プレイボーイ
婚約者のイーサンとのお茶会は毎月二回行われ、お互いの屋敷へ交互に通っていた。二人の会話は少なく、イーサンが喋ってマリアが少し返事をするような関係だったが、決して仲が悪いわけではない。
それに、マリアは未来の義母となるマーガレットとは仲良くやっていたし、アンドルーもマリアを気に入っていたから、まったく問題はない。ドシアン公爵家に嫁入りすることになるが、淑女教育も屋敷の女主人としての知識も教え込んでいるから問題はない。対人関係には聊か心配はあるが時間はまだあるのだから、これから少しずつ社交を覚えていけばいい。
となれば、イーサンとの関係だけが問題なのだが、マリアが社交界にデビューする前までは、それほど問題はなかった。
二人が初めて顔を合わせたのは、マリアが生まれて数カ月のころ。
そのときからイーサンにはマリアが婚約者だと言い聞かせていたし、それはマリアも同じ。だから、二人はなんの疑問も抱くことなく婚約者として関係を続けている。
「お父様。私はお友達が欲しいとは思っていないわ。それに、お誕生日のパーティーなんて開かなくてもいいの」
「何を言っているんだい。お友達は大切だよ。それに、侯爵令嬢が誕生日パーティーも開かないなんて」
「今までだって、人を呼んでパーティーをしたことなんてほとんどないわ」
アナベルは、ジュリエンのためなら、どんな些細なことでもパーティーにして盛大に祝っているのに、マリアのために開いたパーティーなど数えるほどしかない。
それも、自分の意思では決められないような幼いころのこと。
ほとんど話したこともないような子供たちをたくさん呼んで開かれたパーティーで、マリアは屋敷の庭の隅に隠れて時間を潰していた。
パーティーで着ていたドレスは、アナベルがマリアには似合わないと言っていた、リボンやレースが付いた可愛いピンクのドレスだったから。嫌がってぐずるマリアに、使用人たちがあの手この手で無理やり着させたのだ。
「このドレスは私には似合わないのに」そう言って落ち込むマリアは、自分が主役であるにもかかわらずパーティーが始まると、すぐに部屋を抜け出した。
そんなマリアに、唯一寄りそって一緒に過ごしてくれたのは、イーサンだった。
そして、マリアが自分の意思を伝えることができるような歳になると、パーティーを拒否するようになった。アナベルは「好きにすればいいわ」と言って、マリアの意思を尊重し、デヴィッドはマリアを説得してどうにかパーティーを開こうとする。そして、結局絶対に首を縦に振らないマリアの意思を尊重して、家族だけの食事となるのだ。
「なぜ、そんなに頑ななんだ。パーティーが嫌なら少し顔を出したら部屋に戻ってもいい」
「それなら、開く必要はないじゃない」
「マリア、君のために言っているのだ。これから、社交界にデビューするときに必要な経験なのだよ」
しかし、デヴィッドの説得にマリアが応じることはなかった。
それから一年がたち、社交界デビューの日。
どこに売っているのか、枯れ葉色のドレスを着て、小さな石の付いたネックレスを着けたマリアは、イーサンとダンスを一曲踊った後、壁と同化した。
反対にイーサンは、令嬢たちからのダンスの申し込みが殺到し、一人になる時間もほとんど取ることができないまま、ダンスを踊り続けた。
そして、ようやく令嬢の集団から抜け出したときには、マリアは屋敷に帰ってしまっていた。
それを知らずに必死にマリアを捜し、見つけることもできずにイーサンは呆然と立ち尽くしていた。
デビュタントの婚約者をほったらかしにして、ほかの令嬢と踊り続けたイーサンと、パーティー会場に婚約者を置き去りにして、さっさと帰ってしまったマリア。
そんな珍事が、しばらく社交界の噂話に花を添えることになると、二人の微妙な関係が周囲に知れ渡っていくことになった。
それからも、イーサンはパーティーに参加するたびに、令嬢に囲まれていた。マリアは、ダンスを一曲イーサンと踊ると、「私のことは気にせず、楽しんできて」と言ってイーサンから離れていく。そして、すぐに壁と同化するのだ。
マリアとパーティーに参加をするようになった始めのころこそ、マリアのデビューのときと同じ失敗をしないように気をつけていたイーサンだったが、だんだんそれも気にならなくなってきた。
