ゆがんだ想い
マリアに見せつけるようにパーティー会場でほかの令嬢と仲良くし始めて三年。その効果がまったく出ないまま、気がつけばプレイボーイと言われるようになっていた。
最初のうちは、マリアの前でほかの令嬢と楽しく話をして、素敵にダンスを踊る程度。それなら、社交の範囲だし浮気とは言わない。しかし、婚約者を放っておいてほかの令嬢と楽しそうにしていたら、普通は気分が悪いだろう。それなのに、マリアはイーサンに怒るようなことはしない。
そうこうして三年にもなると、マリアの目に入るように令嬢と会場を抜け出して、令嬢の香水の香りをつけてマリアの元に戻るようになった。それでも、マリアは眉の一つも動かさない。
顔がわずかにでもゆがんでくれれば、二度としないのに。
毎回毎回それを期待してマリアの元に戻るイーサンもかなり拗らせている。だが、もうやめないと。さすがにマリアにあんなところを見せたくはなかった。
「明日、マリアに謝りに行こう」
仕事も休みだし、花とアクセサリーを買って平謝りするんだ。願わくは、謝る自分に許さないと言ってほしい。泣いて怒ってほしいし、叩かれたい。
「……相当拗らせているな」
何でもいいから、自分に関心を示してほしい。
そうは願っても、そうしてくれないのがマリア。
黄色い向日葵の花束を抱えて、黄緑色のガーネットが輝くネックレスを持って屋敷に向かい、マリアの目の前で床に額をつけて謝ったイーサンに、「大袈裟ねぇ」と困った顔をしただけ。
「そんなことしないで。別に怒っていないから」
「……」
そうだろうと思った。君は俺に怒らない。俺が何をしても、興味がない。
顔を上げたイーサンの目に映るマリアは変わらず美しい。
イーサンはずっとそう思っていた。自分以外の誰もが、マリアを地味で暗くて近づきたくないと言っても、それがまったくわからない。なんでこんな美しくて可愛くて優しいマリアをそんな風に言うのか。
でも、他人の目にそう見えるのなら好都合。マリアにちょっかいを出す人間がいないのはいいことだ。
「マリア。俺はもう二度とあんなことはしない。だから昨日見たことを忘れてほしい」
「いいわよ。忘れてあげる」
「……ありがとう」
きっとすでに覚えてもいないだろう。
「もう、用事は終わったの?」
マリアが可愛い顔をしてイーサンに聞いた。
「ああ、今日はマリアに謝るために来た」
「そう。それは、悪いことをしてしまったわ」
なぜ、マリアが悪いことをしたことになるのだ。
「今日は私以外には誰もいないから、おもてなしができないの」
そう言えば、マリアの家族はいないし、屋敷の使用人もほとんどいない。
「今日は、ジュリエンがヴァイオリンのコンクールで優勝をしたお祝いに、郊外の湖でパーティーを開くのですって」
「は?」
「それで、皆一緒に行ってしまったの」
パーティー会場を調えないといけないし、いろいろと準備に人手が必要だとかで、屋敷以外でパーティーを開くときには必ず屋敷中の使用人を連れていく。移動費だけでもどれだけかかるのかと心配になるが、侯爵家の資産は潤沢だ。
それなら外注すればいいのにわざわざ使用人たちを連れていくのは、アナベルの希望通りに調えることができるのは、慣れた使用人たちだから、だそうだ。
それに、全部アナベルの指示で、デヴィッドは口出しできない。
「……わけがわからないな」
「だから何もおもてなしができないのよ」
「それで、なんでマリアだけ屋敷にいるんだ?」
「呼ばれていないもの」
家族なのに、呼ばれているとかいないとか、そんなこと関係ないだろう?
普通ならそう思うが、マリアに限っては違う。アナベルにとって、マリアは目の端にも入れたくない存在。当然、パーティーに呼ぶはずがない。
だからって、マリア付きの侍女まで連れていくことはないと思うのだが。
イーサンはグッと唇を噛んで、それからふと思ったことを口にした。
「……最近人気のカフェがあるんだ。今から一緒に行かないか?」
「まぁ、人気のカフェなんて素敵ね。でも、私を連れていっても仕方がないから、どなたかほかの令嬢と一緒に行くといいわ」
マリアはそう言うとドアの前まで行って、ドアを開けた。帰れ、と言っている。
「もう、そういうことはしないと言っただろう?」
「……私のことは気にしないで」
「マリア、一緒に行こう?君を連れていきたいんだ」
「……」
マリアの手を取るイーサンをジッと見つめたマリアは、小さな溜息をついてから「わかったわ」と返事をした。
イーサンの顔が途端に輝いた。十回に一回くらいしか成功しないデートの誘いに、マリアが応えてくれたのだからうれしくないわけがない。
今日のドレスは深い緑色のシンプルなもの。十八の令嬢が着るには少し地味にも思えるが、イーサンの目には、品と美しさしか感じないのだから、友人から病んでいると言われても仕方がない。それに、今贈ったプレゼントがきっと映えるはず。
「ネックレスを着けてくれないか?」
マリアに贈ったネックレスの宝石は、イーサンの瞳の色と同じ黄緑色のガーネット。小さな粒だから近づかないとそうとは気がつかないが、派手なものを好まないマリアのことを考えて、チェーンを細いゴールドに替えてもらい、極力目立たない仕様にしてもらった。
それなのに、箱を開けたマリアからは、想像通りの言葉が返ってきた。
「こんな可愛らしいネックレスは、私には似合わないわ。ごめんなさいね」
そう言って首を振る。
「そんなことはない!君は……」
そこまで言って口を噤む。
マリアに可愛いときれいという言葉を言ってはいけない。だから、それ以上何も言えなくなる。イーサンは、マリアに何年も伝えたい言葉を伝えることができないでいるのだ。
「……行こう。カフェに到着するころには空いていると思うよ」
「詳しいのね」
「……うん」
マリアの言葉に嫌味はない。詳しいと思ったから言っているだけ。
「誰かと行ったことがあるの?」とか、そんな言葉が続くのではないかとドキッとしたが、それ以上は何も聞かれなかった。
いつかマリアと行きたいと思っていたのに、マリアにはいつも断られ、イーサンを誘ってくるのはマリア以外の令嬢たち。
新しくできた話題のカフェで、内装はお洒落でケーキやお茶の種類も豊富。
きっとマリアならこの席を選ぶだろう。きっとマリアならこのケーキを気に入るはずだ。
目の前で楽しそうに話をする令嬢に適当な相槌を打っては、そんなことを考えていた。
それなのに、思いがけずこんなチャンスを手に入れた。マリアがデートに応じてくれたのだ。
マリアを置いていった家族や屋敷の使用人たちには腹が立つが、それよりも感謝のほうが大きい。
お陰で、マリアと念願のカフェデートができるのだから。
「着替えるかい?」
「着替えたほうがいい?」
「……」
普通なら出かけるときにはドレスを着替え、化粧をして髪を整えるだろうが、今は使用人がいない。
つまりマリアの身支度を手伝える者がいないのだ。
「それなら、買い物にも行こう」
「え?」
「ドレスをプレゼントするよ。素敵なドレスを扱っているブティックがあるんだ」
「……要らないわ」
「どうして?」
「私には似合わないから」
「そのブティックはね、色味の落ち着いたシンプルなものばかり扱っているんだ。だから、マリアも気に入ると思うよ」
「……」
「行こう」
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