愚か者の二人
ベンジャミンがリベナで騒ぎを起こしたことは、一部の貴族たちの怒りを買った。もちろん表立って怒りを露わにしたのはメルニックだったが、とある高位貴族たちもその怒りを隠すことをしなかった。
ベンジャミン・ポルカが社交界から一瞬にして姿を消し、ポルカ男爵家が没落寸前まで追いこまれたのはイーサンの予想どおり。そのお陰と言っていいのか、マリオに接触しようとする者たちが一気に減ったのは功名だ。
そして、マリアのことは伏せられ、ベンジャミンの話が出ても、『古書店の店員』と言われるだけだった。
また、イーサンが頻繁に新人騎士と一緒に王都内を回っていたことは騎士団の中で問題視され、それ以降イーサンが新人騎士を連れて王都内を歩き回る姿は見られなくなった。
イーサンががっくりと肩を落とし、繰りかえす長い溜息でバルトを苛つかせたのは言うまでもない。
マリアの家にデヴィッドがやって来たのは、騒動の翌日。一日休みを貰ったマリアが、庭でジョアンナの育てたブルーベリーをつまみ食いしようとしていたとき。ドアをノックする音が聞こえて、ジョアンナが慌ててドアを開けるとそこにいたのはデヴィッドだった。その姿を見て驚いたのはマリア。二人は実に二年ぶりの再会となる。
マリアは少し戸惑いながらデヴィッドに歩みより、玄関に入ったまま動かないデヴィッドは、昔と変わらず困ったような顔をしてマリアをみつめた。その瞳に浮かぶ涙が先にこぼれたのはマリアだった。
「お父様。ご無沙汰を、しております」
「ああ。本当に久しぶりだ」
そう言って二人が笑い合ったとき、思わずマリアは駆けていってデヴィッドに抱きついた。
それに驚いたのはデヴィッド。
これまで、マリアがこんなふうに自分に向かって来てくれたことがあっただろうか?マリアを抱きしめたことだってほとんど記憶にない。
「大変だったな」
騒動の知らせを受けたとき、すぐにマリアの元に駆けつけたかったが、まずはゴミを片づけなくてはいけないと思い、踏みとどまった。
「何もしてやれなくてすまない」
娘を守らなくてはいけないのに、不甲斐ない自分は父親失格だ。
「そんなことを言わないでください。お父様に守られているから、私はこうして好きなことができるのです」
そう言ってギュッと腕に力を入れたマリア。こうして父の胸に飛び込むのは初めてだが、不思議と抵抗はない。マリアを抱きしめるその腕は力強くて温かい。ずっとこの腕に守られてきたと実感することができて、マリアは幸せな気持ちになった。
「……怖かっただろう?」
憎きベンジャミンが、何を血迷ったか憲兵を呼べと騒いだとか。か弱いマリアは恐怖に震えていたのだろうと思うと、デヴィッドの胸は張りさけそうだった。
しかし、「イーサンが助けてくれました」とマリアが返事をすると、デヴィッドの機嫌が途端に悪くなった。事の詳細はすでに聞いているため、余計なことは言わないが、その名前を聞くのは本当に腹が立つ。
事実、イーサンがいなければマリアがもっと傷つくことになっていたのだから、感謝をしなくてはいけないくらいなのだが、あのバカ息子だ。しかも、ちゃっかりマリアの居場所を把握している。それが本当に腹立たしい。
「お父様。ぜひお茶を飲んでいってください」
マリアに手を引かれてテーブルまで連れていかれたデヴィッドは、マリアに促されるまま椅子に座った。
デヴィッドは部屋を見回した。
家のドアを開けたらすぐにダイニングテーブと六脚の椅子があって、その奥の庭まで見える見通しのいい部屋。左側には居間があり右側にはキッチン。二階にはマリアとジョアンナの寝室のほかに、誰も使っていない部屋が一部屋。
「いい家だ」
部屋の準備をし、内装までしっかりチェックをしたが、実際に人が住むようになると、デヴィッドが見たときとはずいぶん違う。
「ふふ、ありがとうございます」
そう言ってデヴィッドの前に淹れたての紅茶を置いた。
「マリアが淹れたのか?」
「はい。おいしいといいのですが」
そう言って眉をハの字にしたマリア。デヴィッドにはすべてが新鮮で、すべてが愛おしい。いつの間にマリアはここまで変わったのだろうか。
できることならこの成長を横で見ていたかった。そう思う。
「うん。とてもおいしいよ」
カップの紅茶を口に含み、ふわっと鼻孔を抜けた茶葉の香りを楽しむデヴィッド。
「うれしいです。今度、私のお料理も食べてください」
「……ああ、ぜひ食べさせてくれ」
カップの中で揺れるきれいな赤い紅茶は、自分の髪の色より薄い。ふとそんなことを思った。顔を上げると目の前に座るマリアの髪が赤く煌めいている。その表情は花のように可愛らしく柔らかい。
もう、自分の知るマリアではないのだ。すべてを拒絶して口を閉ざし、感情も見せなかったマリアではないのだ。
