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第二のイーサン・ドシアンと呼ばれている男

 古い本ばかりを扱うリベナには、かなりの本好きか、昔読んだことのある本を探しにきたと言う年配の客が多い。しかも、書架に並ぶ本は原本も多く値が張るため、比較的裕福な人たちが立ちよる場所だ。

 そのため、来店する人も疎らで、一日に二、三人くらいしか来ない日もあるし、二十人来たら結構忙しかったなぁ、なんてエリオットが肩を叩いてしまう。

 古書店リベナは、エリオットが自身の子供たちに、ただ私財を投じて浪費するだけの老後の道楽、と言われるほど儲けの少ない店だった。


 そのリベナは現在、人の足が途切れることがない盛況ぶりだ。というのは大袈裟だが、店内に同時に人が三人いることもある、なんてこれまで見たこともない状況が続いている。


 リベナで書写された本の挿絵は、今活躍中のマリオが描いている。


 そう知れ渡ってからマリオの絵を手に入れようと、人々が一時期殺到したのだ。マリオの絵はなかなか手に入らないが、写本なら絵より安価だし、今後その本の価値が上がることは間違いない。

 しかし、マリオが描いた挿絵のある写本が出るのは一カ月に一冊程度。今後書架に並ぶ本のタイトルは知らされていないし、予約はできない。そのため、いつ出るかわからないマリオの挿絵入りの写本を手に入れようと、足繁く通う人が後を絶たないのだ。


 人が店に来るようになればそれなりに本も売れる。お陰でこれまで書架に並べることができずに山積みにされていた本たちが徐々に書架に並ぶようになってきた。

 しかし、リベナに来て本を探す人の中には、本を読みたいわけではなく、『マリオの絵』を手に入れるために来ている人もいる。


「本を読みたい人に買ってもらいたいです」

「そうだね。でも、それは我々にはどうしようもないことだからね」


 店に来る人の中には、マリオに会わせてほしいという人もいて、そのうち、マリアがマリオだと知られてしまうのではと思うと心配も尽きない。


 ある日の昼過ぎ。いつものように、昼食をとるために外出しているエリオットの代わりにマリアが店番をしていると、若い貴族の男女がリベナのドアを開けた。そして店の中をキョロキョロと見回して、マリアの前までやって来た。


「おい」

「何かお探しですか」

「画家のマリオを出せ」

「……マリオは、こちらにはいませんが」

「ならどこにいる?」

「それは、お教えできません」

「なんだと!」


 若い貴族の男は横柄な物言いで、マリアを睨みつけ机を叩いた。マリアの心臓は跳ねあがり、鼓動が早くなる。


「貴様、俺を誰だと思っているんだ。ベンジャミン・ポルカだぞ」

「……」


 誰かしら?


「フン。無知な平民に言っても無駄か」

「申し訳ございません」

「とにかく、マリオを今すぐに出せ」


 マリアはギュッと手に力を入れて顔を上げた。


「なぜ、マリオをお探しなのですか?」

「は!あいつが、勝手に俺を描いたからだ」

「私のこともよ!」


 そう言ったのは、ベンジャミンの腕に自分の腕を絡ませた、ピンクのドレスにオレンジの髪の令嬢。


「……え?」

「俺たちを勝手にモデルにして絵を描いたのだから、迷惑料を請求する」

「……え?」


 いったい、何を言っているの?


「最近発表した『ファストゥナの花畑』のことだ。あの絵に描かれた男女は俺と彼女だろう」

「そんなこと……」


 ありえない。

 なぜ、彼らがモデルとなっていると言われているのだろうか?ファストゥナとはマリアの想像の花で、そこに佇む男女は決して彼らではない。


「金の髪に緑の瞳の男と、オレンジの髪の女。まさしく俺たちのことだ」


 違う、全然。それに、女性の髪はオレンジじゃない。もっと言えば、髪色だけならそれに当てはまる人たちはたくさんいる。そもそも、マリアは彼らとは会ったこともない。


「俺が第二のイーサン・ドシアンと言われているからといって、こんなふうに描かれるのは心外だ」


 第二のイーサン?それはどう言う意味?


