謝罪
芸術祭から二週間がたった日のスチュワート伯爵邸の一室。
ハンナと向き合って座っているのはイーサン。二人が会うのは芸術祭以来。
ハンナの綻んだ顔とは反対にイーサンは緊張したようにわずかに眉間にシワが入る。
「イーサン様がお越しくださるなんて、本当にうれしいです」
鈴の音のような可愛らしい声が弾み、イーサンは拳に力を入れた。
「スチュワート嬢、私はあなたに謝らなくてはなりません」
「……まぁ、なんでしょうか?」
「やはり、私には……」
「あ!そうでしたわ。イーサン様に先日のお礼に……」
ハンナは手を叩いて立ちあがった。
「スチュワート嬢!」
「……」
少し強いイーサンの声にビクッとして立ち止まったハンナ。
「話を聞いていただきたい」
「……」
ハンナは少し青い顔をして座りうつむいた。
「やはり、私にはこれ以上スチュワート嬢と交際を続けることはできません。私が不誠実であるばかりにあなたを傷つけることになって本当に申し訳ありません」
「……どうして、そんなことをおっしゃるの?イヤです。私たちはまだ始まったばかりなのに、まだ私のことを何も知らないのに」
「……本当に申し訳ない。私にはどうしても忘れられない人がいます。あなたのことを好きになる努力をすると言ったときに、その気持ちは捨てなくてはならなかったのに。それなのに、私はあなたの優しさに甘えて、この気持ちを捨てきることができませんでした」
「私が、それでもいいと言いました」
「いいはずがありません」
ハンナの瞳から大粒の涙がボロボロとこぼれるのに、それを拭わないハンナに渡せるハンカチをイーサンは持っていない。前は渡せたが、もう渡すことはできない。
「……最初から、イーサン様のお気持ちは知っています。それでも、私は諦め切れないのです」
「それは……、私も同じです。初めて、マリアを諦めようと思いました。あなたとの関係を進めていけば諦められるかもしれない、そんな気がしたのです。バカなことを考えてしまったと思っています。あなたを利用しました。本当にすみません」
頭を下げるイーサンの頭上を見つめるハンナがグッと口を結んだ。
「私はイヤです。まだ、私たちは数えるほどしか会っていません。それだけで何がわかるというのですか?好きになる努力をしてくださると言ったのに、全然努力なんてしてくださっていないのに……私だけが……」
言葉が詰まる。わたしだけがあなたを好きで。なぜ、私を見てくれないの?と言いたいのを堪えるので精いっぱい。
「すみません……」
ハンナに会えば会うほど、マリア以外に目を向けることは無理なのだと知った。マリア以外を好きになるのは無理なのだと思い知った。それでも、ハンナに対して後ろめたい思いを抱えたまま、必死に好きになるんだと自分に言い聞かせた。マリアは諦めろという思いと、マリア以外は無理だという思いがずっと心で渦巻く。
何て卑怯な奴だ。
「私はイヤです」
「スチュワート嬢。私はあなたを好きになることができません。これ以上一緒にいてもあなたを傷つけるだけです」
「私は平気です。それくらいで、傷つきません」
「……」
そんなに涙をこぼして傷ついていないわけがない。それなのになぜ。
「本当に申し訳ありません。私はあなたを好きになることができないのです」
「努力をしてくれるって……」
「すみません」
芸術祭でマリアの影を見て、自分はいったい何をやっているのだとようやく立ち止まることができた。
マリオの絵がドシアン公爵邸に届き、改めて絵を見てそれから自分の部屋に駆け込んで、昔マリアから貰った絵を見て、心臓を掴まれたかのような痛みと苦しさを感じた。
あぁ、やはりあれはマリアの絵だ。マリオはマリアなんだ。
マリアはちゃんと自分の道を見つけている。ちゃんと前へ進んでいる。情けない自分とは違い、マリアは苦しみを乗り越えて輝こうとしている。自分などまったく手の届かないところまで飛びたとうとしている。
それにひきかえ自分はどうだ。傷つけるだけ傷つけて、逃げてばかりでまったく前に進んでいない。そして逃げた先でまた人を傷つけて。
いったい何がしたかったのだ。後悔ばかりでその先が見えないままズルズルと。なぜ、自分は前を向かないのだ。このままではダメなのだとなぜ気がつかなかったんだ。
情けない奴だ。本当に、どうしようもなく情けない奴だ。
「でも、やっと気がつきました。このままではいけないと。だから、マリアを諦めることをやめます」
「マリア様は、あなたのことなんて忘れたいはずです」
「はい、わかっています。ですが好きという気持ちを無理やり消そうとするのはやめます」
「そんなことをしても苦しいだけです」
「……気持ちを消そうとするほうが余程苦しい。それはもうわかっています。気持ちをごまかすことなんてできません」
「……私だって同じです」
「……」
「……好きになってくださらなくても構いません。一緒にいてくださるだけでいいのです。それだけで私は幸せです」
それが幸せであるはずがないことはよくわかっている。苦しくて、生きる希望も見いだせないようなそんな気持ちのまま生きることが、どれほど空しいことかよくわかっている。
「本当に申し訳ありませんでした」
「私は、……別れません」
繰りかえし頭を下げ胸の内をすべて晒しても、ハンナの乾いた涙と言葉が、イーサンの言葉を、意味を持たない音に変える。そして話は平行線のまま。
「……今日はもう帰ります」
「……」
「また来ます」
イーサンが立ちあがるとハンナも立ちあがった。まだハンナの目元はわずかに赤いがそれほど気にはならない。
イーサンの馬車を見送ってもその場を動けないハンナ。少しするとガッシュリードを乗せた馬車が帰って来た。馬車から降りたガッシュリードがハンナに満面の笑みを向ける。
「イーサン様はもう帰られたのか?」
「ええ、お忙しそうで」
「そうか、それなのにわざわざ。楽しめたか?」
「……ええ、とても」
ハンナは少しぎこちなく可愛らしく笑った。
使用人に口止めをし、今日の話はハンナの胸の奥にしまい込んだ。
それから何度も足を運んだイーサンとの話し合いは、同じ内容の繰りかえしのまま。
そして、ガッシュリードはイーサンが来るたびに二人の仲が良好であると思って安堵した。
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