キャロルは正気に戻った!
オズウィンの謝罪に、キャロルもジェイレンも困惑した表情を浮かべる。何せ決闘の最中で、今まさに決着が付こうとしているときだったからだ。
オズウィンは腰を折り、頭を下げたまま言葉を続ける。
「君の不安に対して、俺は鈍感だった」
その声は真剣そのもので、己の愚鈍さを大層悔いて反省をしていた。その声音だけで彼が心底誠実であることが伝わるほどのまっすぐさである。
オズウィンに貰った頭突きによる眩暈は落ち着き、視界も平常に戻った。
キャロルは珍獣でも見るようにオズウィンに視線を向ける。
頭を上げた彼の表情は先程まで全力で戦っていた相手に向けるには穏やかすぎる。
視線が絡まり胸がぎゅっと締め付けられたらしく、キャロルは一瞬呻いた。
「だから俺に本心をぶつけてほしい。さっきのように」
こんなにもまっすぐに向けられる言葉はキャロルに気恥ずかしさ以上の感情をかき立てた。
「なんなら拳と一緒に」
予想外といえば予想外。
らしいといえばらしいオズウィンの言葉。
一気に脱力してしまうような台詞に、キャロルの表情は緩んだ。
幼い子どもに向ける「仕方ないな」という笑い方は、先程まで拳を交えていた相手に向けるものではないだろう。
小さな溜息を吐いたキャロルは、眉を下げてオズウィンのブルーグリーンの瞳を見つめる。
「……オズウィン様は本当に頭辺境ですね」
「面目ない」
眉毛は少し申し訳なさそうに、しかし口元は楽しげなそんな表情をオズウィンは返す。
鍛錬場には若葉のような瑞々しい空気が、汗の匂いに混じって漂っていた。二人の間には先程までの激しい感情ではなく、穏やかなものが満ちている。
「私の負けです」
「この勝負、オズウィン・アレクサンダーの勝利ッ!」
ジェイレンが勝敗を告げる。
キャロルの顔は晴れやかで、馬で乗り込んできたときの険しさはない。
オズウィンは手を差し伸べ、キャロルはその手を掴んで立ち上がる。しっかりと握られた手はお互いボロボロだった。
互いを讃え合う、そんな握手をしていた。
だがキャロルの顔が急激に青ざめていく。笑みを浮かべているのだが、サーッと血の気が引いていく。オズウィンとジェイレンが見ても明らかな変化だった。
そこからキャロルはウナギのように滑らかに握手から逃れ、華麗と表して良いくらい素晴らしい身のこなしで土下座をした。
「もっ、申し訳ございませんでしたッ!」
地面に額が付かんばかりに下げられた頭。
指先まできっちり揃えられた手。
膝を折りたたみ小さくなった体。
まるで斬首を待つ罪人のように差し出された首。
見事な最敬意の詫びである。
「暴挙と暴言の数々! たかが男爵家の小娘が許されるような行いではございません!」
腹のそこからの陳謝は本来のキャロルであった。まさに先程、魔法が解けて正気に戻った、と言うのが第三者の目から見ても明らかである。
オズウィンやジェイレンが言葉を口にするより、キャロルは許しを請う。もう完全に彼女の額は地面にこすりつけられていた。
「しかし何卒何卒! 罰するのはわたくしだけにしてくださいませ!」
顔面に手袋を叩きつけ、決闘の場であるとはいえ氷柱で刺したり斬りつけ、極めつけにはみぞおちに飛び膝蹴りである。
ここまでやっておいて思うところがないはずがないとキャロルはひたすら萎縮している。
体を震えさせ、必死に助命を請うているのだ。正気を失っていたとはいえ、家族を、領民を巻き込むことは絶対にしたくないという命がけの土下座だ。
なんとかならないものかと死に物狂いで考えを巡らせていたが、キャロルの頭の中は後悔で埋め尽くされている。
「いくら作法や何やら含めてもメアリお姉様の方が上級貴族に相応しいけど……でも魔獣狩りのできないメアリお姉様を辺境に行かせてやっていけるわけないじゃない馬鹿……」
何故自分がこんなことをしたかという、してもはや手遅れな後悔で頭の中は絶望に染まっていた。キャロルは顔を上げずにブツブツとつぶやきながら冷や汗を流す。
彼女が低くつぶやく言葉はよくよく聞かねば呪詛にも聞こえかねない独り言であった。
キャロルの頭上でぷっ、と息がもれる音がした。
