秘密
久しぶりにドシアン公爵邸に帰ってきたイーサン。
「母さんはどこ?」
上着を執事のメルローに渡しながら聞いた。
「居間でお待ちです」
「……怒っていた?」
思わず声を潜めてメルローに聞くイーサン。
「いえ」
「父さんと喧嘩した?」
「そのようなことは」
「そうか」
思わずホッと息を吐いてしまった。
普段のマーガレットは優しいが、一度怒るとそれはそれは怖い。いきなり呼びだされたイーサンがビクビクしてしまっても仕方がない。
イーサンが居間のドアを叩くと「どうぞ」といつもの優しい声が聞こえた。イーサンが顔をのぞかせると、マーガレットは優しい笑みを浮かべている。多分、怒ってはいない。
「どうしたのですか?急に」
マーガレットが座っている向かいのソファーにイーサンが座ると、侍女が温かい紅茶をイーサンの目の前に置き、そのまま部屋を出ていった。
「何かありましたか?」
「……」
マーガレットの顔にわずかに緊張が見えた。
「母さん」
マーガレットが溜息をつく。
「あなたに聞いてもらいたいことがあるの」
「はい」
「私たち夫婦とパルトロー侯爵家のことよ」
「……はい」
イーサンは少し緊張をして、背筋を伸ばした。
「私たちはね、学生のころに大きな過ちを犯したの」
「……それは、父さんと母さん、おじさんと夫人のことですか?」
「そう。誰にも言わないことが条件よ。聞く?」
「はい、聞きます」
イーサンの握った拳に少し力が入った。
アンドルーとマーガレット、デヴィッドとアナベル。
最初に仲良くなったのはアンドルーとデヴィッド。そして互いの婚約者を紹介することで、四人は親しくなった。知り合った最初のころは、本当にただの友人として付き合っていた。
ただマーガレットは、アナベルのアンドルーを見る目が気になった。友人というには少し近いその距離にも。そしてアンドルーが、マーガレットには見せたことのない楽しそうな笑顔を、アナベルに向けることにも。
アナベルがおかしなことをマーガレットに言ったのは、出会って二カ月が過ぎたころ。
「アンドルーったらおかしいのよ。私と話をしているとホッとするんですって」
マーガレットの腕に自分の腕を絡ませてアナベルはクスクスと笑う。
「……そう」
マーガレットは容姿こそ可愛らしいが、性格は気が強く男勝り。アナベルのように、上目遣いに見上げて甘える可愛らしさは持ちあわせていない。アナベルは美しくて庇護欲を掻き立てるような可憐さがある。それに、距離をグッと詰めてくるその振る舞いは自分には真似できない。
マーガレットだって女の子だ。甘い恋に憧れる気持ちがないわけではない。でも、未来の公爵夫人として勉強することや、領地経営の勉強をするほうがずっと楽しかった。だから、アナベルの言葉に胸がズキンと痛んだが、どこかで仕方がないと諦める気持ちがあった。
そしてあるとき、アナベルが信じられないことを言った。
「ねぇ、マーガレット。私、アンドルーのことが好きなの」と。
マーガレットの体中の血が一気に下がり鳥肌が立った。
「何を、言っているの?」
「マーガレット」
アナベルはいつものようにマーガレットの腕に自分の腕を絡ませて、少し顔を寄せた。
「私たち、卒業をしたら互いの婚約者と結婚をするじゃない?でも、私、デヴィッドのこと嫌いじゃないけど好きでもないの」
「……」
マーガレットは込みあげてくる言葉を殺し、体中を駆け巡る怒りを理性で心臓の奥のほうへ押し込めた。
「あなたたちだってそうでしょ?二人は愛し合っているわけじゃないでしょ?」
「バカなことを言わないで。私たちはちゃんと互いを信頼しあっているわよ」
「でも好きなわけではない」
アナベルはクスクスと笑う。自分の言っている言葉がどれほど醜悪に満ちているかなんて気がつきもしない。いや、本当は気がついているのかもしれない。気がついていて、それでも可愛らしい笑顔で平然と口にすることができるのかもしれない。それなら、ずいぶんと強かだ。
「アンドルーも私と話をするのが楽しいって。だからね、学生の間だけ婚約者を交換しない?」
「……」
そう言って笑うアナベルの顔からは、悪意なんて微塵も感じない。ただお菓子を強請るわがままな子供のように、上目遣いで見つめるだけ。
信じられない。本気でそんなことを言っているの?
「くだらないことを言わないで。ありえないわ」
「本当に?アンドルーがそれを望んでも?」
「彼がそんなことを望むわけがないじゃない!」
「やだ、マーガレットったら。大きな声を出して」
「……」
いつも冷静なマーガレットが、思わず声を荒らげてしまった。
「学生のあいだだけよ。ただ、雰囲気を楽しみたいの。ね?きっと楽しいわ。あなたとデヴィッドも気が合うと思うの。彼ってちょっと堅物で、まじめ過ぎるけど、マーガレットとお似合いだわ」
アナベルが可愛らしく手を振ってその場を離れても、マーガレットはしばらくその場を動くことができなかった。
婚約者を交換?なんてバカバカしいことを言うのかしら。彼がそんなこと承諾するはずがないじゃない。
それなのに、冗談交じりに「そんなことありえないわよね」と笑い話にしようとしたら「それも、面白いかもね」とアンドルーが美しい笑顔で答えた。
「……え?」
「僕たちはずっと一緒にいるだろ?恋だってしたことがないんだ。学生の間くらいそんな時間があってもいいと思うよ」
「……」
互いの話し相手がかわったのはそれからすこししたころ。
マーガレットの目の前で、親しげに話をするアンドルーとアナベルを見ながら、デヴィッドと話をする。
アナベルに押しきられ、パートナーを交換することを、渋々承諾したことはデヴィッドから聞いていた。だから、複雑そうな顔をしているデヴィッドが、自分と同じ感情を持っていると思うと、マーガレットはすこし安心をした。それはデヴィッドも同じ。
それに、アナベルが言ったとおり、二人はとても気があった。二人の間で話すことは、領地のこと、社交界のこと、王国のこと、他国のこと。とても男女の恋情が生まれるとは思えない話ばかりだが、互いに広い知識と探求心を持っているから、話せば話すほどその見識に感心したし夢中になった。
そうすることで、目の前の二人を気にしないようにしていた。
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