下は既に汗だく。最後の上り坂がキツかった。
砂利の敷かれた駐車場の脇に、ご神木なのか大きな樹が生い茂っている。その下に自転車を停めた。
(──カチャリ)
自転車のスタンドを降ろして、鍵を掛ける。
それから、意を決して石段を登る。
私には、あの日から──どうしても叶えたい願いがあった。
まずは、社務所らしき建物を探した。……直ぐに見つかった。
「……ご祈禱でしょうか?」
「はい。あ、あの。〝その他諸祈願 ご相談下さい〟って、ネットで……」
「では。本殿にどうぞ」
──腕時計を見ると、まだ、朝の七時半。にも関わらず、境内には参拝客の人たちが疎らに居た。
ふと、神社の境内を囲む木樹を見上げる。新鮮な空気。青空には飛び交う小鳥たちが鳴いている。
今日も快晴──。
(チチチ……ピヨピヨ、ピピピ──)
夏。
白い入道雲が沸き立つ。私は、そのせいであの日のことを想い出す。最近、上手く眠れない。
社務所で、ご祈禱の為の初穂料を収めた。高校生には、結構な金額。それでも、私は払った。
そう……。お祓いと言うよりも、私はこの日の為にお小遣いを貯めて──お願いをしにここに来たんだ。叶えたい願いの為に。
……誰にも見られてはいけない。辺りを見渡す。幸い、同じ高校の女子も男子も見当たらない。胸を撫で下ろした。
鼎神社──。参拝すると願いが叶い易くなるって言う噂。本当だろうか。社務所の巫女のお姉さんは綺麗な人だった。髪が短く切り揃えられていた。私も髪……切ってみようかな。この際だから。
「どうぞ」
「あ。はい」
さっきの綺麗な人。巫女さん……。私は本殿の畳敷きの広間に通されていた。お香が焚かれていて、良い匂いがした。
(──暑いな。制服脱いでシャワー浴びたい……)
けれど、この後。吹奏楽部の夏休みの練習があるから。このまま、学校に行かなきゃならない。私は、鞄を置いて正座した。足、痺れるかな。
「諸祈願の内容は?」
「い、いや、あの。〝待ち人〟……〝人探し〟……で」
「……そうですか。分かりました」
良縁や縁結びでも良かった。けど、何となく恥ずかしくて言えなかった。「言葉を濁す」なんて国語の授業みたいな言葉が一瞬、頭に浮かんだ。
私が一言話すや否や。それとなく察してくれたのか。早速、始められた。宮司さんか神主さんか、着物を着たそれっぽい男の人が太鼓を打ち鳴らす。
(──トン……トン……)
気がつくと。巫女のお姉さんが、太鼓に合わせて踊りを踊っていた。生まれて初めて見た。巫女のお姉さんは綺麗な顔してるのに。なんで、あんな澄ました顔して踊っていられるんだろうか。そうか。これが、お神楽舞い。現代社会の授業で習ったっけ。……お姉さんの鈴の音が鳴る。
(──シャン、シャン……シャラララララ)
とは言え。心の中で「これがご祈禱かー」って思った。そのおかげか、気持ちが少し軽くなった。巫女のお姉さんは相変わらず、無表情で踊っていた。その境内に響き渡る太鼓と鈴の音に、私も無になって目を瞑って祈った。
「……会えますように……」
……思わず口にしてしまった。手を合わせた。願いは届くんだろうか。
──太鼓を鳴らす男の人と踊っている巫女さんの後ろ。格子状になっている木組みの扉が開いている。その奥には、この神社の御神体なのか……。黒光りした〝石〟が仰々しく祀られてあった。
それから、しばらくして。お神楽舞いが終わった。足は、痺れてなかった。巫女のお姉さんが、私の前で正座した。綺麗だとは思うけど、「おかっぱ頭みたいな髪型だなー」なんて思った。お姉さんが顔を上げると、見透かす様に私の目を見つめた。
「その他諸祈願の内容は、〝言えない〟と約束出来ますか?」
「は、はい。言い……ません」
「そう言う〝呪い〟が掛かっていますので」
「そう言う? え? 呪い?」
「では、三日後の早朝にお越し下さい」
「え? 三日後?」
「……お待ちしております。くれぐれも他言はお控え下さい」
「え? ……いや、あの」
巫女のお姉さんが、朱色の袴から携帯電話を取り出して何処かに電話している。戸惑う私を無視して。「裏メニューのお客さんが来たから」とか、「力を転送しといてよね」とか。何だろ。それ、ヤバいのかな……。どういうこと。秘密じゃないの? 依頼のあったお客には聞こえても良いの?
