婚約破棄
翌朝。
ずいぶん早い時間にアンドルーがイーサンを伴ってやって来た。マーガレットも一緒だ。
マリアとデヴィッド、そしてアナベルが出迎え、緊張した雰囲気になる。
最初に口を開いたのはアンドルー。
「本当に申し訳ないのだが、イーサンとマリアの婚約を破棄してもらいたい。もちろん、イーサンの有責で」
少し小さめの声ではあるが、はっきりと聞こえた。婚約の破棄。
「なんだと?なんで今になってそんなことを言うのだ?」
デヴィッドは怒りを孕ませて、アンドルーとイーサンを睨みつける。
「本当にすまない。こいつが、バカなことばかりやっていたせいで、マリアをずいぶんと苦しめて」
「いまさら何を言っているのだ。だからこそ、最後までその責任をまっとうすべきだろう!マリアはもう十八だ。結婚をしていてもおかしくない歳なのだぞ!それを今になって婚約を破棄されても、新たにマリアの婚約者を見つけることなんてできるわけがないだろ!」
「あら、いいじゃないですか」
デヴィッドが声を荒げる横で、口を開いたアナベル。
「だいたい、マリアに公爵夫人なんて重荷なのよ。ドシアン公爵家に迷惑をかける前に決断してくれて、むしろ感謝をしないといけないわ」
「アナベル。何を言っているのだ?」
「だってあなた。マリアが、公爵夫人としてやっていけると本気で思っているの?」
「……それは」
マリアに社交なんてできるはずがない。
「ね?やっとわかってくれてうれしいわ。アンドルーも、もっと早く決断してくれればよかったのに。それともマーガレットがごねていたのかしら?」
「私?」
マーガレットを見たアナベルは、フンと鼻を鳴らした。
「マリアがデヴィッドに似ているからって」
「何を言っているの?アナベル。いまさらそんなバカな話をしないでちょうだい」
顔を青くしたマーガレット。イヤ、顔を青くしたのはマーガレットだけではない。アナベル以外、三人とも顔を青くしている。なぜ、まだそんな話をするのか。しかも今、この場所で。
「アナベル、いい加減にしろ」
デヴィッドはイライラしていた。しかし、アナベルはまったく気にしていない。
「それでね、アンドルー」
「……何か?」
「イーサンの新しい婚約者に、私の姪のジャスミンはどうかしら?」
「……」
全員が唖然として言葉を失っているが、アナベルは気がついていないのか構わず続けた。
「ジャスミンは今年十五になるのよ。年齢的にもピッタリだし、今は少し幼いところがあるけれど、あと数年もすれば美しい女性に成長するわ。清楚だし、しっかりしているしイーサンにピッタリだと思うの」
「……」
「イーサンには散々嫌な思いをさせてしまったし、これからは美しい婚約者と素敵な恋をして、素晴らしい家庭を築いていってほしいと思っているのよ」
アナベルがそこまで言い切ったときに、バチンと頬を叩く音とアナベルの悲鳴。
「いい加減にしろ!」
「あ、あなた……?」
デヴィッドの顔は真っ赤になり、怒りが頂点に達していることは誰の目にも明らか。
「お前という奴は。なんでそこまで薄情なことを言うことができるんだ」
「何を言っているの?私はイーサンのために」
「イーサンのため?お前が誰かのためと言うなら、それはマリアのためだろう?イーサンではなく、マリアのために、その短慮な頭を使え!」
「ひどい……」
アンドルーも口を開いた。
「夫人。私たちもデヴィッドと同じ気持ちだ。イーサンへの気遣いは必要ない」
「アンドルー……?」
「あなたは母親としてマリアにもっと目を向けるべきだ。それに、私たちはマリアに嫁いできてほしかったが、マリアがこの結婚を望まないから諦めるだけだ。もちろんバカ息子の所業は詫びても許されるものではない。私たちがこのバカを止めることができなかったことも、本当に申し訳ないと思っている。こちらの有責で婚約破棄をすることが、せめてもの償いだ。決して、マリア以外の花嫁を望んでいるわけではない。私も妻も、それにイーサンも」
「嘘よ……」
静まり返った部屋。
表情のないマリアと、うつむいたまま顔を上げないイーサン。
マリアは、目の前の出来事に耳を閉ざした。心を別のところに置いているから、目に映っていても何も見えてはいない。
この時間が終わったらマーロンに手紙を書こう。それに、古書店の店主のエリオットにも。お詫びと、できればもう一度チャンスが欲しいとお願いをしないと。それに破れてしまったところを書写しないと。絵の練習もして。
そうやってほかのことを考えて、悲しい出来事から目を逸らさないと涙が出てくる。この場から逃げだしたくなる。
もし、耳を閉ざさずにいれば、マリアを傷つけたくて仕方のない悪魔たちが、マリアを守るために分厚くなった殻を突き破り、小さく丸まったマリアの心に鋭利な刃物を突きたて抉るだろう。
だから早くこの話を終わらせなくてはいけない。
「おじ様、婚約破棄のお話、お受けいたします」
マリアが発したのはその言葉だけ。しんと静まり返った部屋の中で、「すまない」と言うアンドルーの声だけがやけに耳についた。
この話し合いのあいだ、マリアとイーサンの目が合うことはなかった。
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