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豊後の尼御前と鬼御前  作者: ふじまる
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第9章 指南と出産

 鑑興あきおきの基礎体力がある程度ついたところで、ようやくタエは木刀を手に取って立ち合い稽古を始めた。タエの指導方針は基本重視。基本の型を踏まえた上で、そこからどう自分独自の動きに発展させるか、その為の身のこなし方、相手の体の捌き方、間合いの取り方を徹底的に指導した。ヒラヒラと軽やかに体を回転させながら打ち込んでくるタエの剣さばきは、剣術というより舞いのようで、鑑興はタエと一緒に踊りの練習をしている錯覚に陥った程だったが、ともかくも新妻と夫婦で稽古するのは楽しかった。タエと二人で体を動かし、汗を流していると、何ともいえない幸せを感じた。美しいタエの横顔に見とれつつ夢中で稽古を続けていたら、いつの間にか鑑興は強くなっていて、中島玄佐なかじまげんざと立ち合っても敗けなくなった。鑑興は魔法にかけられた気分だった。

「ありがとう、タエ。お陰でようやく自分に自信がついたよ」

 そう感謝する鑑興にタエは言った

「すべて殿の努力の結果です。わたしはそのお手伝いをしたに過ぎません」

「またまたすぐ謙遜しちゃって・・・ま、そういうところが、タエの良いところなんだろうけどさ」

「謙遜ではありません。心にある事を正直に述べただけです」

「わかったよ。これからも俺を助けてくれ。そして夫婦で力を合わせてこの城を盛り立てていこうね」

「はい。最初からそのつもりです」

「それにしても」と鑑興は改めてタエの顔をしげしげと眺めた。「タエはひとに剣術を教えるのが上手いよね」

 突然そう言われて戸惑ったタエは「あ、ありがとうございます」と口ごもった。

「その腕を放っておくのはもったいないなぁ・・・」

「はぁ・・・」

「どうだろう、その腕で城中の者を鍛えてくれないだろうか?」

「え?」

「男は面子があるので難しいだろうから、とりあえず城中の女たちをぜひ鍛えて欲しい」

「えええ? 良いのですか?」

 タエは内心そうしたいと思っていたところなので、鑑興の提案にすぐ飛びついた。

「もちろん良いに決まっているさ。戦国乱世のこの時代、いざとなったら女も剣を持って戦わなければならない場面が現れるかもしれない。そうなった時の為に今から訓練しておいてくれ」

「了解です」

 そういうわけで、城の若奥さま自らが師範となるのはまことに異例の事ながら、タエは鶴崎城つるさきじょうで働く侍女たち全員に剣と薙刀を教えることになった。城の中でかしこまっているより、こちらの方が性に合ったので、稽古をつけている時のタエは水を得た魚のようにいきいきしていた。城の女たちが剣術の稽古に励んでいるのを見ると、男たちの方も奮起しないわけにはいかず、さかんに剣や弓そして馬の稽古を始めた。こちらは鑑興が先頭に立って引っ張った。鶴崎城はたちまち豊後でいちばん武芸の盛んな城に変貌した。

 タエは日出生城ひじうじょうにいるオネに手紙を書き、「今、こちらでは、こんな取り組みをしてんのよ」という感じで、自分が城の侍女たちに剣を教えることになったいきさつ、その影響で鶴崎城全体が武術修行に血道を上げるようになった顛末を余さず伝えた。手紙を読んだオネは、夫の帆足鑑直ほあしあきなおに「わたしもこうしたい」と頼んだ。小柄ながら武芸を好む元気者であり、しかもオネとはおしどり夫婦と呼ばれるほど仲の良い鑑直は「いいじゃないか」とすぐに賛成した。かくして日出生城でも、次期城主夫人自らが、侍女たちに剣と薙刀、それにオネが得意な弓を教えることになった。

