田辺3
「橘本部長、コーヒーお持ちしました」
受付嬢である、雨宮水姫は本部長室にいた。
橘本部長が好んで飲むコーヒーをテーブルに置く。
「っお、助かる〜」
橘はマグカップを手に取り、ズズっと飲む。
「水姫ちゃんが入れてくれるコーヒーは別格だからなぁ……おじさんうれしい!」
「また適当な事を……普通のインスタントコーヒーを入れただけですよ」
「おじさんってのはな、可愛い子ちゃんに世話してもらう事が何よりの喜びに変わっちまう悲しい生き物なのさ」
「はぁ……」
「水姫ちゃんはまだこの組織にはいってから2ヶ月ちょっとだったよね、受付慣れた?」
「何度も言ってますが、さん付けで呼んでください。
ちゃん付けされるような歳ではないですから」
「ありゃ……こりゃ手厳しい」
「慣れたと言えば慣れましたが……慣れないこともありますね」
「ほぅ、何か仕事でわからないことある? 上長として何でも相談に乗るよ。
ちなみにおじさん恋愛相談が大好物です」
「そろそろ定時ですね、お疲れ様でした、失礼します」
「まったまった!! 真面目に聞くからさ!!
嫌いな上司がいる風に帰らないで!!」
「全く……」
普段からどこか行動が軽々しい橘に、水姫はため息をつく。
「それで? 慣れないことって何かあった?」
「ボロボロになって帰ってくる田辺君ですよ……」
「……」
水姫の発言に、橘は無言になる。
「まだ、高校生ですよね?
彼が納得して仕事をしているとは思いますが……」
水姫はどこか、悲しそうな表情を見せる。
「それでもちょっと……毎回あの姿を見ると胸が痛くなると言うか……」
「なるほどね……」
「……田辺君は、橘本部長が連れてきたと仰ってましたよね?」
「そうだよ、あいつが小学四年生の時に俺が引き取った」
「……この組織が虐げられる人間を救済する為に設立された事は承知しています。
しかし彼だって職員である前に一人の生徒です、彼も守られる対象ではないでしょうか?」
「違うよ」
「……っえ?」
「守る対象が違う」
「……それは、田辺君は守るに値しない生徒ということでしょうか?」
「違う違う、俺たちが守るのは生徒じゃない。
守るのは世間体さ」
「……せ、世間体!?」
「っそ、勘違いしちゃいけないよ」
「どういうことですか……!?」
「俺達は学園や企業に向けて、理不尽ないじめや誹謗、暴行から人材を守るって宣伝している。
すごく響きがいいだろ?」
「……」
「けど、本当の目的はただのビジネスなんだなぁ、これが」
「……ビジネス、ですか?」
「暴行やいじめが発覚するっていうのは、イメージや品性にかかわる。
学園で例えるなら、偏差値とかな。
いじめがマスコミなんかを通じて世間に広まると、そりゃもう学園としては大打撃なのさ」
「……」
「だからやってる事は結局ビジネス。
お金をもらう代わりに何があってもいじめを外部に漏らさない、それが俺達の仕事ってわけ」
「……」
橘の口から告げられる、組織の在り方に水姫は無言になってしまう。
「知ってる? いじめは本人が認めなきゃ、いじめにならないんだよ」
「……田辺君はそのいじめを全て受けて黙秘する、そういうことですか?」
「そういうこと。
俺は田辺の貴重な青春を使って、アイツに食わせてもらってるってわけ。
おじさんのこと嫌いになった?」
「……もう1つ聞きたい事があります」
「っお、なになに?
残業代はつけておくから、いくらでも聞いてくれ」
「別に田辺君のやり方じゃなくてもいいじゃないですか」
「……」
「いじめを行うグループを対象に改心を促す、その方針でもいいはずです。
同じ効果が得られるなら、わざわざ田辺君の人生を犠牲する必要はないと思いますが?」
「こりゃ痛いところつくね。
まぁ同じ効果が得られるという事が前提なら、そうなるね」
「同じ効果は得られないと?」
「いやいや、どうだろうね。
そればっかしは結果論だし、実際他の課はそういったやり方の方が多いよ。
うちの第六課だけなんじゃないかなぁ、田辺にあんな事やらせてるの」
「ならどうして!」
「田辺は結果を出している」
「……っ」
「水姫ちゃんも知ってるとは思うけど、田辺の功績は凄まじい。
あいつが担当した学園でいじめはおろか、不登校も消えたって報告もあがってる」
「それは……」
「あいつの稼ぎはすごいぞぉ? ぶっちゃけ他の課の奴と比較しても、一人当たりの稼ぎは断トツさ。
金ってのは成果を出した分だけ貰える分かりやすいシステムだ。
それだけアイツのやり方は学園にとって有意義ってことさ」
「……さんを付けてください」
「あら、ばれちゃった……」
「……それでも、こんなやり方……」
「……俺はアイツを拾ってラッキーだった。
こんなに稼がせてもらってるんだからさ! 玉の輿、なんちゃって」
「……橘本部長の給与が田辺君や私のより低い事は知ってます。
それに、無理やり田辺君にやらせていないことも……橘本部長はそんな人ではないですから」
「……ありゃ、おじさん意外とかわれてる……?」
「それでも彼はやり続けてる、何故ですか?
金の為じゃないんですよね?」
「……それは、おじさんも聞いてみたいよ」
「……」
「っま、気が向いたらアイツから水姫ちゃんに話してくれるんじゃない?
堅物なやつだけど、仲良くしてやってね」
「……はぁ、もうその呼び方でいいですよ……」
「やったね、おじさんのかちぃ」
「うざ……別に私は田辺君の事嫌いじゃありませんし、普通に接するつもりです」
「よかった、っま、そのうちアイツと関わって良いこともあるかもよ」
「良いことですか……?」
「おっと、おじさんそろそろお仕事しなくちゃ」
橘はそう言うと席を立ち、スキップを踏みながら奥の個室へと向かう。
「……全く、あの人は……」
まだこの課に配属されてから二ヶ月と短い期間だが、橘の性格はなんとなく掴めてきている。
人を驚かせたりからかうのを好み、それを楽しむ癖があるのだ。
「……また何か企んでるのかしら……」
水姫は深いため息をつく。