知らない男
カフェを出て本屋に行こうと道を歩き出したとき「マリア?」と呼ぶ声が聞こえた。
二人が振り返った先にいた相手を見て、イーサンの顔が一気に険しくなる。
誰だ?
見たこともない男が、マリアを呼び捨てにしたのだ。
長身で優しそうな顔をした爽やかな青年。貴族だろうか?
「あら、マーロン」
「お出かけかい?」
しかもやたらと親しげ。
「マリア」
イーサンは険しい顔のままマリアに声をかけた。
「イーサンは彼を知らなかったかしら?」
「……知らないよ」
イーサンは少し不機嫌にそっぽを向いた。
「彼はマーロン。私と同い年で、教会のボランティアで一緒に活動をしているの」
「……なんだよ、それ。知らないよ」
イーサンがボソッと呟いた。
教会のボランティア?マリアが?いつからそんなことを?
「マーロン。こちらはイーサンよ」
「ああ、君の婚約者かい?」
「そうよ」
相手は自分のことを知っている。しかも、マリアの婚約者だと認識をしていた。
「マリアの婚約者のイーサンです。よろしく」
婚約者というところを強調してみた。
「初めまして、マーロンです。マリアとはよく教会のボランティアで一緒に活動したりしています」
活動したり?したり、とはなんだ?ほかにも何かあるのか?
「そうそう、マリア。あの話、おじさんが、聞いてくれるって」
「本当?」
「ああ。今度、君の都合がいいときに会いに行こう」
「ええ。わかったわ」
マーロンはそう言うとイーサンをチラッと見て、ニコッと笑って「それじゃ、またね」とその場をあとにした。
「……」
何だ、アイツ。あの話?
「マリア、どういうこと?」
イーサンは険しい顔のまま、マリアを見つめた。
「何が?」
「あいつの言っていたことだよ」
「あいつ?」
「今の男だ!」
マリアは小さく溜息をついた。
「……彼はマーロンよ」
「……わかっているよ。それで、どういうこと?おじさんとか話を聞くとか」
「……あなたには関係のないことよ」
「マリア!」
「気にしないで。それに私のことをあなたに言わなくてはいけない、なんて決まりもないわ」
マリアの言葉に、さっきまでの怒りがどこかに飛んでいってしまった。
「……マリア」
「あなたに、私のことを言う必要がある?」
「なんで……」
「あなたに、私のことをなんでも言う必要がある?あなたは、自分のことをなんでも私に言っている?」
「……」
「言っていないでしょ?」
「言うよ、君が望むならなんでも言う」
「……まったく望んでいないわ」
「……」
二人を遠巻きに見ている人たちの視線を避けるように、マリアの手を取ったイーサンがずんずんと歩き出した。
せっかくいい雰囲気だったのに。せっかくの貴重なデートだったのに。
少し歩いたところで速度を落としたイーサン。こっちは本屋とは逆方向だ。
「帰りたい」
マリアの小さい声にビクンと肩を震わせたイーサン。
「……わかった」
そう言って馬車を待たせている場所まで歩き出した二人はずっと無言。イーサンはつないだマリアの手をギュッと握ったままうつむいて、ずっと眉間にシワを寄せていた。
まさかマリアのことで自分に知らないことがあったなんて。しかも、自分の知らない男がマリアの近くにいた。二人で話をしているときのマリアの顔はとても柔らかくて、二人がとても親しい関係なのだとすぐに理解ができた。それこそイーサンよりも親しい関係なのだと。
「……クソッ」
それにあの話とは何だ?いったいなんの話だっていうんだ。
馬車の中でも始終無言。イーサンが好きな空間が、こんなに息苦しくなるなんて思いもしなかった。チラッとマリアを見ても、ずっと外を見たままこちらを見ることもない。
「マリア」
思い切ってイーサンが声をかけた。
「何?」
「……」
「イーサン?」
「……遠征から、帰ってきたら」
「……」
「お土産を持っていくよ」
「……うん」
それ以上話すこともなく、イーサンはマリアを見つめ、マリアは窓の外を見つめていた。
屋敷に着いたとき、すでにマリアの家族や使用人たちは戻ってきていて、マリアが戻ってきたことに気がついたデヴィッドが、青い顔をして出迎えた。そして、イーサンを睨みつけて「どういうつもりだ!」と怒鳴った。
屋敷に戻ってきたときマリアの姿がなくて、大騒ぎをしていたらしい。
マリアを置いて出かけたくせにイーサンを悪者にするのだから、冗談じゃないと思う。ただでさえ、マリアのことで打ちのめされているのに、理不尽な八つ当たりを聞いてやる気はない。
「そんなに心配なら、マリアを置いていかなければよかったんですよ。マリア付きの侍女も置いていかないで自分たちだけ楽しんで、いったいマリアはあなた方のなんなのですか?」
イーサンを責めるより、マリアを除け者にして、マリアを一人置いていく非常識さを改めることのほうが先だろう。
それに対して目を吊りあげたデヴィッドは、イーサンの胸ぐらを掴んだ。
「生意気を言うな!散々マリアを傷つけているくせに!」
デヴィッドが痛いところを突いてくれば、イーサンもこれ以上何も言えない。
いっそのこと、本当に傷ついてくれればいいのに。
イーサンの中にそんな仄暗い感情が湧いてくる。
でも、マリアは俺が何をしたって傷つかない。俺のことなんてどうでもいいんだから、傷つくわけがない。
デヴィッドは、イーサンの胸ぐらを乱暴に放して睨みつけた。そして、そんなことをしているあいだに、気がつけばマリアは邸の扉の前に立っていた。
「マ、マリア?」
「……遠征、頑張ってね」
そう言って邸の中に入っていってしまったのだ。
「ま、待って……」
マリアにイーサンの声は届かない。聞きたいのに。謝りたいのに。マリアは振りかえることしなかった。
「……クソッ」
イーサンは思い切り自分の太腿を叩いて、それから馬車へと戻っていった。デヴィッドに挨拶もしないまま。
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