マリアの計画
邸の中に入ったマリアが自室に向かうと、ジュリエンがこちらに向かって歩いてきていた。
「あ、お姉様」
「……ジュリエン、おかえりなさい」
「お姉様も、お出かけしていたのですね」
「ええ」
「僕、お姉様にパーティーに来てほしかったな」
「ごめんなさいね」
「別にいいですよ。楽しかったから」
「そう、良かったわ」
「……あれ?そのドレス」
ジュリエンがマリアのドレスのスカート部分を指さした。
「変、かしら?」
「うーん、とても可愛いけど、お姉様には似合っていないかな」
「……そう、ごめんなさい」
「別に謝らなくてもいいけど、恥ずかしいから変なことはしないでね」
「わかっているわ……」
マリアはそう言って自室まで急ぎ足で向かい、ドアの前でチラッとジュリエンを見た。ジュリエンは美しい笑顔をマリアに向けている。マリアは自分の部屋に急いで入っていった。
部屋に入るとマリアは乱暴にペティコートを外した。
「やっぱり、似合っていなかったんだわ……、イーサンの嘘つき」
お陰でジュリエンに恥ずかしいと言われてしまった。
「でも、イーサンが悪いわけじゃないわ。私がお母様の言いつけを守らなかったから悪いのだもの」
マリアには可愛いものは似合わない。アナベルから言われていたのに、うれしくて羽目を外してしまった。
「カフェに行ったことも知られたらいけないわ」
アナベルはマリアに関心は無いが、マリアが人前に出ることを嫌う。マリアが人の目に触れるのは侯爵家の恥なのだ。だから、マリアが出かけられる場所は限られている。
本当は、人気のカフェに行くなんてとんでもないこと。でも今日は、なんとなく気が緩んでしまった。イーサンが一生懸命誘ってくれてうれしかったのだ。それに、屋敷には誰もいないから、自分が出かけても知られることもない。
だけど、よく考えてみれば、イーサンがいるだけで目立つのに、そのイーサンと一緒にいればマリアだって当然誰かに見られてしまう。赤い髪の地味な令嬢と言えば、マリアだとわかる人もいるのだ。隠せるわけがないではないか。
「どうしよう。私、怒られるのかしら?」
マリアは心配になって、急いでペティコートを小さく畳んでクローゼットの奥にしまい込んだ。
しかし、せっかく誰にも見つからないようにしまい込んだペティコートは、その日のうちに取りあげられてしまった。ジュリエンがアナベルに報告をしたらしい。
「こんなペティコートを身に着けるなんて、何を考えているの?恥知らずもいいところだわ」
「申し訳ありません」
「それに、カフェに行ったのですって?いったい何を考えているの?」
「……申し訳ありません」
「本当にイーサンも馬鹿なことをしてくれたわ。だから私は婚約を解消するべきだと言っているのよ」
「……」
「マリアが婚約者だなんて、イーサンも迷惑でしょうに」
「……」
元はと言えば、アナベルが言いだしたマリアとイーサンの婚約だったが、ジュリエンが生まれて溺愛をするようになると、『アンドルーの息子との結婚』には興味がなくなっていった。それどころか今では、「マリアが婚約者だなんてイーサンがかわいそうだわ」と言って、二人の婚約を解消させようとしている。
しかし、デヴィッドがそれを許さず、いまだに二人の婚約関係は続いているのだ。
「とにかく、二度とこんなことをしないでちょうだい。わかったわね」
「はい」
アナベルは忌々しそうな顔でマリアを睨みつけてから部屋を出ていった。ドアが閉まるのを確認してから溜息をついたマリア。
「せっかくイーサンがプレゼントしてくれたのに」
似合わなくても手元に置いておきたかったが、ペティコートがマリアの元に戻ってくることはない。でも。
「ネックレスは見つからなかったわ」
イーサンの瞳の色の可愛らしいネックレス。そっと箱を開けると、光が当たってキラキラときらめいている。
「私には似合わないけど、持っているくらいいいわよね。……ごめんね」
私なんかが婚約者で。
そのせいで、イーサンは素敵な女性と出会っても結ばれることがない。何度か父デヴィッドに婚約の解消をお願いしたが、聞きいれてもらえなかった。
イーサンは公爵家、マリアは侯爵家。立場的に、こちらから婚約解消を願いでるわけにはいかない。しかも二人の婚約を最初に言いだしたのはアナベル。それなのに、こちらの都合で婚約の解消をお願いするのはあまりに勝手な話だろう、と。
「私と婚約していなければ、もっと素敵な令嬢と結婚ができるのに」
イーサンは優しいからマリアを婚約者として扱ってくれる。贈り物もくれるし、一応デートにも誘ってくれる。本当はほかの令嬢と出かけたいのに、優しいからマリアを誘ってくれるのだ。マリアは婚約者だから。
