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マーロンの告白

 食事を終えたマリアとマーロンは家を出た。

 マーロンを見送るためにマリアも一緒に出てきたのだ。


「マリア」

「なに?」

「もし、絵を描きたくないなら描かなくてもいいと思うよ」


 マリアの気持ちを考えずに、余計なことを言ってしまったという思いがずっとあった。「マーロンは私のことをよくわかっているのね」そう言ってくれたのに、事を急いてマリアを追い詰めてしまった。マリアが一番望まないことをしてしまったのだ。


「ありがとう」


 マリアが弱々しく笑った。


「でも、もう少し考えてみようと思う」

「……そうか」

「ありがとう」

「うん」


 二人が沈黙すると、向かいのおじさんの家の声が聞こえる。とても楽しそうに話をしていて、奥さんの笑い声も少し聞こえた。二人は仲良し夫婦だ。


「あ、あのさ……」


 マーロンが口籠りながらマリアを見た。


「なに?」

「僕、この仕事を辞めようと思うんだ」

「え?どうして?」

「ちゃんと仕事を探そうと思って」

「ちゃんとした、仕事」

「あ、買い付けの仕事がちゃんとしていないとか、そういうわけじゃないよ」


 マーロンが慌てて否定した。


「うん」

「収入がね」


 兄が爵位を継げばどのみち屋敷を出ていかなくてはならなくなる。だけど、古書の買い付けの仕事で貰う給金では少し頼りない。もっと本が売れるようになれば、生活ができるくらいの給金になるらしいが、今の時点ではまったく保証はない。だからといって、いつまでも屋敷に居座るわけにはいかない。


「僕は兄弟が多いし、婚約者がいるわけじゃないから。自分でどうにかしないとね」

「そう、なのね」


 そう言われてしまえば応援をするしかない。生きていくために金は必要だ。


「おじさんには前々から相談をしていて、了解を貰っているんだ」


 それならマリアには何も言えない。


「おじさんも残念に思っているわね、きっと」


 元々マリアに付き合うような気持ちで写本の仕事を始めたけど、自分には合っていないかもとすぐに気がついた。本は大好きだが書くのは違うと。そしてエリオットに言われて買い付けに出たとき、これが自分には合っていると思った。

 とはいえ、今の仕事では一人で生きていくのが精一杯。不安のない未来がうまく想像できない。


 貴族とはいえ、マーロンが継げる爵位はない。剣でも扱えればいいが、残念ながらマーロンはあまり得意ではないし、文官として働くことも考えたが、一つ上の兄が文官を目指していたから諦めた。少ない席を兄弟で争っても仕方がないし、兄は文官職を手に入れたら、晴れて結婚をすることになっていた。次のチャンスがいつになるのかはわからないし、それまでブラブラしているわけにもいかない。だから、マーロンは諦めざるを得なかった。


