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ジュリエンとヴァイオリン

 パルトロー侯爵邸の執務室に、デヴィッドとジュリエン。

 ジュリエンの手には、誕生日に買ってもらったヴァイオリン。アナベルが手を尽くして見つけた逸品だ。


 デヴィッドに、ヴァイオリンを持って執務室に来るように言われジュリエンは不思議に思った。

 アナベルと違い、デヴィッドはジュリエンがヴァイオリンにのめり込むことを快く思っていない。ジュリエンの才能を認めていないわけではないが、ヴァイオリンにのめり込むあまり、次期当主としての勉強が遅れを取りはじめていることを危惧していたのだ。


 以前よりデヴィッドからヴァイオリンより勉強を優先させるようにと言われてはいたが、そのたびにアナベルが「ジュリエンの才能を無駄にするつもりですか」と喚きたて、ヴァイオリンの練習を優先させていたのだ。

 そのお陰もあって先日のコンクールでも優勝することができたのだから、デヴィッドの考えが変わって、ヴァイオリンを優先させることを認める気になったのかもしれない、と密かに期待をしている。


「最近、また教師をクビにしたそうだな」

「え?」


 デヴィッドが感情のない冷めた口調で、自分の想像とは違う言葉を口にしたのでジュリエンは一気に顔が赤くなった。


「あれは、あの教師が僕をバカにしたから」


 王国の歴史において一番重要な人物は誰だという質問で、ジュリエンは建国の父ヴァーサを挙げた。しかし、教師が挙げたのは第六代国王イグニスだった。

 イグニスは長く続いた戦争に終止符を打った英雄で、彼がいなければこの国は滅んでいたかもしれないと言われているほどの人物。

 もし教師がほかの人に同じ質問をすれば、皆が当然のようにイグニスの名を挙げる、それくらいある意味簡単な質問だった。しかし、ジュリエンは建国の父ヴァーサがいなくてはこの王国は誕生しなかったから、という理由でヴァーサの名を挙げたのだ。

「確かに建国をしたヴァーサも重要な人物ではありますが、彼は代々豪族として治めていた土地を建国したのです。イグニスほどの功績を挙げたかと言えば、そうではありません。建国後、わが王国は徐々に国土を広げていきましたが、それをしたのはヴァーサではありません。反対に、イグニスはその知力と武力で敵国を翻弄し、戦争を終結させ、悪政を敷いた当時の国王を王座から引きずり下ろしました。彼がいなければ、国は疲弊し今のような姿ではなかったでしょう」と溜息をついた。

 イグニスが立ちあがらなければ、この平和な日常はなかったかもしれないと思うと、彼の偉大な功績はどれだけ賞賛をしても足りない。

 教師はそう言って熱心にジュリエンに教えた。


 しかしジュリエンには、教師のその言葉が、そのようなことも知らないのか?と言っているように聞こえた。あの溜息、あの哀れなものを見るような目。自分をバカにしているとしか思えない。

 そして、アナベルに泣きついたのだ。


「そのお前をバカにしたというクリティアル卿は、これまで高位貴族の子息を何人も教えてきた高名な教師だ。彼の教え方は丁寧で、わかるまで根気よく教えてくれると評判なのだぞ。本当にお前をバカにしたのか?」

「……そうだったと思います」


 ジュリエンはうつむいて頼りない声で返事をし、デヴィッドは大きな溜息をついた。


「お前が三人も教師をクビにするから、今ではお前を教えてもいいと言ってくれる教師を見つけるのも大変な状況だ」

「……でも」

「お前に次期当主の自覚があるなら、もっと勉強に重きを置け。それともヴァイオリニストにでもなるつもりか」


 デヴィッドがそう言うとジュリエンが顔を上げた。


「僕には才能があるんです」


 先のコンクールでも審査を務めたお歴々から賞賛されている。「素晴らしい」「これからも精進してほしい」、そう言われたのだ。


「だからなんだ?」

「え?」

「お前に才能があることは素晴らしいことだが、それが次期当主としての勉強を怠ることとなんの関係があるんだ?」

「怠ってなんかいません」

「そうか。それなら、お前はその程度なのだな?」

「……いえ、違います」

「それならもっと努力をしなさい」

「はい……」


 ジュリエンはギュッと手に力を入れた。デヴィッドはジュリエンが抱きかかえているヴァイオリンをジッと見た。


「お前のヴァイオリンを預かる」

「は?」


 デヴィッドの言葉が理解できない。


「しばらくお前はヴァイオリンの練習をやめ、勉強に集中しなさい」


 ヴァイオリンの練習をやめる?練習を?