「恋多き男とその恋人。プレイボーイと言われている俺を揶揄した絵で注目を浴びようなど、本当に品のない奴だ」

「……」


 この方たちは勘違いをしているわ。


「それで、お前は誰だ?」

「わ、私は、この店の、従業員です」

「フン、お前じゃ話にならん。店主を出せ!」

「今は、が、外出しています」

「なんだと!早く呼んでこい!」

「あ、あの……」


 ベンジャミンが次第に興奮していくのがわかる。マリアは、恐怖に体が竦み、声を出すのもやっと。


「平民の分際で、俺を待たせる気か!」

「み、みせを離れることは……」

「貴様、俺が本を盗むとでも言いたいのか!」

「そんなこと……」

「まさか平民如きに侮辱されるとはな!」


 ベンジャミンは踵を返して店の入り口まで行き、いつの間にか集まった野次馬に向かって話しかけた。


「おい、誰か憲兵を連れてきてくれ。本屋の女が、貴族である俺を侮辱した」

「そ、そんな」

「平民の分際で、この俺を泥棒扱いした。侮辱罪は鞭打ちの上投獄の大罪だ」


 ベンジャミンの言葉に人々が悲鳴を上げた。何か様子がおかしいと思って、店の様子を見にきた人たちの多くがマリアとは顔馴染み。マリアがどんな人柄であるかは知っている。そのマリアが、貴族に暴言を吐くなんて信じられない。


「おい、早く憲兵を呼べ!」


 ベンジャミンが大きな声を出したとき「何の騒ぎだ?」と二人の男が人混みをかき分けてやって来た。


「いったい何の騒ぎだ?貴様、誰だ?」

「あ、あなたは?」


 人混みをかき分けてやって来たのは二人の騎士。一人はまだあどけない顔をしていて、胸の飾り紐が一本であることから新人の騎士だとわかる。もう一人は。


「イーサン・ドシアン?」

「……誰だ、貴様。人の名前を呼び捨てにしやがって」


 リベナの前まで来たイーサンは、店の前に立つベンジャミンを睨みつけた。


「も、申し訳ございません。つい」

「それで、貴様はここで何を騒いでいる?」

「はい。実は、この本屋の女が私を侮辱したのです」

「侮辱だと?」

「はい!ですから、憲兵を……」


 ベンジャミンがそこまで言いかけたところで、吹っ飛んだ。


「キャー!」


 イーサンを見つめてうっとりとしていたベンジャミンの連れの令嬢が悲鳴を上げる。


「……な、に……」


 胸ぐらをひっつかまれそのまま思い切り投げられたベンジャミンは、地面に倒れこんだままの体勢で、顔を上げて呆然とイーサンを見た。鼻を地面にぶつけたようで、その白い顔の鼻から下が血で赤く染まっている。


「貴様は、いったい誰だ?」

「……ポ、ポルカ男爵家の、べ、ベンジャミンです」

「聞いたことのない名前だ」

「そんなはず……!」

「聞いたこともない」

「……」


 イーサンの刺すような鋭い視線に「ヒッ」と小さく声を上げ、ベンジャミンの歯がガチガチとぶつかった。


「貴様は、なぜここで騒いでいた?」

「あ、あの……、マ、マリオが」

「マリオ?」

「画家のマリオが、勝手に、私をモ、モデルにしたので」

「……は?」


 マリオが自分と恋人をモデルにして絵を描き、迷惑をしていた。しかも、第二のイーサン・ドシアンと言われている自分を使うことで、絵の知名度を上げようとしている。なんて図々しい奴だと思ったベンジャミンは、マリオに迷惑料を請求しようとここまで来た、とガチガチと歯をぶつけながら説明をする。


「つまり、勝手に自分たちがモデルだと思いこみ、恥ずかしげもなく迷惑料なるものを請求しようとした、というわけか。騒ぎを起こしてマリオのモデルとして知られれば、自分たちの知名度が上がるとでも思ったのか?迷惑をしていたんじゃなくて、うれしくてわざわざ騒ぎを起こしたんだろう?」

