マーガレットの本当の顔
ガッシュリードは横に置かれた水で口直しをし、気を取りなおしてマーガレットを見た。
「それで、本日私が呼ばれたのは」
「あら、ふふふ。私ったら、まったく関係のない話をしてしまいましたね」
クスクスと笑うマーガレットは、先ほどの少し頼りない感じとは違う。それどころか、いつの間にか自分がマーガレットの雰囲気に飲みこまれているような気さえする。
公爵家の屋敷の中に入っているのだ。多少の気後れくらいある。だが、ここで弱いところを見せてはいけない。
ガッシュリードは雰囲気に飲みこまれまいと平静を装い、自分の望む流れにする方法を考えていた。
「クリンフォッド侯爵夫人から聞きましたの」
来た!
「うちのイーサンと、スチュワート卿のご息女が婚約をするそうですね?」
「は?はい。さようでございます……?」
何かマーガレットの口ぶりがおかしい。
「うーん、でも不思議なのです。イーサンからそんな話は聞いたことがないものですから」
「イーサン様から?」
「イーサンがご息女と親しくさせていただいている話は、クリンフォッド侯爵夫人から聞きましたが、まさか親の私たちに話もなく婚約なんて」
マーガレットがガッシュリードを見た。
「ありえないでしょう?」
ガッシュリードの顔が青い。
「それは、何か、イーサン様が……」
「息子が?何か?」
「いえ、ですが、クリンフォッド侯爵夫人が」
「クリンフォッド侯爵夫人が?」
「イーサン様と、娘の婚約を」
「……」
「……お約束」
マーガレットが大きな溜息をつき、ガッシュリードがビクンと肩を震わせた。
「なぜ、クリンフォッド侯爵夫人がドシアン公爵家の婚姻の約束なんてできるのでしょうか?まったく無関係なのに」
「……は、はい……それは……」
マーガレットは少し大きめの音を出して扇を開いた。その音に再度肩をビクッと震わせたガッシュリード。
「いったいどういうことかしら」
「は、いえ、はい……」
ガッシュリードの顔から血の気が引き、目の前が真っ暗になった。
なぜだ?ミリアーナ様が話を通したわけではなかったのか?だから、今日呼ばれたのではなかったのか?婚約の話をするのではなかったのか?盛大なパーティーを開いて、その場で婚約が発表されるのではなかったのか?
「夫人、申し訳ございません。な、何か手違いが……」
「手違い?」
「い、いえ……、私の、勘違いかと」
「勘違い?勘違いで婚約の話を?」
「……」
ガッシュリードは膝の上で両拳を握りしめ、顔を青くしている。
「ふふ、ふふふふ」
突然扇で口元を隠して笑いだしたマーガレット。驚いて顔を上げたガッシュリード。
「驚かしてしまって、ふふふふ」
「いったい……」
扇を閉じたマーガレットが少し首を傾げた。
「申し訳ございません、スチュワート卿。私ったら、クリンフォッド侯爵夫人にイラッとしてしまって、あなたに八つ当たりをしてしまいましたわ。ふふふふ」
「や、つ当たり……」
「それと、もう一つ、ごめんなさい。クリンフォッド侯爵夫人とどのような話をしたかは存じませんが、イーサンは諦めてくださいな」
「え?」
「イーサンをご息女と結婚させることはできません」
「そんな!」
「こちらの与り知らぬ話です、当たり前でしょ?」
「……」
ガッシュリードは顔を蒼くして、口をギュッと結んだ。
「ですが、愚息が中途半端なことをして、ご息女に期待を持たせたことを謝ります。申し訳ありませんでした」
マーガレットは深く頭を下げた。ガッシュリードは吃驚して目を見開き、言葉もなくその姿を見つめる。
「……」
格下の自分にこんなにも深く頭を下げるなんて。……これが、ドシアン公爵夫人。
そして、その姿勢からしばらくしてゆっくりと顔を上げた。
「イーサンには心に決めた人がいます。たとえ、その方と結ばれることがなくても、その方以外を愛することはないでしょう。ですから、もしイーサンとご息女が結婚をしたとしても、幸せになどなれません」
「……」
「ご息女には幸せになってもらいたいと思いませんか?」
ガッシュリードはがっくりと肩を落とした。ハンナの悲しむ顔が浮かんでくる。それと同時に、イーサンと結婚をしても、引きつった笑顔のまま不幸を抱いて生きていく姿が想像できた。
「このようなことになってしまったのは残念です。ですが、その代わりと言ってはなんですが、私の友人を紹介させてください」
「は……?」
「あなたが欲しがっている人脈、私がつないで差しあげますわ。それと、……ご息女に、ご縁を」
「……」
「せめてもの償いです」
「……いえ、そのような気遣いは必要ありません。すべては私が勝手に思い違いをして、夫人やイーサン様にご迷惑をおかけしたこと。償いなんてとんでもないことです」
「そうですか」
マーガレットは砂糖菓子を一つ抓んで口に入れ、それから珈琲で流し込んだ。
「それなら取引をしましょう」
「取引ですか?」
「そうです」
「いったいなんの?」
また、宝石でも寄越せと言われるのか?