次の瞬間、オズウィンの笑い声が降り注ぐ。恐る恐る顔を上げるキャロルに、オズウィンは目の端に涙を浮かべて笑っていた。ジェイレンも笑いをこらえようとしているのか、口を歪ませて笑い声をかみ殺している。
「キャロル嬢、我が家は貴女にそういったことはできない。つい昨日『誓約書』を作って渡したじゃないか」
「あ」
キャロルは自分のやらかしの大きさに、「誓約書」の存在が完全にすっぽ抜けていたらしい。血を用いた「誓約書」により縛られたアレクサンダー家は、キャロルを始めニューベリー家に手を下すことはできない。
しかし無礼千万なことをしたには変わりなく、キャロルは気まずさと恥ずかしさの入り交じった顔をし、顔を伏せたまま立ち上がった。
その間もまだ笑っているオズウィンはよほどツボに入ったらしい。羞恥心に顔を赤くするキャロルのためになんとか笑いを抑えようとするが、二、三度失敗している。
深呼吸をして笑いを止めたオズウィンは、咳払いをしてキャロルに向き直る。
「もともとキャロル嬢が正気でないことは気付いていた。だから先の決闘のことも含め、気にすることはないんだ」
顔中に「何故」と書かれているキャロルに、オズウィンは返された剣鉈を差し出す。オズウィンの手に修まってようやく釣り合う大きさのナイフの鞘には不格好な文字が焼き付けられていた。
「イザベラは洗脳者」
そう端的にかかれていた。
キャロルの手が掴んだ時の大きさに修まっているのを見るに、これを焼き付けたのは自分だろうとキャロルは察する。
それと同時にオズウィンの鞘をダメにしたという事実も――
「ご、ごごごごめんなさい……代わりのものを……」
半べそになりながらキャロルはオズウィンを見ていた。証拠による身の潔白よりもオズウィンの物に焼き印を付けてしまったことを謝罪する。彼女の今の様子は心に染みついた「身分の高い者に対する畏れ」が在り在りと出ていて、すっかり魔法が解けたことを示していた。
オズウィンは明るい表情で応えようとするが、口を開いて数拍止まる。視線を上方に向ける様子は何かを考えているようだった。
「キャロル嬢が新しい鞘を作ってくれるのだろう?」
「はいもちろんです心を込めて作らせていただきます」
「それは楽しみだ」
心底落ち込んでみっともなく泣き出しそうになっているキャロルと、からかう形になっているオズウィンは端から見ると微笑ましい。
そんな中、「うぉっほん!」とジェイレンのわざとらしい咳払いに二人はハッとする。
タイミングを見計らっていたらしいジェイレンが口元に拳を当てて二人を見ていた。
「あ、失礼しました父上」
すっかり忘れていました、と顔に書いてあるオズウィンに、ジェイレンが睨みを効かせる。
「キャロル嬢、君にかけられていた魔法は王城で起きた古木女の暴走に関わるモノとよく似ていた。詳しく調べれば同一犯かどうか、判明するだろう」
ジェイレンの言葉にキャロルは目を見開き、その先に思考を走らせる。
キャロルのメッセージから、「古木女暴走の犯人はイザベラ」と判断が下されるのだろう。しかしそこでキャロルはメアリの言葉を思い出していた。
――イザベラがね、結婚するそうなの。予定が早まってしまったって。
さぁ、とキャロルの顔面が青ざめる。
この話を聞いたのが昼頃。
今はもう黄昏時だ。
「た、大変……!」
「どうした、キャロル嬢」
「イザベラ様が王都から逃走する可能性があります!」
「何?」
キャロルがメアリから聞いたイザベラの急な結婚のことを説明し、オズウィンとジェイレンの顔が険しくなる。
時間が経てば経つほど、イザベラは遠くへ逃げてしまう。
オズウィンとジェイレンは素早く動き出した。
「イザベラ・ペッパーデーの確保に動くぞ!」
感想、ブックマーク、いいねありがとうございます╰(*´︶`*)╯
思うところがあり、少しペースを落として元々の週一更新にしようと思います。
キャロルは本気になるとそれなりに強いです!(キャロル本人評価)
切れ味の判断はトマトがスッと切れるかだと思います。包丁は関孫六が好きです٩( 'ω' )و