思わずデヴィッドの目に涙が浮かぶ。
「まぁ、お父様。どうなさったの?」
「つい、うれしくてね……」
「お父様」
「マリア。約束を破ってすまない」
マリアに会いには来ない。
マリアが屋敷を出るときにデヴィッドと約束したことの一つ。
平民の家に貴族が出入りしていると知られれば面倒だし、誰かがマリアと気がついても困る。そのため、デヴィッドは会いに行くことができなかった。
「そんなこと、気にしないでください。それに、私はお父様に会えて本当にうれしいのですから」
「私もとてもうれしいよ」
屋敷の殺伐とした雰囲気の中にあって、マリアからの手紙や、マリオの活躍を知ることがデヴィッドの喜びだった。
「お父様?」
「ん?」
「お仕事は忙しいですか?」
「なぜだい?」
「なんだか、とてもお疲れのようで」
ずいぶんと痩せてしまったし、白髪も増えている。
「心配はいらないよ。歳のせいか昔ほどは食べられないんだ」
デヴィッドがクシャリと笑った。
「そうですか」
決して歳のせいだけではないだろうが。
マリアはデヴィッドの顔を見た。幼いころからデヴィッドの笑顔など見たことがない。たぶん、マリアの記憶では一度もない。マリアに向けるのはだいたい困っている顔だった。
そしてデヴィッドにそんな顔をさせていたのはマリアだ。デヴィッドの愛情を拒絶し困らせて、歩みよることはしなかった。
きっと歯がゆい思いをしていただろう。デヴィッドに腕を伸ばせばマリアを抱きしめてくれたのに、胸の内を打ちあければ、マリアのために手を尽くそうとしてくれたはずなのに。何をしようとしても拒絶したのはマリアだった。
「お父様。私、お父様に謝らないといけないことがあります」
「なにをだい?」
「小さいとき、お父様が準備してくださったドレスを着たくないって言ったこと。……ごめんなさい」
「……」
そんな昔のことを?
「お誕生日パーティーを開かなくていいって言ってごめんなさい」
「……」
「私のことを心配してくれていたのに、素直に聞けなくてごめんなさい。お父様を悲しませてごめんなさい」
「なにを、言っているんだ。私が、不甲斐ないから、お前に辛い思いばかりさせて。お前が謝る必要はない」
「いいえ、そんなことはありません。お父様は、ちゃんと私に愛情を示していてくださいました。それを、拒絶していたのは私です。私はお父様を苦しめることばかりしていました。それどころか、私はお父様を責めていました。私のことなどわかってはくれないと勝手に思いこんでいたのです」
「本当にそのとおりなんだから、お前は悪くない」
デヴィッドの瞳に後悔がありありと浮かんでいる。
「いいえ。どうか、私が悪いと言わせてください。こんな愚かな娘ですが、見限らずにお父様の娘でいさせてください」
デヴィッドは目を見張って、それからうつむいた。
「何を、バカなことを。当り前だ。お前は私の、大切な娘だ。見限るなんて、そんなバカなこと」
「……」
やっと言葉にできた。手紙ではなく、自分の言葉で気持ちを伝えたかった。本当はもっとたくさん言いたいことはある。あったはずだった。だけど、今はこれ以上声になる言葉はなくて。
「本当にすまなかった。……愚かな父を許してくれ」
「……私たち、二人とも愚か者ですね」
そう言って笑うマリアの目に涙が浮かぶ。
「……ああ、本当だ。私たちは愚か者の似た者父娘だ」
デヴィッドが眉尻を垂らして笑った。
「あ、そうだわ。少し待っていてください」
マリアは急ぎ足で奥の部屋に行き、少しするとゆっくりと部屋から出てきた。その両手に抱えてきたのは、横幅が一メートルはあると思われる額に入った絵。
「マリア?」
慌てて駆けよってマリアを手伝ったデヴィッド。額が大きいためそれなりに重い。
「これは?」
床に置き壁に立てかけて、その絵を見ながらデヴィッドが聞いた。
「お父様にプレゼントしようと思って描いたものです」
「私に?」
「はい」
膝を突き祈る女性と、その女性に綿毛のタンポポを贈ろうとしている少女。一見とても美しく微笑ましい。綿毛が舞いあがり、光を浴びた二人の姿は神秘的で、まるで神に祝福されているかのようだ。
少女の手から綿毛のタンポポが数本こぼれ落ち、女性の頭の上にタンポポが載っている。よく見ると、少女は手を広げていて、女性の頭の上にタンポポをワザと落としているようにも見える。
「こんな立派な絵を私に?」
「お父様には私からプレゼントしたいと思っていたのです」
「……ありがとう。大切にするよ」
デヴィッドは感激して瞳を潤ませ、マリアはうれしそうにニコリと笑った。
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