「イヤです!なぜ、そんなことをしなくてはいけないのですか!」

「イヤなら、もっと自覚を持ちなさい」

「持ちます、ですからヴァイオリンは取りあげないでください」


 ジュリエンはわずかに青褪めた顔でデヴィッドに訴えた。


「お前次第だ。これからのお前の姿勢次第でヴァイオリンを返そう」

「お父様」

「ジュリエン、お前は当主になりたいのか?それとも、ヴァイオリニストになりたいのか?」

「……両方です」


 デヴィッドは首を振った。


「当主とはそんな生半可な気持ちでできるものではない。私は当主であり領主でもある。領民の生活を守る責任があるのだ。お前にはその覚悟がなさすぎる」

「あります。僕だってちゃんとそのつもりです」

「そのつもりなのに、教師をクビにするのか?」

「それは……」

「とにかくヴァイオリンは私が預かる」

「お父様!」


 デヴィッドが大きな溜息をついた。


「当主になるのかヴァイオリニストになるのか決めなさい。お前には一つしか道はない」

「そんな……」

「ヴァイオリンは趣味として弾くことができるだろう」

「なぜ、僕の夢を奪うのですか?」

「奪ってなどいない。お前が次期当主としての自覚を持ち、勉強に励めばいいだけのことだ」

「ですが、僕はヴァイオリニストにもなりたいのです」

「それなら、当主を諦めなさい。今のお前のままではとても当主になどなれない。そんな、無責任な人間にこの領地を任せることはできない」


 デヴィッドの冷めた目を見ながら、ジュリエンはボロボロと涙をこぼした。


「ジュリエン」

「……」

「ジュリエン」

「……当主になります」


 ジュリエンが震える手で、ヴァイオリンをデヴィッドに差し出すと、デヴィッドはそれを受け取った。


「明日、新しい教師が来る。その教師をクビにしたら、お前には次期当主の資格がなくなると思いなさい」

「それは、どういうことですか?」

「従弟のルークスを養子に取り、彼に継がせる」

「なぜです!」

「彼は、とても勉強熱心で優秀だ」


 デヴィッドの姉の三番目の息子であるルークスはジュリエンより三歳年下だが、ジュリエンと同じくらいかそれより先の勉強をしている。教師たちからの評判も良く、紳士的で申し分ない。


「お父様は、僕のことが嫌いなのですか?」

「そうではない」

「では、なぜそんなひどいことを言うのですか?」

「何もひどいことなど言ってはいない。私には当主としての責任がある。次期当主に相応しい人間を選ぶのも私の責任だ。私が相応しいと思う者がお前でなければ、ほかの相応しい人間を選ぶ。それだけだ」

「お母様がそんなこと絶対に許しません」

「アナベルは関係ない。次期当主を選ぶのは私だ」


 ジュリエンはますます大粒の涙を流した。


 そして、ジュリエンに手渡されたのは『マクゴガルの心理』という分厚い本。


「……これは?」

「そろそろ、お前にもこれくらいは読めるだろう」

「こんなに厚い本を?」

「この程度、数日あれば読み終える」

「ですが」

「内容は少し難しいかもしれないが、次期当主となるお前には必要な知識だ」

「……」


 だからと言って、こんな分厚い本を?まったく面白くもないのに。


「……これはマリアが九歳のころ、彼女に買い与えた本だ」

「え、お姉様?」

「彼女はその本を数日の間に読み終えていたが」

「嘘だ、そんなわけがない」


 こんな本を九歳のころに?お姉様が?


「私もマリアと同じくらいの歳のころには読んでいる」

「お父様も……」

「お前はずいぶんと遅くなってしまったが、一度は読んでおきなさい。とても勉強になる」


 なぜ、お姉様がこんな本を?


「マリアがこんな本を読むことが不思議か?」

「……」

「マリアは部屋に閉じこもっていたが、決して何もしていなかったわけではない。多くの本を読み、その知識は豊富だ」

「そんなこと、お姉さまが。ありえない……」

「マリアを否定するのは勝手だが、今のお前ではマリアには到底及ばない」

「……嘘だ」

「……話は終わりだ。自分の部屋に戻りなさい」


 ジュリエンはがっくりと項垂れたまま執務室を出ていった。


 アナベルが怒鳴り込んできたのはそれから数分後のこと。


「いったいどういうことです!ジュリエンのヴァイオリンを取りあげるだなんて!」


 アナベルの吊りあがった目は憎々しげにデヴィッドを睨みつけ、辺りを見回してヴァイオリンを探している。


「当主になると決めたのはジュリエンだ」

「当主になるのは当たり前よ!それで、なぜヴァイオリンを取りあげられなくてはならないのですか!」

「ジュリエンの勉強が遅れているからだ。それはわかっているだろう?」

「そんなことはありません。ジュリエンはとても頑張っています。現にマナーの先生からは、ジュリエンの所作が美しいと褒められています」


 だから何だというのだ。


 デヴィッドが言っているのは座学の話。確かにマナーも必要な教養だが、今はそんな話をしているのではない。


「私は考えを変える気はない」

「……ルークスを養子に取ることも、本気で?」

「もちろんだ。そうならないのが一番いいが、今のジュリエンではないとは言えない」

「ひとでなし……」

「……」

「あなたはジュリエンを愛していないの?なぜ、そんなひどいことが言えるの?」


 それはこちらが聞きたいことだ。なぜ、マリアにあんなひどいことが言えたのだ。


「私は認めないわ」

「勝手にしなさい。それから、ジュリエンにも言ったが新しい教師をクビにしたら、ジュリエンは次期当主ではなくなる。いいな」

「何を言っているの?ありえないわ……。次期当主はジュリエンよ!」

「……彼次第だ」


 怒りに体を震わせたアナベルは、わずかに涙を浮かべた。


「ジュリエンは私たちの大切な息子なのよ?その子のために力を尽くすのが親の務めでしょ?それなのに、ジュリエンの大切なものを取りあげ、矜持を傷つけるなんて。あなたは親失格よ!」


 アナベルのゆがんだ顔を見つめながら、デヴィッドは思わずクスリと笑ってしまった。まさかアナベルからそんなことを言われるとは思わなかった。まさかアナベルの口から、親の務めなんて言葉が出るなんて。


 まぁ、そうか。アナベルにとって自分の子供はジュリエンただ一人。それならそれでもいい。


「何を言われても私の考えは変わらない。だから、お前たちが考えを変えたほうがいいだろう。別に難しいことではない。当主になるのか、ヴァイオリニストになるのか選ぶだけだ。ジュリエンは当主になると言った。それが口先だけにならないように、君がしっかり管理したまえ。それが親である君の務めだ」

「……最低よ。あなたは本当、最低な親よ」


 アナベルはデヴィッドを睨みつけて執務室を出ていった。




読んでくださりありがとうございます。

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