第19章 それから
「深手を負ったようだな、備中守」
タエが冷たくそう言い放つと、泥だらけになった文綱は、口から血を吐きだしながら
「おのれ、騙し討ちとは卑怯ではないか!」
と叫んだ。
「卑怯? 戦争に卑怯もヘッタクレもあるものか」
「我らは和睦したはずだ」
「和睦などしておらん。ただ開城しただけだ、きさまらを油断させる為にな」
「そんな詭弁が通るものか」
「詭弁ではない。実際、丹生島城でも、日出生城でも、戦闘が続いている。きさまだって、丹生島城攻めに加勢するため、余分な兵を送ったではないか。我が大友は島津と和睦していない」
「大友と島津の話をしているんじゃない。俺とあんたとの話をしているんだ」
「おれたち一兵卒に敵と和睦する権限は無い」
「権限の話をしているんじゃない。人間と人間との信頼の話をしているんだ」
「おれときさまは最初から敵対関係、それだけだ」
「本当にそうなのか? こんな真似をして、タエさん、あんた人間として平気なのか?」
「戦争はいつだって非人間的なものだろう?」
「戦争にだって最低限これだけは守らなければならない信義というものがあるはずだ」
「おれは自分に与えられた使命を粛々と果たすだけだ」
「それじゃ人間としての心はどうなるんだよ?」
「他人の領土を盗みにやって来た泥棒の分際で偉そうに吠えるな」
「俺は、タエさん、あんたの事が好きだった。本気で惚れていた。好きで好きでたまらなかった。そんな俺を、あんたは陰で笑っていたのか? 哀れで間抜けな愚か者と笑っていたのか?」
「甘っちょろいお人好しだと思っていたよ」
「自分を心底愛してくれた男の誠意を踏みにじって、それでもあんたは平気なのか? 良心の呵責はないのか?」
「これは戦争なのだからしょうがないだろうが」
「俺は兵士としてあんたと接していたわけじゃない。人間として接していたんだ」
「それはきさまの勝手だ」
「そんなに勝つ事が大切なのか? 勝って何が得られるのだ? 金か? 栄誉か? その為なら人間の心を失っても良いのか?」
「おれは人間の心を失っていないぞ」
「いいや、あんたは人間の心を失っている。使命とか役目とか、そんなものに魂を奪われ、いちばん大切なものを喪失している」
「好きにほざいてろ」
「いいのか? 本当にこれでいいのか?」
「うるさい」
「あんたはひとの真心を笑うのか?」
「黙れ」
「それで心が痛まないのか?」
「・・・」
「俺はあんたにとって何だったんだよ?」
「・・・」
「まぁ、せいぜい俺のことをバカだ、間抜けだ、負け犬だと嘲笑えばいいさ。そして、自分の利口さ、優秀さを自慢すればいい。俺は敗者としてくたばるけど、人間の心を持ったまま死ねるだけ、あんたよりマシだ。たとえ敵であっても、俺は自分を心から愛してくれたひとに対して、こんなむごい仕打ちはできない」
そう言って文綱はタエをギューッと睨みつけた。タエはその視線の圧に耐えきれずに顔をそむけ、小さな声で
「わたしを愛してくれた事に感謝している・・・嬉しかった・・・とどめは刺さないから薩摩へ帰れ」
そう言い捨てると全員に撤収を命じ、鶴崎城へ疾風のごとく引き上げていった。大勝利である。あとに残った文綱は、薩摩を目指して進んだが、重傷だったため結局、日向の高城までたどり着いたところで命が尽きた。
宗麟が立てこもった丹生島城も、オネが守った日出生城も、玖珠郡のシンボル的存在である角牟礼城も、島津軍の猛攻をしのぎきり、彼らが撤退するまで持ちこたえた。こうして大友家は危機を脱した。
その後・・・
豊臣秀吉が豊後に入った際、たまたまタエの噂を聞き、いちど会ってみたいと言った。しかし、二人の対面は実現しなかった。なぜならタエが行方不明になったからである。
タエはどこに消えたのか?