 永禄十一(1568)年、十七歳になったタエとオネは共に妊娠し、そして出産した。タエが産んだのは男の子で、後に鶴崎城主になる統増むねますである。オネが産んだのは女の子で、サキ(咲)と名付けられた。妊娠していた間は剣術指南を休んでいたと思われるかもしれないが、実はタエもオネも大きくなったお腹を抱えながらギリギリの時期まで教え、出産が済むとすぐ現場に復帰した。二人とも根っからの武道好きであり、指導好きであり、怠けることを知らない働き者だった。

 統増が一歳を過ぎ、ある程度心配が無くなると、タエは結婚前からの宿願だった鉄砲を練習させてくれるよう鑑興に頼んだ。タエのしごきを経て、すっかり逞しく、見違えるように男らしくなった鑑興であったが、鉄砲と聞くと急に煮え切らない態度に変わった。

「鉄砲? あれは暴発のおそれがあるから危ないよ」

「それでもやりたいんです、わたしは」

「タエが怪我したら大変だからなぁ・・・」

「武器には大なり小なり危険がつきものでしょうが」

「でも、女が鉄砲を撃つって聞いたことが無いし」

「はぁ? 戦国の世では男も女も関係なく戦わなくてはならないとおっしゃったのは、あなたですけど」

 タエにそう詰め寄られた鑑興はタジタジになった。

「確かにそれはそうだけどさぁ・・・」

「それとも剣で勝負して勝った方の意見に従う事にしましょうか?」

「いや、それだけは勘弁してくれ」

「じゃあ文句ないわね?」

「文句は無いけど、なぜそんなに鉄砲にこだわるんだい?」

 鑑興がそう尋ねると、タエはアナミに言われた言葉を繰り返すように「これからは鉄砲の時代だからです」と答えた。織田信長おだのぶながが鉄砲隊により武田軍の騎馬隊を打ち破った長篠ながしのの戦いは、この時から七年後の出来事であり、この時点において鉄砲は戦闘の主力武器と考えられてはいなかった。ところが、タエは鉄砲こそが未来の戦闘において決定的に重要な役割を果たすと信じていた。

「そうなの?」

「だって、考えてごらんなさいよ。鉄砲を撃つ為には、たいした技能がいらないのよ。同じ飛び道具である弓と比べても遥かに鍛錬の必要が少ない。その気になれば女でも子供でも撃てる。それでいて、女が撃っても、子供が撃っても、当たれば敵に甚大な被害を与えられる。こんな素晴らしい武器は他に無いわ」

 鑑興を説得したタエは、鶴崎城にある鉄砲を持ち出してさっそく練習を始め、城の侍女たちにも練習させた。最初は大きな音に怯えていた侍女たちだったが、しばらくするとすっかり慣れ、平気な顔でばんばん撃ちまくるようになった。タエは鑑興に財力の及ぶ限り鉄砲と弾薬を買い集めるよう頼んだ。すっかりタエのペースに押されっぱなしになっていた鑑興は、力なく「・・・わかった」と答えた。

 タエが鉄砲の話を手紙に書いてオネに送ると、日出生城でも侍女たちによる鉄砲の練習が始まった。ただオネ本人は弓を愛し、弓へのこだわりが強かったので、鉄砲の練習をしなかった。その代わり、アナミから聞いたイングランドのロングボウの話にヒントを得て、特注の大弓を作らせた。男でもなかなか引けない強靭な弦を、オネが自慢の怪力でぐーんと思いっきり引き、これまた特注の重くて長い矢を放つと、矢は通常の射程の二倍の距離を飛んだ。通常の射程内にいる敵に対しては、その鎧を貫通し、矢を防ぐ為の木の楯を粉砕する恐ろしい破壊力を発揮した。

「オネの弓には、さすがの鉄砲も敵わないな」

 夫の鑑直がそう言って苦笑すると、オネは自信満々の顔で答えた。

「はい、鉄砲になんか敗けませんわ」

「大砲と、どっちが強いかな?」

「大砲も鉄砲もなかなか当たりませんでしょ? わたしの弓は百発百中ですよ」

「確かにそうだ。そう考えると、オネの弓の方が頼りになるな」

「はい」

「俺は本当に良い嫁をもらった」

 鑑直とオネは二人して大笑いした。二人は本当に仲の良い夫婦だった。

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