「じゃ、マニカ。よろしくー」
電話で、そう言った巫女のお姉さんが、私に構いもせずに何処かへと行ってしまった。さっきまでと、雰囲気が違う。なんか、軽い。
後から太鼓の男の人が、着物姿のままお姉さんの後を慌てて追い掛けて行った。「大丈夫か?」とか、「まだ高校生だぞ?」とか、「ちゃんと説明を」とか。そのあとで、「心配いらないから、空也」って。……話し声が奥から聞こえて来る。本当、何なんだろ。どうしようか、三日後。大丈夫かな? 止めとこうか。ヤバいよね。ま、いっか。お金払ったし。〝裏メニュー〟だなんて聞いてないし。……ネットって、怖いよね。
──って言うか。マニカって誰なの?
♢
──三日後。早朝。清々しい朝。鳥たちが鳴く。
(チチチ……ピヨピヨ、ピピピ──)
今日も快晴。私は制服のまま来てしまった。鼎神社の境内。気がつけば、そこに居た──なんて、嘘になる。
今日まで誰にも言わなかった。〝裏メニュー〟のこと。悶々として夜も眠れなかった。宿題が手につかなかった。部活でも上手く音が出せなかった。
この三日間。いつもより無言で居たら、友達にも家族にも心配された。違う話をしようとしたけれど、頭から離れなかった。〝裏メニュー〟って何なのかな。友達にも家族にも作り笑いをしなきゃいけなかったし。誤魔化しておいた。大して興味の無い話をするしか無くて。勘弁して欲しかった。
私は三日前と同じ様に、本殿の畳敷きの広間へと案内された。相変わらず、お香の良い匂いがした。巫女のお姉さんは、今日も朝から凜としていて綺麗だった。太鼓の男の人は眠そうだった。
「じゃ、座って」
「え? あ、はい」
「名前」
「は、はい。森本結奈です。あ、あの。裏メニューって」
「大丈夫。意識飛ばすだけだから」
「え?! い、意識をっ?!」
マズい。マズいことになった……。ここから逃げ出して百十番に通報する?
動揺した私の顔を見ていた巫女のお姉さんが、「ふふふ」と爽やかに笑った。いや、笑いごとじゃないし。安心しても良いの? けど、何にも変わらない日々を過ごすくらいなら。いつもと変わらない夏休みなら。ちょっとくらい私にも何かあっても良い気がした。
(──私には、どうしても叶えたい願いがあるんだ……)
私は〝裏メニュー〟を何かのイベントかアトラクションなんだと思うことにした。あ。お母さんには言ってなかったっけ。いや、他言は無用。言えないんだった。
(何かの儀式が始まるのかな……。神社は神道だし。変な宗教じゃないし。大丈夫だよね。ご祈禱の一種だよね。〝意識を飛ばす〟って何かの方便だよね?)
サッと立ち上がった巫女のお姉さんが、白と朱色の着物姿で御神体の石にお辞儀をしている。前に見た時よりも黒光りした石に小さな虹が掛かっていた。何だろ、あれ。そう思っていると、相変わらず眠そうだった男の人が、パッと目を開いて太鼓を手にした。……大丈夫かな。これから、何が始まるんだろ。男の人の太鼓の音が鳴り響いた。
(──トン……トン……)
意識を飛ばされるなんて、やっぱり止めておけば良かったかな。……不安になる。けれど、今さら。
お神楽を舞っている巫女のお姉さんが三日前と違って、歌みたいなのを歌って踊っている。祝詞って言うのかな? 踊りの種類とか知らないけど。お姉さんの歌声が響く。
〝時は紙縒て寄り沿うほどに。舞いて戻りて来る来ると。……契れて届き結ばれ『結奈』に。──紡がれし時は流れて通じる……鼎の石に〟
(──シャララララララ……)
お姉さんの鈴の音が、私の頭の上で鳴り響いた。
「え?」
何だろう。……その瞬間。ポワーンと虹色の大きなシャボン玉が、何処からともなく私を包んで。フワリフワリと身体を浮かせた。
「え?! え?!」
シャボン玉の中で宙に浮く私を他所に。お神楽を終えた巫女のお姉さんが、境内の方を向いて突っ立っている。その姿が、天井から見下ろす様に見えた。それに、私? 太鼓の男の人も居る。一体、どうなって……。
気がつくと──。本殿の格子扉が閉じる音がして、一瞬、黒光りした〝石〟に吸い込まれる様な感じがした。
(──バコン!)
