初労働、辺境にて。
「よし、始めるぞ!」
ジェイレン様の号令で、ハッとする。
黒長鰐の体はずっしりと台に積まれ、巨大な鍋や漏斗などが設置されている。
不思議そうな顔をするキャロルはオズウィンにこっそり話しかける。
「あの、オズウィン様……これから塩作りをするのですよね? なぜ祭壇や大鍋を使うのですか?
セレナ様が塩に変える魔法を使うのはわかるが、そのまま使えないのだろうか? 首をかしげていると、オズウィン様が説明をしてくださる。
「セレナ様が魔法で魔獣を塩に変えてくださるのだが、まず祈りを捧げるんだ」
「聖女様の塩って魔獣が材料だったのは知りませんでした」
「すべてがすべてではないよ」
魔獣肉の件があるせいか、オズウィン様は念を押すように言ってきた。信用されてないと思っているんだろうか、魔獣食とかそのあたりに関しては。
「鍋と漏斗も使うのですか?」
「水に溶かしてから結晶化させるんだ」
何故そんな手間を……と疑問に考えているのがオズウィン様に伝わったらしい。オズウィン様は笑顔を浮かべたまま説明を続けてくださる。
「セレナ様の生み出す塩はしょっぱくて細かく、海の塩や岩塩と少し違うんだ。だから一度、水に溶かして辺境用に色々混ぜたり、結晶の大きさを変えるんだ」
そういえば塩は産地によって味がまったく異なる。甘みを感じる塩、苦みを感じる塩、酸味を感じる塩、旨味を感じる塩……たしかそこに含まれる栄養によって味が異なると学校で学んだ覚えがある。
ニューベリーの料理人も「塩の粒の形状で味が大きく代わるので、料理で塩を変えている」と言っていたっけ。
なるほど。
辺境用に調整するなら、その都度いちいちやるより最初に一気にやった方が良いということか――と、納得しながら様子を見ていた。
祭壇の上に置かれた黒長鰐前にセレナ様が歩み寄る。聖職者の体を上下させない特殊な歩き姿だけで楚々として美しい。
黒長鰐の頭に手をかざし、円とT【タウ】の動きをとる。
「神よ。この魔獣を人々の糧とさせていただくことに感謝いたします」
澄んだ祈りの声に合わせ、皆一同にセレナ様と供に祈る。セレナ様は腰に帯びた手振り鐘を手に取り、黒長鰐の体に向かって振った。すると真っ黒な魔獣の体は音を立て、色を変えてゆく。黒長鰐は塩に姿を変えていったのだ。
「ほぇ……」
神秘的にさえ思えるその様子に、思わず声がもれる。完全に塩に変化した黒長鰐に今一度、祈ると、セレナ様が祭壇の前から下がった。
「よし! それでは鍋に水を張れ!」
控えていた人々が一斉に作業に取りかかる。大きな鍋に水が張られ、黒長鰐から作られた塩がスコップやバケツで放り込まれて行く。
「そらオズウィン! お前も手伝え!」
「はい! 父上!」
ちょっと行ってくる、とオズウィン様は塩運びのために祭壇にかけていった。私はぽつねん、と立ち尽くしてしまう。
作業の様子に圧倒されていると、ジェイレン様が私に声をかけてきてくださった。
「キャロル嬢。よければ塩作りを手伝ってみないか?」
手伝う、とは言われても何をすればいいかわからない。身軽とはいえどスカートで参加してよいものだろうか、と私は気になった。
「あ、あの何をすればいいかさっぱりなのですが……」
「大丈夫大丈夫。キャロル嬢には大鍋で湯を沸かしてもらいたい」
大鍋のところまで連れられてゆくと、そのひとつのそばにディアス様がいた。どうやらディアス様も大鍋係らしい。
ディアス様の濃い金色の目が見下ろしてきて背中がピンと伸びる。ジェイレン様よりも背丈は大きいためか、圧を感じてしまう。
「炎使いか?」
端的なディアス様の言葉に、私も端的に答える。
「いえ、触れたものの熱が操れます」
「ほう、それはいい。助かる」
塩の投入が終わり、準備が終わる。ジェイレン様が手招きをし、大鍋を乗せた台座のところへ導かれる。ジェイレン様に大きな鍋をかき回す金属製のお玉を渡された。
「キャロル嬢はこの鍋を沸かしてくれ」
「はい!」
緊張気味に大きなお玉を掴み、鍋をかき回した。
――お、重……
お玉から鍋の中に熱を加える。大きな鍋の底には塩がたっぷりたまっていて、動かすのはなかなか体力がいる。腕だけで動かすのではなく、腰を使い塩が早く溶けるように熱と回転を加える。
登ってくる湯気は熱いし、全身を使っているため汗が流れる。鍋に汗が落ちないよう、袖で汗を拭いながら攪拌を続けた。
「全部溶けた!」
「よしよし、こちらの塩水を濾せ!」
目の細かい濾し布を入れた漏斗に鍋の塩水を注ぐ。そしてかすかなゴミが取り除き、大量の塩水ができあがった。
「添加作業!」
鍋の中に粉やら液体を入れて、ぐるぐるとかき回す。
ここまででも結構な重労働であるのだが、まだ塩は水に溶けたままである。
「あとは、後はこれで水分を飛ばすだけだ」
――結構量があるなぁ……大変そう。
そう思い、タオルや水を配っているセレナ様を見る。セレナ様は私の視線に気付き、にっこりと笑ってこちらにやってきた。
「一種の魔法訓練ですから、頑張って水分を飛ばしてくださいな」
これ、訓練の一種なのか……たしかに単純な効率や塩の確保であれば、ここまで回りくどくて面倒なことはしないのだろう。しかし魔法の訓練、といわれれば……まあ、魔法を使い続ける持久力は間違いなくつくと思う。
また鍋に熱を加え、ぐつぐつと塩水を煮る。水が減り、鍋肌に塩の結晶がつき始めるものの、まだ半分はある。
「(あつい……それに疲れる……)」
もう頭がぐらぐらしてきた。短時間で水を蒸発させようと、私は鍋を掴み、一気に熱を上げた。
頭が煮えそうなくらい熱くて、体の水分も飛んでいっている気がする。
「キャロル嬢! ストップストップ!」
ジェイレン様が飛んできた。
塩の焼ける匂いがしてきて、ようやく水を飛ばしきったのだと理解する。
「お疲れ様、キャロル嬢。オズウィン! こっちの塩を剥がしてくれ!」
「了解しました!」
オズウィン様がスコップを背負ってかけてくる。鍋肌にこびりついた塩をガリガリと剥がし、こんもりと塩ができあがった。
――達成感。
「お、おわったぁ……」
魔力は使い切り、熱を上げる魔法のせいで私は汗で髪もぐっしょりだ。もう少し時間がかかっていたら汗も蒸発して倒れたかもしれない。まるで一時間全力疾走したような気分で、吐き気がしそうだった。
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