慮ると媚びるは違います。
翌日。
腹が立つほど天気もよく、気温も温かくちょうどいい。
それに反して、私は迎えに来た馬車に乗せられている間、処刑台に向かう死刑囚の気分だった。そして一分の隙も無く手入れされた城の中を案内されても楽しむ余裕はない。いよいよ処刑台が目の前に迫って来るような緊張感だった。
私は落ち着きなくメアリお姉様に借りたブローチの石を触った。
城内の一室へ案内され、緊張から心臓が飛び出そうになる。顔色が青くなっていないか心配だった。
部屋に入ると同時に、中の人物も確認せずに頭を下げる。
「キャロル・ニューベリー、参りました。本日はエドワード・ブリュースター王子にご招待いただきまして……」
跪く勢いで頭を下げる私に「ぷっ」と吹き出す音が届いた。
「ははははは! 大丈夫だよ、そんなに堅苦しくしなくて」
「エドワード……」
あまりにも王族らしからぬ笑い声に、そろりと顔を上げる。
そこには満面の笑みを浮かべるエドワード様と、ほんのり顔に痕を残すオズウィン様がいた。
何やら気まずそうな顔をしているオズウィン様と、まだ腹を抱えて笑っているエドワード様。私は思考が一瞬停止し、その後急激に動き出す。
何故オズウィン様が? と言う疑問が頭に浮かぶものの、はたと気付く。
――ああ、やっぱり……
予想が当たって脱力しそうになる足にグッと力を入れる。
ここでへたり込むわけにはいかない。
「まあまあ、とりあえず掛けておくれ、ニューベリー嬢」
気安く、エドワード様は椅子を勧めてきた。
相変わらず気まずそうな顔をしているオズウィン様の隣に、恥ずかしさで赤くなっているだろう顔を伏せながら座った。
「キャロル嬢はお茶に砂糖は入れるかな?」
「あ、いえ、けっこうです……」
「そう、それじゃあ砂糖は無しでね」
エドワード様が命じて用意させたお茶はとても香りがいい。その気品ある香りさえ、今の私にはプレッシャーになる。
ああ、胃が捻れる……
出されたお茶の味も香りも楽しむ余裕無く、半分以上を飲んだとき、エドワード様が人払いをした。笑顔ではあるが先ほどまでの飄々とした様子はない。
「さて、今日ふたりを呼び立てたのはとても大事なことを話したくてなんだ」
エドワード様の言葉に、緊張からつばを飲み込んで硬い表情になる。心臓が大きくなったようなきがして、膝の上で手をぎゅっと握った。
「初デートでオズウィンに魔獣肉食べさせられたって本当?」
「えっ」
思わず間抜けな声が口からこぼれた。
その反応にエドワード様は口元を押さえて肩を震わせ、オズウィン様は気まずそうに視線をずらしている。
「いやいやいや、オズウィンがまさか僕の話を真に受けると思わなくって……たしかに友人たちとかなり真剣に吹き込んだのだけどね?」
クツクツと笑うエドワード様。魔獣肉はこの人の入れ知恵だったのか、と思うと表情が虚無になっていく。
辺境育ちの純朴青年――とたぶん言っていい分類――に妙なことを吹き込む性悪さ。メアリお姉様が間違ってもこの人と結婚しなくてよかったと思った。
オズウィン様は苦いハーブでも噛んでいるかのような顔をしている。
このとき私はメアリお姉様の言葉を思い出していた。
「必要以上に謙る必要は無い」「腹芸も必要だが、卑屈になって上の人に機嫌を取るのは違う」
私がこのままオズウィン様の妻になる将来があるなら、未来のアレクサンダー家の者としてはっきり言わなければならない。
私は膝の上の手に力を込めて、緊張を隠す。大きく脈打つ鼓動を落ち着けるため、細く息を吐き出した。
「魔獣肉を黙って食べさせることを勧めたのはエドワード様だったのですね」
「ああ、そうだよ。辺境に嫁ぐんだ。魔獣肉、ましてや角鴨程度に臆するようではやっていけないからね」
エドワード様は私の表情の変化ににやりとあまり品がいいとはいえない笑みを浮かべた。この野郎……
少し腹が立ったのでさらに付け加える。
「これが『魔獣は穢れ』として教義に書かれている国の方が相手だった場合、外交問題になりますね」
私は「お前がやらせたことは場合によっては国同士の戦争になりかねないことだぞ」と言う意味を込めていう。
メアリお姉様のような笑みを想像して表情を作った。
「そうだね。でも僕だって流石に信仰を冒すような真似はしないさ」
エドワード様は「そんなヘマはしない。相手は選んでいる」と返してきた。
ますます腹が立つなこの人は……
しかしそんなことを自らの手ではなく、オズウィン様をだましてさせたことの方が腹が立つのだ。
私は胸に手を当て口元には笑みを浮かべ、目は魔獣を狩るときの鋭さをエドワード様に向ける。
「確かにわたくしはそういった信仰は持ち合わせておりません……が、結婚するかもしれない相手に試されて、その後良好な関係が築けなくなる……そうはお思いになられませんでしたか?」
「しかしキャロル嬢は魔獣に慣れているようだろう? 魔獣肉程度で臆するとは到底思えないけど」
エドワード様は私を観察するように目を細めた。
オズウィン様は私がエドワード様に何を言うのか、ハラハラしているようだったがここはそのまま見守って欲しい。王族だからとその下の身分の者をぞんざいに扱っていいものと思っているならその考えは正して欲しいものだ。
「さようでございますか。しかしそのような考えをお持ちの方であるならば、将来的にエドワード様は政治からは離れなくてはなりませんね」
ぴく、と眉を上げる。
下級貴族にそこまで言われるとは思わなかったのだろう。国を動かす者は賢く腹黒くはあっても相手を尊重できなければならない。
侮辱をされて命の奪い合いになるなんて、歴史の中ではよく起きている。
もう二百年以上前の話。
新しく爵位を受けた女性貴族が、手袋の間違った長さを教えられ、国王陛下への謁見の際大層恥を掻かされたことがあった。
そしてその間違った作法を教えた貴婦人を、衛兵のサーベルを奪って斬りつけたと言う事件があったのを、まさか王族であるエドワード様が知らないはずがない。
「エドワード様の先ほどまでの発言……国王陛下がご覧になったらなんと仰いますでしょうか」
「僕を脅すつもりかい?」
「いいえ、想像を巡らせただけです」
ほんの少し表情が歪んだエドワード様に見えるよう、ブローチに触れて見せた。その仕草にエドワード様ははっとした。
「下級貴族は密偵など使えないことが多いですから。自力で信頼性の高い情報を用意しなければなりません」
そう、メアリお姉様に借りたこのブローチは映像と音声を記録する道具だ。このままこれを外に持ち出せば、エドワード様の政治的適性は疑われることになるだろう。
本当は自分の身の安全と潔白のためにメアリお姉様が貸してくれた物だけれど、まさかこんな使い方をすることになるとは……
これだけでどうにかなるとは思わない。しかし国王陛下からエドワード様の信頼をそげるならかまうものか。
メアリお姉様の言葉とアレクサンダー家の「誓約書」が、私がどうあるべきかはっきりさせてくれた。
上位の相手だからと無闇に謙るな。
卑屈になって相手の機嫌を取るな。
貴族は民を守るため、王族の誤ったことも正さねばならない責任を持つのだ。
私は鋭さのある眼差しでエドワード様を見つめた。