でもそれだけだ。優しく振舞っても、それは幼馴染に対する情がそうさせるだけなのだ。
パーティーのたびにきれいな令嬢たちに囲まれているイーサンを見ればそれがわかる。
イーサンが一緒に踊る令嬢たちは、とても華やかで美しくてマリアとは正反対。それにイーサンもとても楽しそう。
だから、マリアはパーティーで一曲イーサンと踊ったあとは壁と同化する。イーサンを自由にしてあげたいのだ。
だってかわいそうだ。親が決めたからって、こんな地味で可愛くも美しくもない自分の相手をしないといけないなんて。それじゃ、一生恋だってできないではないか。
だから、パーティーでイーサンがきれいな令嬢と会場を抜け出すたびに、ホッとした。今度こそ、イーサンは本気の恋をする相手と巡り合ったかもしれない、と。
会場を抜けようとするイーサンをこっそり目で追いながら、ギュッと胸を押しつぶされそうになっても、涙で視界がぼやけそうになっても、グッと堪えてイーサンの恋を応援した。
「でも、場所は考えてほしいわ」
まさかあの場所であんなタイミングに遭遇するとは思わなかった。驚き過ぎて、顔が真顔になってしまった。態度もそっけなかったかもしれない。でも、その場を去るまで涙を堪えることはできた。
「あの令嬢とは本気の恋ではなかったのよね?」
お相手の令嬢は婚約者がいる。さすがに、いくら本気でも不貞はダメだと思う。
「イーサンには本当に好きな人はいないのかしら?」
できれば、障害のない相手と幸せな恋をしてほしい。そして、イーサンが結婚をしたいと思える相手に巡りあえたら、すぐにでも婚約を解消するつもりだ。さすがに、イーサンがほかの令嬢と結婚をしたいと言えば、デヴィッドだって婚約の解消を許してくれるだろう。
それに、もしこのまま結婚をすることになっても、白い結婚をすれば数年後には離婚ができる。白い結婚なら子供ができることもないから、問題はないはず。
そして、離婚をしたらマリアはここには戻らず、市井に下って平民になって一人で生きていくのだ。それなら家族に迷惑がかかることもない。
平民になったら、生きていくためにお金を稼がないといけない。そこでマリアが考えたのが、写本だった。
活版印刷が主流となってきた今、写本は必要ないかと言えばそうではない。貴重な古書の中には原本限りと言う本もたくさんある。
マーロンが言っていたおじさんというのは、王都で古書を扱っている古書店リベナの店主で、現在、写本の仕事をさせてもらえないかと交渉中なのだ。
写本はただ文字を写すだけではない。知識があって美しい文字が書けて集中力も必要だ。
それに、マリアは絵が人より少し上手に描ける。
教会のボランティアに行ったときに、子供たちと一緒に絵を描いたところ、シスターにとても褒められた。それどころか、マリアの描いた絵を告解部屋に飾っているのだ。評判もいいらしい。
その絵は、女性が祈りを捧げている姿だった。
写本に装飾を施して、挿絵を入れればこれまでよりさらに価値が上がるのでは?
マリアは一緒にボランティア活動をしているマーロンにそのことを話してみた。
すると、マーロンがとても素敵な笑顔で、「それはとても面白いアイディアだと思うよ」と言って、知り合いのおじさん、つまり古書店の店主に話をしてくれたのだ。
マーロンが言っていたのは、古書店リベナの店主に会いに行く、という話だ。
「でも、あんな場所で言わなくてもよかったのに」
とても気遣いのできるマーロンが、なぜあの場でそのことを言ったのかはわからない。
マリアは、写本の仕事をしようと思っていることを、家族に内緒にしているのだ。もちろんイーサンにも。
もし、仕事をしようとしているなんて知られたら、絶対に反対されるし屋敷の外へは一歩も出られなくなってしまうかもしれない。だから誰にも言わずに秘密にしているし、マーロンもそのことを知っているはずなのに。
「きっとマーロンもうれしくて早く報告をしたかったのだわ」
マリアの話を真剣に聞いてくれて、親身になって相談に乗ってくれるマーロン。マリアが市井で仕事をするなんて、まったく現実味のない話だったのに、マーロンがそのチャンスを作ってくれたのだ。
「絶対に雇ってもらわないと」
マーロンの話では、歩合制だが頑張れば一人で生活するくらいのお金は、手に入れることができるらしい。かなり厳しいらしいが、足りない分は貯金をしてきた小遣いを切りくずせばどうにかなる。
「私がイーサンを幸せにしてあげないといけないわ」
イーサンの幸せとは、マリアと別れて本当に愛する相手と結婚をして、幸せな家庭を築くこと。
そして、マリアがしてあげられることは、円満に婚約を解消するか、離婚をすること。
「……私、頑張らないと」
読んでくださりありがとうございます。