かわいそうなイーサン
イーサンはその場に立ち尽くしていた。告白をしたがドアが閉まってしまい、しばらく待ったがマリアは出てこなかった。
隣の老夫婦が二人の様子を見ていたようで、何やら微笑まし気にイーサンを見ている。道を歩いていた近所の奥さんも、頬を染めて「まぁまぁ」と小さく黄色い声を上げた。向かいのおじさんは「いやー、いいねぇ、甘酸っぱいねぇ」とイーサンの肩を叩く。
ずいぶんと多くの人たちに見守られていたらしい。
それなのに、肝心のマリアは無反応。いや、今度こそ完全に。
「嫌われた……?」
もしかしたら、なんて期待をしたのが間違いだった。根拠もない期待なんかして嫌われるより、片想いでもいいから横にいられるほうがよかった。
「ああ、なんてことを言ってしまったんだ」
イーサンはその場にしゃがみ込んで頭を抱える。
バカだ、俺は。勢いで言ってしまった。せめて覚悟を決めてから言うべきだった。だってあんなマリアの顔は反則だろう?間違いなく反則だ。可愛すぎた。
「あんな困った顔にやられるなんて、俺はどうかしている」
あの顔の理由が知りたい。なぜ、瞳が潤んでいたのか。
「やっぱり怒ったのかもしれない。あー、もう会いたくないとか言われたら、どうしたらいいんだ」
いや、ここで諦めるわけにはいかない。
そう思って家のドアをノックしたが、出てきたのはジョアンナ。
「あ、あの、マリアは?」
「申し訳ございません。お嬢様はお疲れのようで、お休みになられました」
「……そう、か。わかった、すまない」
閉まったドアをしばらく見つめていたイーサン。
そうだよな。結構歩いたしな。マリアは普段運動をしないから、疲れて寝てしまうのは仕方がない。うん、明日また会いにこよう。そうだ。いまさら弱気になっても仕方がない。明日、マリアにもう一度言おう。
しかし、それからしばらくマリアと会うことはできなかった。
「完全に避けられている」
迎えは断られ、リベナに行っても仕事が忙しいからと言って一切顔を見せない。
そして今日は、勉強のためにメルニックと著名な油絵画家の作品を見に行くから、と仕事を休んでいるマリア。
それを知らずにリベナにやって来たイーサンは、がっくりと肩を落とした。
「もう十日だ。ほんのわずかな時間も顔を見せてもくれないなんて」
「……イーサン様」
エリオットは、憐れむような目でイーサンを見つめ、「焦りは禁物ですよ」と落ち込んだ弱々しい背中をポンポンと叩いた。
「マリアちゃんは混乱をしているのですよ」
「混乱?」
あと二日ほど休むはずだったのに、イーサンとデートをした次の日から仕事に復帰をしたマリア。しかし、残念なことにマリアの仕事があまり進まなかった。書写しても文字の大きさがバラつき、誤字脱字だらけで一日に十枚も書きあがらない。絵は全体的にピンクが多く、なんだかホワホワしている。
「きっと、一生懸命考えているのだと思いますよ」
「マリアが?俺のことを考えてくれている?」
「……かもしれません」
余計な期待はさせたくないが、否定する必要もない。ここからは二人の問題だ。
「……そうか」
それなら待ってみよう。マリアがもし、俺のことを意識してくれたのだとしたら、二人の関係が変わるかもしれない。
すこし時間は遡る。
マリアとメルニックが馬車に揺られてこれから向かう先は、油絵画家として有名なパッシャー・カルマ・ボーデンの作品が並ぶ画廊。
マリアの勉強を兼ねて、絵を見に行くのだ。
メルニックが知り合いであったことから、パッシャー本人から技法について教えてもらえるという話になり、マリアは喜び勇んで馬車に乗りこんだ。それに、まだイーサンと顔を合わせることはできないから、いい口実にもなった。
「おや、可愛らしいネックレスですね」
じっと自分の手の平を見つめているマリアに気がついたメルニックが、興味深そうにのぞき込んだ。