「クリンフォッド侯爵夫人と手を切ってください」
「侯爵夫人と?」
「ええ。その見返りが人脈です。それなら、公平でしょう?」
公平なのか?確かに、人脈は欲しい。しかし、たとえ夫人が人脈をつないでくれたとしても、ミリアーナの妨害にあえばあっという間にその人脈も途切れてしまうのでは。
「私には、クリンフォッド侯爵夫人より力がないとお思い?」
「……いえ」
「最近色々なパーティーに出席されていましたわよね?」
「は、はい……」
「新しい鉱山での採掘は順調だそうですね」
まさか。
マーガレットはニコッと笑った。
パーティーでベニトアイトや新しい鉱山の話をしても手応えがなかったのは、夫人が手を回したということか。
「そんな……」
マーガレットは優しそうな顔の下に、強かで恐ろしい顔を隠している。きっとミリアーナなど、足もとにも及ばない力を持っているのだ。自分はそんな人を敵に回そうとしていたのだ。
「どうしますか?」
「……クリンフォッド侯爵夫人と、手を切ります」
「ふふふ、そう。これから、よろしくお願いしますね」
「……はい。どうか、よろしくお願いいたします」
ガッシュリードは拳を強く握り、深々と頭を下げた。
屋敷に戻ったガッシュリードを外まで出迎えたハンナ。あの、キラキラと輝いた瞳が涙に濡れるのかと思うと、心臓が潰れる思いだ。それでも伝えなくてはならない。
馬車を降りたガッシュリードは、駆けよって来たハンナを抱きしめた。
「お帰りなさい、お父様」
「……」
「お父様?」
「すまない、ハンナ」
「え?」
「イーサン様との婚約は、なくなった」
「え?」
「すまない。イーサン様とは……」
「……いや、いやー!」
ハンナはガッシュリードの腕の中で暴れ、泣き叫んだ。その悲しみは屋敷の隅々にまで広がり、長く重苦しい時間が続いた。
イーサンがハンナの元を訪れたのはその二日後。
二人の話が平行線のまま終わってしまったとしても仕方がない。これから先、イーサンを攻撃してくれても構わない。新聞に取りあげられようが、噂のネタにされようが構わない。もし、イーサンを殴りたいならいくら殴ってくれても構わない。そう告げるつもりでいた。そしてもうこれきりと決めていた。今日でここに来るのは最後にする。
「……本当はもうわかっているんです。もう、……ずっと前からわかっていました」
長い沈黙のあと、イーサンが口を開こうとしたとき、ハンナがポツリと呟いた。
「無理なのだと」
「すみません」
「……泣いて縋るのはみっともないですか?」
「……いえ」
「女の武器なんて使ってと思いますか?ずるい女だと」
「いえ」
「……私は、ずるいと思います」
「……」
「断れないイーサン様にこんなことをして」
「……なぜ、ずるいと思うのに……」
「……どんなにみっともなくても、どうしてもイーサン様に笑ってほしかった。初めて、男の人を好きになったんです」
「……」
ガッシュリードに淡い恋心を打ちあけたら、ミリアーナが紹介をしてくれた。ガッシュリードがどんな手を使ってミリアーナとつながり、イーサンを紹介してくれるまでの関係になったのか気にならないわけではなかったが、それよりもイーサンに近づける喜びが勝った。
そして、初めてイーサンと話をしたとき、なんてかわいそうな人だろうと思った。作られた完璧な笑顔が痛々しくて、噂に聞くプレイボーイにはどうしても見えない。ポロッとこぼした元婚約者への未練が、ますますハンナの気持ちを強くしたし、自分が少しでもイーサンに安らぎを与えてあげられればと願った。
「あなたを笑顔にしてあげたいと思ったのです」
ハンナの瞳から大きな涙がこぼれ落ちた。
「……」
「卑怯だってなんだっていい。自分にできることはなんでもするって決めていました」
このまま二人で過ごしていれば、きっとイーサンが心を開いてくれると信じていた。それなのに、どんなに近づこうとしても、ハンナの一歩よりずっと大きな歩幅でイーサンは後ろに下がっていく。
それでも、悲しくても惨めでも諦めきれない思いがハンナの背中を押していた。
「私があなたを幸せにしてあげたかった。あなたも私と同じ気持ちになって、二人で笑いあえたらと思っていました」
「……」
「……でも、もう諦めます。ごめんなさい、イーサン様を困らせて」
どんなにハンナが大粒の涙を流しても、イーサンがその腕に抱きしめることはない。イーサンは深く頭を下げた。
「私も、本当に申し訳ありませんでした」
後日、ハンナから謝罪の手紙とブレスレットが送られてきた。イーサンと対で買ったブレスレットだ。手紙には、もしまだ対のブレスレットを持っているのなら、一緒に捨ててほしいと書かれていた。
読んでくださりありがとうございます。