それは誰も知らなかった。いや、正確に言うと、鶴崎城に戻ってきた息子の統増だけは知っていた。オネの手配で日出生城近くの小さな山寺に隠棲したのである。タエが山寺へ行くと言いだした時、統増は
「なぜ母上が山寺へ行かなければならないのですか? この鶴崎城にいて、まだまだ未熟な私をご指導ください」
そう言って引き留めたが、タエの決意は固かった。鶴崎城を出る前、タエは統増にしみじみとこう語った。
「わたしが今回の戦争で自ら兵を率いて戦った理由は、国を守る為でしたし、亡き夫の仇を討つ為でもありました。しかし、一番の理由は、自分の力を試してみたいという欲望に駆られたからです。小さい時分から、わたしは女だてらに武将になりたいと思っていました。男にだって敗けない自信がありました。その頃、わたしはキリスト教の修道士アナミと親しくなり、彼から西洋の戦術を教わりました。この戦術を使って敵を打ち破ってみたい、わたしは豊後のジャンヌ・ダルクになるんだ・・・そういう欲望に取り憑かれていたわたしは、大友軍が惨敗する度に、自分が大将だったら敗けなかったのにと、本気で悔しがりました。亡き殿が戦死した時も、わたしは悔しかった。わたしがそばにいれば、むざむざ死なせる事はなかったのにと思って。自分の力を発揮できる機会が与えられない境遇に、正直わたしは怒りを覚えていました。ところが、遂に現れたのです、わたしの力を発揮できる場所が。戦場が。そう、この鶴崎城で敵を迎え討つ機会が。わたしは喜び勇んで島津軍を殲滅する作戦を立て、それを実行し、成功しました」
「豊後じゅうの者が、母上の采配を、見事だ、すごい、と褒め讃えておりますよ」
統増がそう言うと、タエは小さく苦笑した。
「わたしは戦争を遊戯と見なして楽しんでいたのでしょうね。難しい遊戯を、マセたガキのように、夢中になって楽しんでいたのでしょう・・・しかし、戦争は遊戯ではありませんでした。それは悲惨な現実。現実そのもの。勝った方も敗けた方も心に傷を負う恐ろしい人間の所業でした。わたしにそれを教えてくれたのは、野村備中守です。彼がわたしを睨みつけている顔が、今も脳裏から離れません」
「ご自分を責めないでください。母上はやるべき使命を果たしたのです。誰からも非難されるいわれはありません」
「たとえそれが自分に課せられた使命であっても、人が人を殺すのは恐ろしい事です。わたしは自分のした行為を後悔していないし、もういちど同じ状況に陥れば、また同じ事をすると思います。これは致し方ないことなのでしょう、人間社会で生きる以上は。ただ、わたしは身に滲みて知りました、人間は悲しい・・・このどうしようもない悲しみを知った以上、今後わたしのやるべき事はただ一つ、死んでいった者たちの供養です」
「なぜ母上だけが、そのような・・・」
「なぜ? それはわたしが野村備中守に敗けたからです」
「敗けた? 母上は島津軍に勝ったではありませんか」
「わたしは敗けたのです、野村備中守の純な魂に」
「そんな・・・」
「まさかわたしが敗けるとは思っていませんでした、あんな能無しに・・・でも、能無しでも、わたしよりずっと人の道がわかっていた・・・フフ、素敵な能無しでした・・・」
「もしかして、母上はその男に惚れたのですか?」
「惚れたら悪いか?」
統増に向かってタエはニコッと微笑み、鶴崎城を後にした。
隠棲した山寺でタエは、夫の鑑興を初め、味方も敵も、とにかく戦争で死んでいったすべての者のために、仏に祈りつづけた。そこへオネがしょっちゅう訪れ、茶菓子をつまみながらタエと世間話をして穏やかで楽しい時間を過ごした。やがて夫の帆足鑑直が亡くなるとオネも山寺に移り住み、タエと仲良く暮らした。その後の二人の消息はわからない。秋の枯葉のように歴史の中に消えてしまった。ただ、戦国時代、豊後に尼御前と鬼御前という女武将がいて、島津軍をきりきり舞いさせたという伝承が残るだけである。
完
《参考資料》
外山幹夫『大友宗麟』(吉川弘文館)
司馬遼太郎『豊後の尼御前』(新潮文庫『歴史と視点』収録)
赤神諒『妙麟』(光文社)
非株式会社いつかやる(YouTubeチャンネル)
吉岡妙林尼について書かれたものを読むと、最後の乙津川での奇襲が騙し討ちのようで、はなはだ後味が良くありません。司馬遼太郎氏も同じ感想を書かれておりました。そこで私はこの後味の悪さを、大好きな太宰治の『お伽草子』に収録されている「カチカチ山」に寄せて、モテない男の純愛物語にアレンジいたしました。つまり私自身のお話というわけです。ぐすん。