アイスクリームの力
桃のアイスクリームを口に入れ、甘くてひやりと冷たい刺激にマリアの顔が綻ぶ。
イーサンはそんなマリアを見ながら紅茶を口に含んだ。
アイスクリームの種類が豊富なことが売りのカフェは、マリアたち以外に二組の客。
女性客がチラチラとイーサンを見ているが、当の本人はまったく気がつかない。なぜなら、自分の目の前にはマリアがいるから。
「おいしい?」
「とてもおいしいわ。もう一つくらい食べられそう」
そう言ってまたアイスクリームを口に運ぶ。
「それはよかった」
さきほどまで悩んでいたのに今はこの笑顔だ。アイスクリームの力はすごいなと感心をしてしまう。
「もう一つ食べるか?」
「ふふふ、冗談よ」
マリアがそう言うとイーサンは「残念だ」と笑った。
「イーサン。ありがとうね」
「……うん」
気がついたらザワザワした心が少し落ちついていた。
「しばらく写本の仕事を頑張ってみるわ。字を追いかけると安心するし、せっかくだからゆっくり心を整理しようと思うの」
「それがいいよ」
頑張ることはいいことだけど、頑張りすぎたら息切れをしてしまう。今のマリアは頑張りすぎだ。不安や焦りがマリアを掻きたてて、ますます不安になって頑張ってしまう。
「絵が好きなのに、嫌いになりそうで怖かったわ」
「そうか」
はたから見れば、何をそんなに焦っているのだろうと思うことかもしれない。冷静に考えれば、まだ始めたばかりなのだから焦る必要はないと思うのに。でもマリアは前に進むことに精一杯で、その耳に誰かの助言が留まることはなく、感情が入りみだれて迷宮に入ってしまった。
「不安になったらまた話して。ちゃんと聞くから」
「……ありがとう」
マリアはイーサンを見つめていたが、イーサンと目が合って慌ててアイスクリームを口に運んだ。
「ゆっくり食べて」
イーサンは、マリアを見て笑う。
カフェを出て、ゆっくりとマリアの家に向かって歩きだした。
さっきこの道を歩いてきたときはあんなに苦しかったのに、今は心が軽い。ザワザワの正体がわかって安心をしたのか、これからどうしたらいいか見えてきたから安心をしたのか、マリアの右手に感じる温もりに安心をしたのかわからない。
でも、今はこの時間がとても愛おしい。少しの会話と長い沈黙、そして少しの会話。
もう、家はすぐだ。
「今日はありがとう」
「俺も楽しかったよ」
「私の愚痴しか聞いていないのに?」
「愚痴を言ってくれることがうれしいんだ」
「そんなことがうれしいなんて、変わっているわね」
「そうかな」
こんなこと今までなかったから、イーサンは不謹慎にも喜んでしまった。
「こうして話ができることがうれしいし、マリアの横にいさせてくれることがうれしい」
「……大袈裟だわ」
なぜか同じ言葉を聞いても、イーサンの言葉はほかの人と違うようで落ち着かない。
「……大袈裟じゃないよ。本気でそう思っているんだ」
「……」
「本気でずっとマリアの横にいたいって思っているんだ」
「何を言っているの?」
そう言って見上げたイーサンの顔は、眉尻を下げて不安そうで、それでいて優しい。
「……」
急に恥ずかしくなったマリアは、慌ててイーサンの手を離して早足で歩きだした。
「マリア?」
イーサンも慌ててマリアの後を追う。
「来ないで」
マリアは突然走りだした。
「え?なんで」
なぜマリアが走りだしたのかわからないが、反射的に追いかけたイーサンが一気にスピードを上げマリアの腕を掴んだ。
「待って、マリア。待って」
「……」
ほとんど運動をしたことのないマリアは、とにかく足が遅い。それに、ほんのわずかな距離しか走っていないのに、すでに息も絶え絶えだ。
イーサンは膝に手を当てて肩で息をするマリアの前にしゃがみ込み、心配そうな顔をしてマリアを見上げた。
「何か怒っている?」
「……」
怒ってなんかいない。ただ、恥ずかしいだけ。もしかしたらイーサンはマリアが思っているより、ずっとマリアを大切に思ってくれているのかもしれない。そう思ったら、恥ずかしくなった。
私たちはただの友達よ?友達を心配してくれているだけよ?
そう思うのに、わざわざ聞かなくてもいいことを聞いてしまう。
「私たちは友達よね?」
「……」
そうだと言ってくれないと困る。なぜ困るのかわからないけど困る。
マリアはジッとイーサンを見つめて、それから体を起こし、家に向かって歩きはじめた。
「マリア」
イーサンの声に立ちどまって振りかえったマリアの、一生懸命笑った顔が少し強張った。
「今日は話を聞いてくれてありがとう。とても、うれしかった」
よかった。家の目の前で。早く家に入らないと。
そう思って早足で家の前まで行ってドアを開けると、後ろから「マリア」と呼ぶイーサンの声。振りかえったその先でイーサンが笑っている。
「好きだよ」
その言葉を聞いてドアが閉まった。
「……」
マリアは長い時間その場で固まっていた。
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