「うん」


 実際エリオットはとても残念そうにしていたが、応援していると言って背中を押してくれた。


「知り合いが仕事を紹介してくれて、先方からもいい返事が貰えそうなんだ。あ、でも王都にある店だから会えないわけじゃないよ」


 そう言ってマーロンがニコッと笑う。マリアはうれしくて「そうなの?」と顔を上げてマーロンの顔を見つめた。


「うん。だから、多分今度行く買い付けで最後になるよ」

「……そう」

「マリアの、傍にいたいんだ」


 マリアはジッとマーロンを見つめている。


「マリアが辛いときには寄り添っていたいし、楽しいときには一緒に笑いたい」

「……」


 マーロンの顔がみるみる赤くなっていく。


「僕が勝手にそう思っているだけだから、マリアは気にしないで」

「え……?」

「じゃあ、僕帰るよ」


 迎えの馬車が少し離れたところに停まっている。


「マリアは家に入って」

「え、でも」

「危ないから。早く」

「う、うん」


 マリアがドアを開けた。振りかえるとマーロンが手を振って馬車に向かって走っていった。

 家に入ってドアを閉めたマリア。


「……マーロンってば本当に心配性ね」


 私がこんなんだからいけないんだわ。マーロンや皆に心配をかけないためにも、私ももっと考えないと。






 視察のため忙しく動き回っていたガッシュリードが珍しく執務室で仕事をしている。


「お父様」


 ハンナは時間を見計らって執務室のドアを叩いた。


「おお、ハンナ。どうしたのだ」

「少しお話をしたいのですが、よろしいでしょうか?」

「ああ、区切りちょうどいいところだ。座りなさい」


 鉱山から貴重な石を採掘して財を成したハンナの父ガッシュリードは、新しい鉱山を手に入れようと忙しく動き回っているため、しばらくハンナと顔を合わせていなかった。


 可愛らしく微笑むハンナをソファーに座るように促し、侍女にお茶とお菓子を用意させた。


「最近イーサン様とはどうだい?」


 淹れたての香り高い紅茶を啜ったガッシュリードが、ニコニコしながらハンナに聞いた。大市にも二人で出かけていることもあって、つい良い返事を期待してしまう。


 実のところ、そろそろ先方から婚約の話があってもいいころではないかと思ってはいるが、今の今まで何も言ってこない。仲介役を買ってでてくれたイーサンの叔母であるミリアーナからも連絡がない。ヤキモキはしているが、焦りは禁物とジッと連絡を待っているのだが。そろそろ、何かしらの進展を聞きたくなる。


 ところがハンナの返答はガッシュリードが期待するものではなかった。


「先日の大市で、マリア・パルトロー侯爵令嬢を見かけました」

「は?マリア・パルトローだと?」

「はい」

「そんなことありえん。彼女が領地に引っ込んで、屋敷から出てこないという話は誰でも知っていることだ」

「ですが、私はこの目で見ました」


 しかし、ハンナはそう言うが、貴族の間でささやかれていることは違う。マリアはイーサンと婚約破棄をしてから、社交界には一切顔を出さなくなり、マリアの両親も何も言わない。とある伯爵が探るようにマリアのことを口にしたら、次の日にはその伯爵領の商売人たちはパルトロー領内での取引に制限がかけられた。

 それ以来、夫妻にマリアのことを聞くような軽率なことをする人間はいない。だから、誰もがマリアは屋敷で泣き暮らしているのだと思っているのだ。


「あの髪の色はきっとそうです」


 ガッシュリードが説明をしても、ハンナはそれを認めない。


「髪の色?赤い髪なんてほかにもたくさんいるだろう?顔は見たのか?」

「……いいえ。でも」


 イーサンのあの様子が気になる。


「フン、あのマリア・パルトローがか?ありえないだろう」

「でも、もし本当に彼女だったら……」


 ガッシュリードは顎に手を当て考えはじめた。


 もしハンナの言うことが本当だとして、マリアが王都にいるのならイーサンはそれを知っているのか?


「それで、お前とイーサン様はどんな感じだ?」

「それが……」


 ほかの令嬢よりはいい関係になっているとは思うが、恋人というには距離がある。それに、「ハンナと呼んでください」と言っても、イーサンは「スチュワート嬢」と呼ぶ。


 あの人のことは、名前で呼ぶのに。


 ハンナの心の声がその表情に現れ、ガッシュリードは胸を痛めた。

 ハンナのその容姿は天使に例えられるほど美しく、その声は鈴のように可愛らしい。体が弱かったため、いつも気にかけて大切に育ててきた自慢の娘なのに、いまだにイーサンから求婚はなく、それどころかマリア・パルトローが王都にいると?


 もしかしたら、イーサンはマリア・パルトローが王都にいることを知っているのか?イーサンはマリアに未練があったとは聞いていたが、まさかいまだに忘れられないとか?それで、踏ん切りがつかないというのか?あの、イーサン・ドシアンが?


 まさかな、それはあり得ない。プレイボーイで有名だったイーサンは、マリアを目の前にして浮気を繰りかえしていた。それが、マリアと婚約が破棄された途端それもピタリと止んだ。つまり、マリアと結婚をしたくないから婚約を破棄するために、そのようなことを繰りかえしていたのだ。ミリアーナもそう言っていたしそれは間違いない。


「わかった。一度クリンフォッド侯爵夫人に聞いてみよう。何かご存知かもしれないからな」

「ありがとうございます、お父様」

「なに、心配はいらない。すでにイーサン様はパルトロー侯爵令嬢とは婚約を破棄しているのだ。もし、本当に彼女が王都にいたとしても、何も問題はない」

「……そう、ですね」


 ガッシュリードが明るく言ってもハンナの表情は晴れない。


「ハンナ」

「……」

「大丈夫だ。何も心配はいらない」


 今日中に連絡を取って、早いうちにミリアーナに会いに行かなくては。






読んでくださりありがとうございます。

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