「きゃっ!」
私はシャボン玉に包まれたまま、両手を突いてへたり込んだ。制服のスカートが、フワリと膨らんだ。辺り一帯は、暗闇。……不安になる。まるで、夢の中の世界に居る様な。ここが何処だか分からない。そう言えば、意識を飛ばすってお姉さんが言ってた。つまり、私は、あそこに居たまま今も眠ってるってこと? 催眠術?
「やほ!」
「わっ!!」
驚いた。暗闇の中で突然、誰かの声が響いた。心臓の鼓動が、今までに無いくらいドキドキしている。
私を包む薄いシャボン玉の膜が、虹色に暗闇の中で光った。と言うのも、その〝誰か〟の声が響いてから、辺り一帯がポツリポツリと……蛍の光がまるで灯る様にして明るくなって行ったから。まだ薄暗いけれど、何となく自分の手や足が視える。
……って言うか、誰なの? さっきは驚いたけれど。朧気に人の姿が視えた。まさか、幽霊?
「今晩はー。あ。おはようか。葉月から聞いてるよ? 君が、結奈ちゃん?」
「え、えぇっ?! あ、あ……。はい。そうですが……」
私は幽霊と思しき人に声を掛けられた。正直、驚き過ぎて……。まだ、ビクビクしている。今度は足が震える。長くて黒い艶のある髪に、満月の様にギラギラと輝く瞳。これは、もう……。幽霊さん確定で。私は震えながらも祈った。どうか、シャボン玉の中まで入って来ないで。……お願い。
って言うか、葉月? さっきの巫女のお姉さんの名前?
「行きたい場所。会いたい人。強く念じると良いよ? 私が結奈ちゃんの意識を辿って、接続させるから」
「い、意識……? ……接続?」
「まぁ、詳しい話は後でね。そうだ! もしもの時は〝マニカ〟って呼んでよ。迎えに行くからさ? あ。このことは、内緒でお願いね? ツナグくんのお呪い効果で、口が塞がって……」
「ツナグくん? お呪い? マニ……カ? 口が塞がる?」
私は、キョトンとして。その幽霊の女の人を見つめた。よく見ると、綺麗な人だった。白と朱色の巫女装束を着ている。でも、ちょっと妖艶と言うか。何か、人間離れした雰囲気を感じた。虹色に透けるシャボン玉の中から見つめていると、その人も巫女のお姉さんみたいに「ふふふ」と、笑った。何なんだろ。
って言うか、〝マニカ〟! 巫女のお姉さんが、電話で話していた人の名前だ! ……この人が?
「じゃっ! 行ってらっしゃいっ!!」
「わわわ! きゃーっ!!」
私は、その〝マニカ〟って幽霊みたいな女の人に……シャボン玉ごと背中を押された。
暗闇の中だった世界が、どんどん開けて明るくなって行く。
私は、これから何が起こるのかさえ分からないまま、ただただシャボン玉の中で祈っていた。私の行くべき場所が何処なのか。会いたい人が誰なのか。
まるで、空から落下しているかの様な滞空時間が、とても長く感じられた。シャボン玉の中で。
いや。本当に、落下していた。真夜中の空だった。
「え?! 嘘、嘘、嘘っ?!!」
……雲を突き抜ける。家々の屋根が見える。地上が近づく。……ここは何処だろう。何て言う街なんだろう。過去? 未来? それとも、……今?
って、そんなことよりも。
「わわわ! 屋根! 屋根っ!! 地上にぶつかるっ!! きゃーっ!!」
私の願いの代償──。〝初恋さがし〟は前途多難だった……。