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芸術でもなんでもない絵

 マリアから贈られた絵はデヴィッドの執務室に飾られた。

 絵の下のほうにはマリオのサイン。「なぜマリオという名前にしたのだい?」と聞いたら「マリアとマリオ、とても似ていると思いませんか?」とうれしそうに言った。

 もしかしたら、かの有名な『マリオネ・ペッセル』のような画家になりたいから、なんて言うのではないかと思ったが、思いの外可愛らしいことを言うので思わず笑ってしまった。


 書類に目を落としながら、マリアとの会話を思い出しては頬が緩んでしまうデヴィッドは、ときどきハッと我に返っては再び書類に目を落とす、を繰りかえしていた。


「こんなことをしていたら、いつまでたっても仕事が終わらないぞ」


 そんな独り言を言いながら、頬を軽く叩いて気持ちを切り替えた。

 そこへドアをノックする音。「どうぞ」と声をかけると、ドアが開いてアナベルが入ってきた。


「帰ったのか」


 ジュリエンが思うように勉強が進まず落ちこんでしまったから、という理由でしばらく別荘に静養に行っていたアナベルとジュリエン。

 ヴァイオリンの使用はいまだに禁止されているが、さて行った先でどうしていただろうか?それについて聞く気はないが。


「ええ、ようやくジュリエンが少し元気になったので」


 とても不服そうな顔をしたアナベルが、大きな溜息をついた。


「せっかく帰ってきたのに、あなたはお出迎えもしてくださらないのね」


 デヴィッドが、自分たちが帰ってきたことにも気がつかずに、仕事をしていたことが気に入らないらしい。


「ああ、すまない。とても忙しくて気がつかなかったよ」


 気がつかなかったのは本当。ただ、仕事が忙しかったかといえば……。


「最近のあなたはいつもそうですね」

「……」

「ジュリエンはヴァイオリンを取りあげられ、苦しんでいるのに優しい言葉の一つもかけてあげずにほったらかしにして」

「ほったらかしになどしていない。毎日ジュリエンの様子を見にいっていたし、教師から勉強の進捗状況も確認している」

「そんなことなんの意味もないわ。ジュリエンにはヴァイオリンが必要なのよ!」


 結局アナベルが変わることはない。

 ジュリエンが努力をしようとも、アナベルが「かわいそうなジュリエン」と言って慰めれば、ジュリエンは、本当に自分はかわいそうなのだと悲観していく。だからといって、アナベルまで引きはなせば、ジュリエンがますます落ちこんでしまうかもしれない。そう思って様子を見ていたが、アナベルが変わらないのであれば、そろそろ次のことを考えるべきだろう。


 フンとそっぽを向いたアナベルが、見たことのない絵が飾られていることに気がついて目を見開いた。


「この絵は?」


 書類に目を落としていたデヴィッドが顔を上げた。


「……ああ。マリオの絵だ」

「……マリオ?あの、新鋭画家の?」

「ああ」

「まさか、あなたまでこんな品のない絵に手を出すなんて」

「何?」


 マリオの絵を見るアナベルの顔が険しい。


「こんなの芸術でもなんでもありませんわ。絵画とは、格調高くあるべきなのに、この絵には品の欠片もないではないですか!」

「君は本気でそんなことを言っているのか?」

「もちろんよ。それに、マリオは生まれも卑しい平民で、メルニック卿の男娼だと聞きましたわ」

「……」


 それは初耳だ。きっと、メルニックを僻んだ者が吹聴したのだろう。ご苦労なことだ。彼はたった一人の家族である息子を溺愛していて、少しでも息子と過ごす時間を作ろうとする、できた父親だ。だが、マリオの名が出ているならそのままにはしておけない。


「そんな画家の描く絵が芸術と呼ばれることに、私は嫌悪しているのです」

「そうか」

「きっとマリオはロクな人間ではありませんわ。それに、マリオの母親は娼婦だそうです。親が親なら子も子だわ」

「……そうか」


 君がそれを言うのか。


「ですからあなた、この絵は捨ててください。そんな評判の悪い画家の絵なんて屋敷にあると知られたら、ジュリエンに悪い影響を与えてしまいますわ」


 言葉もないな。本当に。


「君の言いたいことはわかった」


 デヴィッドの言葉にアナベルはとても満足そうな顔をしている。


「しかし、この絵を手放すことはない」

「なぜです!」

「この絵は私のものだからだ」

「あなた!」

「私は忙しいんだ。話が済んだのならそろそろ出ていってくれないか?」


 アナベルはカッとなってデヴィッドを睨みつけた。


「本当にあなたは優しさも気遣いもないのね」

「……」


 アナベルはフンと踵を返した。


「ああ、そうそう。アナベル」


 デヴィッドが思い出したように口を開いた。


「……なんです?」

「このマリオの絵。これの意味はわかるかい?」

「は?……ふざけているの?」

「わからないか」


 デヴィッドの口ぶりは、まるでアナベルが無知で愚かな女だと言っているようで腹立たしい。


「この少女の持っている花は綿毛となったタンポポ。綿毛のタンポポには別離という意味があるのだ。この絵の少女が女性の頭の上にタンポポを落としている。つまり少女が女性に別れを告げているのだよ」

「……だから、なんなのです?」

「べつに。この絵の意味を教えてあげただけだ」

「必要ありませんわ。そんなこと」


 そう言ってアナベルは執務室を出ていった。


「わからないだろうね、君には」






読んでくださりありがとうございます。

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