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緊急時は常識人の皮も剥がれてしまうようです。

イザベラ様を確保するために、アレクサンダー家は慌ただしく動き出す。オズウィン様も革鎧と剣を携えて、イザベラ様を捕らえるための準備をしていた。

私はその様子に「何かせねば!」という気持ちに駆られ思わず手を挙げ、声を上げた。

「あの! 私も行きます!」

「キャロル嬢、武器はさっきのボトルで良いか?」

オズウィン様は予想していたのか、決闘の時に投げつけたボトルを手渡してくれる。ボトルには水がたぷん、と満ちていた。念のため確認するが破損している部分は見受けられない。

これなら問題なさそうだ。


「はい。これがあれば相応に戦えます」

実はこのボトル、蓋を締めるとボトルが一杯になるまで水が湧く道具なのだ。蓋を外せば水は止まる。なのでうっかりで水があふれ出すことはない。

本来、旅人が飲み水を確保するための道具なのであるが……私のような使い方をする人間は聞いたことがない。

だって普通しないから。

オズウィン様は興味深げに私のことを見てきた。

「キャロル嬢は何でも武器にするのだな」

「ええ、まあ」

好奇心を抑えようとしてはいるが、オズウィン様の眼差しは爛々としている。その眼差しに私は尾骨の辺りがむずむずしてしまった。

そういえばオズウィン様が見ていたときはまともな武器は使っていない。初めては刈り込み鋏だし、次は鎖、そして今回の水とボトル……まっとうな武人であったら噴飯物であると思われる。

王宮の近衛騎士辺りが見たら呆れた目で見られること間違い無しだ。

「辺境では何でもありだからな。それが良い」

にか、と快男児の笑みを浮かべたオズウィン様に軽く背中を叩かれ、私は姿勢を正した。

良かった。

少なくともオズウィン様は私との婚約関係を継続してくれる気でいるらしい。我が家のためにもよかった……でもそれ以上にオズウィン様に嫌われるというのはなんとなく避けたいと感じる。彼のようなまっすぐな人に嫌われると、人として駄目なような気がするし……うん。

湧いてきた気持ちに理由付けがしっくりこず、思わず首をかしげてしまった。


私がうんうん唸っていると、家の者に指示を出していたジェイレン様がのしのしと足音を立て、屋敷から戻ってきた。

ジェイレン様が彼の手に丁度良く収まる大きさの回転機のような物をオズウィン様に差し出してくる。だが中心にあるのは円板状のこまではなく、中身が空のガラスの球体のようだった。

「オズウィン、探索羅針を渡す。少し遠いがペッパーデーの家に行け。私物があるだろう」

なるほど。

あの探索羅針という道具にイザベラ様の私物を入れれば彼女を探せるということか。

いやしかしなんと高い物がホイホイと出てくるのだろう。探索羅針ほどの代物だと、ひとつで平民家族が半年以上食べていけるだ。思わず頭の中でそろばんをはじいてしまったのは内緒である。

「押し入れと?」

「我が家の名前を出してかまわないが、もう少し考えて上手くやれ」

呆れるジェイレン様は私の方を見る。手には女物の革鎧があった。

傷もあるが手入れが行き届いている。そして装飾の施された留め具やカービングがされていて、かなり質も良さそうなそれをジェイレン様は差し出した。

「キャロル嬢、これを着けて行きなさい」

ボトルしか持っていない私を気遣い、持ってきてくださったらしい。私は恭しく革鎧を受け取る。

見た目より軽くて無駄な縫い目がない。さぞ腕のいい職人が作ったのだろう。

「ありがとうございます、ジェイレン様」

「妻の物だ。大きさはおそらく合うだろう」

差し出された革鎧を素早く身につければ、存外しっくりときた。そして身が引き締まるような感覚になる。ジェイレン様の妻――つまりオズウィン様のお母様の物だ。そう思うと少し緊張してしまう。

「行こう、キャロル嬢」

「はい!」

オズウィン様とともに足早に厩に向かう。

私は乗ってきた馬に跨がり、オズウィン様に並ぶ。オズウィン様の馬はずいぶんと凜々しい顔をしており、耳をこちらに向け主人のただならぬ様子を察しているようだった。



私たちが門をくぐろうとすると、丁度ジェイレン様も門に向かってきた。

「父上はどうされます?」

オズウィン様が尋ねると、王城の方を指さす。早々に国王陛下へ連絡しなければならないのだろう。

「私は王城へ向かう。今回の件を義弟に知らせねば」

馬に跨がる私たちとは違い、ジェイレン様は徒だ。

厩にジェイレン様の体格に合いそうな馬はいなかったような気はする。まさか走って行く気なのだろうか? いやまさか。

「わかりました。特例時許可があるとはいえ、あまり人を脅かさないでやってくださいね」

「わかっている」

オズウィン様の言葉のあと、ややあってジェイレン様は体をぶるりと震わせる。

もともと筋骨隆々と表して良いくらいのジェイレン様の体躯が一層大きく膨らんでいく。体毛がぶわりと逆立つと、ジェイレン様の体は熊へと変身したのだ!

赤い毛の熊がずしん、と四つ足を地に着き喉を鳴らす。

私はジェイレン様の魔法に目を剥き、口を開けて驚くしかなかった。

「気をつけるのだぞ」

「父上も」

「えっ」

私は思わず声を上げてしまった。

ジェイレン様は熊の姿のまま、駆けだしたのだから!


「うわあぁあぁ! く、熊だぁっ!」

「逃げろー! 逃げろー!」

「ひいぃいぃ!」

当然、市民が逃げ惑い、悲鳴を上げることになる。老若男女問わない叫喚――大混乱とはこのことだ。

熊は速い。

全力で走る馬には少し劣るものの、その巨体からは信じられないくらい速さで駆けるのだ。そんな巨体が街中を駆ければ、恐怖は計り知れない。

王城方面に向かって悲鳴が上がっていく。

ジェイレン様は辺境の常識は非常識だと理解はしているはずだ。緊急時だからといって、流石に……私は若干顔を引きつらせながら王城方向を見つめた。

どうか間違ってジェイレン様を狩ろうとする人が出てきませんように。

「キャロル嬢、俺たちも向かおう」

オズウィン様は表情を変えず、ペッパーデーの屋敷に向かおうとしていた。

私はそこでハタと思い出す。

「オズウィン様、探索羅針はその人物の物が必要なのですよね?」

「ああ、髪や爪、服、装飾品。それにその人物のサインが入ったものでもいける」

なら大丈夫だ。

メアリお姉様宛てに届いた手紙が該当する。ペッパーデーの屋敷に乗り込んで余計なことを起こさない方が良い。

何よりオズウィン様がイザベラ様の部屋に乗り込んで物色するというのは想像するとなんだかモヤモヤする。

「我が家にイザベラ様からの手紙があります。それを使いましょう」

「わかった。急いでキャロル嬢の邸宅へ向かおう!」


私たちは馬の腹を蹴り、馬蹄の音を響かせながら駆ける。

「緊急である! 道を空けろ!」

前傾姿勢で腰を浮かせ、叫びながら馬を駆る。巧みに馬を操り、人や物を回避するオズウィン様の騎乗スキルの高さに私は必死に食らいついた。

ただ脳筋なのではなく、技術のある脳筋だなこの人は! そう思いながら私は汗をかきながら鐙から腰を上げ続けたのだった。

辺境伯、もしかしたら尻に矢を撃たれるかもしれない。

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[一言] ジェイレン様お尻に気をつけて!(矢を射られないように笑)
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