マリアの手の平の上で輝く、小さな黄緑色の宝石がついたネックレス。着けようか悩みながら、結局その勇気が湧かず握りしめたまま家を出てきてしまった。
「これは、何年か前にイーサンからプレゼントされた物なのです。全然使ってなくて」
「ほう、それは珍しい」
「え?」
「イーサン様が婚約者にプレゼントなんて」
メルニックの言葉にマリアが首を傾げる。
「どういうことですか?」
「いや、社交界では有名な話ではないですか。イーサン・ドシアンは婚約者にプレゼントを贈らないというのは」
「は?」
マリアは思いもよらない内容に耳を疑った。
「なぜそのようなことを言われるのですか?そんなことはありません」
「そうなのですか?ですが、あなたはいつもパーティーでアクセサリーを身に着けず、ドレスも常に地味な色。まったくイーサン様の色を身に着けてはいませんでした」
「それは……そうですね」
「それでイーサン様は、婚約者であるマリア嬢にプレゼントを贈っていないと言われていたのです」
マリアの顔が青くなった。
マリアとイーサンが婚約をしている間、マリアはどれだけのアクセサリーを贈られたことか。ドレスだって何かあるたびに贈ってくれた。
それでも、マリアは自分には似合わない、と言ってアクセサリーを着けなかったし、ドレスはたまに参加するパーティーで着たことがある、という程度だった。しかも、そのドレスはイーサンの色には程遠い、控えめな色ばかり。マリアが普段着ていたドレスの色が、少し明るくなった程度だった。
「私、何かあるたびに贈り物を貰っています。なんでもない日でも、イーサンは私に贈り物をくれました。貰っていないなんて、そんなことありません」
それなのに、イーサンがそんなことを言われていたなんて知らなかった。
「そうでしたか。それなら、彼は自分が何を言われても気にしなかったということですかね?」
「え?」
「婚約者を蔑ろにしているのと同じですよ、プレゼントの一つも贈らないということは。イーサン様だっていい印象を持たれなくなる。それでも何も言わないというのは、贈られた物を使わないマリア嬢が批判されるより、自分がクズになろうとした、ということですかね」
なかなかできることじゃありませんね、とメルニックは笑う。
マリアは、自分が何を言われているかなんて気にもしていなかった。「プレゼントも貰えない婚約者」と言われたことはあった気がするけど、ちゃんとプレゼントは貰っていたし、マリアを傷つけようとする言葉は、耳に入ってもすぐに抜けていって、かすり傷にもならなかった。でも、イーサンはそうではないはずだ。
「……イーサン」
考えたこともなかった。
私には似合わない。まるで呪文のように繰りかえしてきた言葉は、イーサンをどれほど傷つけていたのだろうか?
それに、イーサンから贈られたアクセサリーは、目立たない控えめな大きさとデザイン。マリアの好みを考えて、それこそ細心の注意を払って用意してくれたものだ。
ドレスだってマリアのために控えめの色で、装飾は限りなく少なくしていた。
「イーサンは私のことを一番に考えてくれていた……」
「そのようですね」
「私、全然気がついていなくて」
「それは、イーサン様がお気の毒ですね」
「……どうしよう」
「マリア嬢はどうしたいのですか?」
「わからないです。だって、イーサンは私のこと……」
好きって、本当にそういう意味?
「本当に、わからない?」
「……いえ、でも私は友達、だから」
「友達だけですか」
「いえ、その……たぶん、違います」
「……なら簡単ですね」
「何がですか?」
「簡単だから、自分で考えましょう」
「……私には簡単ではありません。頭と心臓がパンクしそうです」
メルニックはカラカラと楽しそうに笑った。
「あまり引きずらないでくださいよ。今日は大切な日だ」
「……はい」
読んでくださりありがとうございます。