マリアはいつも一曲踊ったらイーサンから離れていくし、誰とも関わろうとしない。
周囲の人間も、とてもその年齢の令嬢が着るとは思えない地味な色のドレスを着て、表情もないまま突っ立っているマリアに話しかけることもない。
勝手に帰らないと約束をしたから、いなくなることもない。
それに、イーサン自身もパーティーで色々な人と話をしたり、ダンスをしたりするのは嫌いではないから、マリアと離れているほうが楽しく過ごすことができた。決してマリアが邪魔なわけではない。ただ、マリアが苦手なことを無理強いしたくないだけ。マリアは人に注目されることがとても嫌いなのだ。
それにイーサンは次期公爵。今後のことも考えて必要な社交をしているだけなのだ。
令嬢たちにしても、容姿端麗で話も面白く、ダンスでは完璧なリードをしてくれるイーサンが、婚約者も連れずに一人でいたら話しかけたくなるのは当たり前。実際には婚約者と一緒に参加をしているし、相手の婚約者は壁際に立っているのだが、そんなことは関係ない。
少年のころから美しい容姿をしていたイーサンだったが、騎士として活躍するようになってからは、鍛え上げられた逞しい体躯に、大人の男性の魅力が加わりますます美しさが増している。そんなイーサンに令嬢たちが夢中にならない筈がない。
イーサンと婚約者は微妙な関係なのだから、もし自分と恋仲になれば、自分がマリアにとって代わることができるかもしれない。そんなことを考える令嬢も少なくなかった。
二十歳を迎えるころには、イーサンは立派なプレイボーイに成長していた。
いつものように、令嬢に誘われてパーティーを抜け出し、人気のない静かな場所まで来たイーサン。
令嬢は男連中のあいだでも奔放な女性と言われていて、あと腐れのない都合のいい女として知られている、少し行き遅れ気味の令嬢だ。
しかし、最近婚約が決まってしまい、こうして遊べるのもあと少し。というわけで、今夜の火遊びの相手に選ばれたのがイーサンだった。
ガゼボのベンチに座って体を寄せ合い、指を絡ませる恋人つなぎをした二人。令嬢は豊満な胸をイーサンの腕に押しつけながらイーサンの耳元で囁いた。
「あなたの婚約者って、本当にあなたに関心がないのね」
「そうかな?」
「そうよ。あなたと私がお話をしているあいだも全然こっちを見なかったし、私と会場を抜けだすときも見ていなかったわ」
「……」
「あの人、本当にあなたに興味がないのよ」
「……」
「ねぇ、これから私の部屋に行かない?」
「……え?」
今回のパーティーは令嬢の屋敷で開かれている。
「ね?いいでしょ?」
そう言って令嬢がさらに胸を押しつけて、イーサンの唇を熱っぽい瞳で見つめながら顔を寄せてきたとき、イーサンの目の端に黒っぽい人影が見えた。
そして、冒頭に戻る。
「あら」
「マ、マリア」
「ごめんなさいね。お楽しみのところ」
慌てて相手の令嬢から体を離したイーサンには、マリアの感情は読み取れない。怒ってもいないし悲しんでもいない。笑っているわけでもないし、恥ずかしがってもいない。
そして、マリアは何事もなかったかのように踵を返してその場をあとにした。
そしてマリアの後ろ姿を目で追いながらも、動くことができないイーサンを横目に、身なりを整えた令嬢は「フン」とマリアの背中を睨みつけてからガゼボを出ていった。
「……マリア」
どうしよう。まさか、こんなところをマリアに見られるなんて。しかも、マリアはなんと言った?「いいのよ、気にしないで」そう言ったのだ。
「本当に君は俺に興味がないんだな」
婚約者が、自分以外の令嬢と親しくしていたのに、「火遊びはほどほどにね」なんて、どこのベテラン妻だって言うんだ。
怒って思い切り平手打ちでもしてくれれば、謝ることができるのに。
「怒る気も起きないのか」
自業自得だ。マリアの気を引きたくてやっていた行為が、こうして取り返しの付かない結果となって返ってきたのだから。
「どうすればいいんだ」
イーサンは背中を丸めて頭を抱えた。
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