「……」

「しかも、友人に第二のイーサンと呼ばれて、気分を良くしていたと」

「……」


 イーサンは大きな溜息をついて、ベンジャミンの前にしゃがみ込んだ。そしてベンジャミンの耳元に顔を寄せる。


「お前、それは誉め言葉じゃないぞ」

「は?」

「本人の俺が言うのもなんだが、クズ野郎って意味だ。揶揄われているんだよ。……残念だったな」


 ますます顔を青くしたベンジャミン。イーサンは周りに聞こえないように声をひそめた。


「もし彼女を憲兵に引きわたすようなことをすれば、貴様はただでは済まない。最悪の場合は貴様の家も即没落するだろう」

「な、なぜ?」

「貴様が知る必要はない」

「……」


 イーサンは立ちあがり、フッと笑った。


「よかったな。貴様の鼻血だけでこの場を収めることができて。もう騒ぎを起こすんじゃないぞ。ここにも二度と現れるな」

「……」


 イーサンは、心配そうに見つめていた人々に美しい笑顔を向けた。


「皆さん、お騒がせしました。何やら勘違いがあったようですが、すべて解決しました」


 人々はワッと喜びの声を上げた。


 少しすると、騒ぎを聞きつけたのか誰かが呼びに行ったのか、若い二人の憲兵がやって来た。イーサンが簡単にさきほどの出来事を説明すると、憲兵はそれ以上何も聞かずに座りこんだままのベンジャミンを立たせ、両肩を担いで歩くように促した。


「あ、りえない。これは、ぶ、侮辱罪だ……!」


 残念なことにベンジャミンには、イーサンの優しさが伝わらなかったようだ。


「大人しくしていれば、これ以上痛い思いをしなくて済んだのにな」


 イーサンは溜息をついて憲兵に声をかけた。


「ベッドフィールド伯爵に連絡をしてください。すぐに解決しますよ」


 それを聞いた若い憲兵はまじめな顔をして「わかりました!」と声を張りあげた。


 やり過ぎたかな。まぁ、別に構わないか。あとは彼がうまくやってくれるはずだ。


 メルニックは、ベンジャミンを無傷では済まさないだろう。ほどほどにしてくれるといいのだが。


 ベンジャミンが、憲兵に引っ張られるようにしてこの場を去っていく後ろ姿を見送ったイーサンは、急ぎ踵を返した。


「マリア!」


 イーサンがリベナに入ると、顔を青くしているマリアと、心配そうにしているエリオット。


「イーサン様、ありがとうございました」


 騒ぎを聞いて慌ててリベナに戻って来たときエリオットが目にしたのは、イーサンに胸ぐらを掴まれ、あっという間に吹っ飛んでいったベンジャミンの姿。それから急いで店内に入ると、青い顔をして震えているマリアの姿があった。

 慌てて駆けよって、「イーサン様が来てくれたから大丈夫だよ」と声をかけると、次第にマリアの体の震えが止まっていった。しかし、緊張して強張った体はそのままで、顔も青褪めたまま。

 しばらくして男の怒鳴る声も、誰かの悲鳴も聞こえなくなり、店の外に集まった人たちがざわめきと共にその場から離れていくと、イーサンが店内に入ってきた。その姿を見てホッとしたマリアの瞳から、大きな涙がボロリとこぼれた。


「イーサン、ありがとう」


 青い顔をして見上げるマリアをイーサンが思わず抱きしめた。


「マリアが無事でよかった」

「……」


 椅子に座っているマリアの顔はイーサンの腹の辺り。それでもイーサンの心臓の音が聞こえる。とても大きく、とても速い。そしてとても安心する。いつの間にかマリアの腕がイーサンの腰に回っていた。


 エリオットは、そっとその場を離れた。

 イーサンが指導のためにと連れていた新人騎士は、店の入り口で二人の姿を見て呆然としている。

 ドアが閉まっていたのは幸いだ。抱きあう二人の姿を野次馬たちが見たら、黄色い悲鳴と同時に新聞の号外が出たかもしれない。というのは言いすぎだが、きっと大変なことになっていたはず。

 エリオットは新人騎士をお茶に誘って、しっかりと口止めをした。





読んでくださりありがとうございます。

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