待ちに待った手紙
スチュワート伯爵邸の執務室。
「クソッ」
ガッシュリードが机を叩いた。最近のガッシュリードはいつもイライラしている。
「才能の欠片もない奴め」
ガッシュリードが支援をしている画家の絵がまったく評価されない。しかも、ガッシュリードが支援を始めて数カ月がたつのに、描きあげた絵はたったの二枚。絵画展に出展すれば、「どこかにありそうな絵ですね」と言われ、恥ずかしくてその場を早々に立ち去った。
「どいつもこいつもマリオマリオと。いったいあの絵の何がいいんだ!」
飛ぶ鳥を落とす勢いのマリオが新しい絵を発表すると、必ず高値で取引される。それに、マリオのように、これまでにない絵を描く作家が少しずつ現れはじめた。それこそ、あの芸術祭では目もくれなかった絵が、ここにきて注目されるようになったのだ。
マリオの絵は、これからもっと人々に認知されていくはずだ、と誰かが言っていた。今主流の絵に取ってかわっていくだろう、と。
「冗談じゃない!これからだというのに」
パトロンとして支援しながら人脈を広げていこうと思っていたのに、無駄に出費だけをしている。たいした絵も描かずに訳のわからない持論を展開して、マリオに張りあっているが、結局まともな絵も描けないまま。本当にふざけた奴だ。
「あんな使えない奴は追いだしてやる」
画家のために家を買って、使用人もつけてやったのに。とんだ金食い虫だった。
イライラして手元にあった紙をまとめて床に投げつけたとき、ドアをノックする音が聞こえた。
「お父様」
返事も聞かないうちにドアを開けたハンナが、床に散らばった紙を見て驚いた顔をしている。
「ああ、ハンナ。いったいどうしたんだい?」
慌てて紙を拾うガッシュリード。
「お父様こそ、どうなさったの?廊下まで大きな声が聞こえていたわ」
ガッシュリードのことを心配して、慌てて入ってきたらしい。
「ああ、すまない。ちょっと、気分の悪くなることがあってね」
「お父様が支援している画家のこと?」
「知っていたのか?」
「ええ」
評判が芳しくないことは母から聞いている。そのせいで、ガッシュリードの飲む酒の量が増えたとか。
それに、最近はパーティーにも頻繁に参加をして、人脈を広げようとしているがうまくいっていないようだ。希少なベニトアイトの話をしても、新しい鉱山の話をしても、いま一つよい反応を得ることができないらしく、それがますますガッシュリードを酒に走らせている。
「お体に障るので、お酒の飲み過ぎはいけませんよ」
ハンナがそう言ってガッシュリードの手を取った。
「ありがとう、ハンナ。本当にお前はいい子だ」
「お父様のことを心配するのは当然ですわ」
ニコリと控えめな笑顔を浮かべるハンナ。
「……ハンナ、お前は私の自慢の娘だ。それに喜べ。もうすぐ、お前の婚約が決まるぞ」
「……本当?」
「ああ。ミリアーナ様が約束してくださった」
本当はドシアン公爵と直接話をして、確実に約束を取りつけてから伝えたかったが、まぁ問題はないだろう。
「……うれしいわ!」
最近元気のなかったハンナがようやく可愛らしい笑顔を見せて、ガッシュリードに抱きついた。
「このときをずっと待っていたの」
「ああ、本当に待たせてすまなかったな」
ガッシュリードもハンナを優しく抱きしめた。
「そう言えばハンナ。何か私に用事かい?」
「あ、そうでしたわ」
ハンナは弾んだ声で手を叩いた。
「私ったら、すっかり不作法をしてしまいましたわ」
手紙を届けにきたのに、無意識にテーブルに置いてしまっていた。それを手に取ってガッシュリードに渡す。
「ハンナが手紙を届けてくれるなんて珍しいね」
「だってお父様!」
眩しい笑顔を見せるハンナが差し出した手紙は、ドシアン公爵からのもの。
「なんと」
今、婚約の話をしたのに、その家から手紙が届いていた。
「ついに来たか」
ミリアーナが宝石分の仕事をしてくれたようだ。
ガッシュリードは急いで封を開けて手紙を取りだした。
「なんと書かれているのです?」
「まぁ、待て」
ハンナは待ちきれずに、思わず催促をしてしまった。
「屋敷に呼ばれた」
「まぁ」
「一週間後だ」
「ああ、なんてことでしょう」
ハンナは背中に羽でも生えているのではないかと思わせるほど、軽やかにガッシュリードに抱きついた。
「こらこらハンナ、少し落ちつきなさい」
「そんなこと無理よ!」
久しぶりにハンナの喜ぶ顔が見られてガッシュリードもうれしくなる。
「お父様、その日は私も一緒に行けるの?」
「イヤ、私だけだ」
「まぁ、残念だわ」
そうは言うが、ハンナの顔は言葉とは裏腹に輝かんばかりの笑顔だ。
「まぁ、家同士の話しあいだからな。お前たちは話がまとまってからゆっくりと関係を深めていけばいい。焦る必要はない」
「ええ、そうですわね」
ハンナはうれしくて今にも走りだしそうになりながら、「お母様に伝えてきます」と言って部屋を出ていった。
ガッシュリードは深く息を吐いた。
やっとこのときが来た。ずいぶんとミリアーナには貢いだが、結果がついてくれば問題はない。
「公爵家と縁を結べば、私も社交界で顔が利くようになる。私を相手にしなかった奴らが、どんな顔をするのか見物だ」
笑いが止まらない。幼いころから貧乏伯爵と言われていた爵位を継いでから、これまでずいぶんと苦労をしてきたが、それがついに実を結ぶのだ。
「急いでスーツを一つ仕立てるか。相手が公爵家だとしても、舐められるわけにはいかないからな」
ガッシュリードは上着を羽織ると、軽い足取りで執務室を出ていった。
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