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豊後の尼御前と鬼御前  作者: ふじまる
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第16章 恋の炎

 開城した鶴崎城つるさきじょうに島津軍が入城し、城の大広間で野村備中守文綱のむらびっちゅうのかみふみつなが、タエや中島玄佐なかじまげんざら鶴崎城の首脳陣と面会した。文綱は上座にデンと座り、タエたちは下座で平伏している。タエは鎧を脱ぎ、普通の尼僧姿である。

おもてを上げられよ」

 文綱がそう言うと、タエたちは顔を上げた。タエの顔を見た文綱は改めて(美しい・・・)と思った。

「この度は我らに対し、格別のご厚情をたまわり、感謝の言葉もございません」

 タエがしおらしい態度でそう述べると、その顔に見惚れていた文綱はハッと我に返り、若干どもり気味に

「いや、こちらこそ開城に応じてくれて感謝しております」

 と答えた。

「それにしても見事な戦いっぷりでしたね。我が島津軍がこんなに苦戦したのは久しぶりです」

「恐れ入ります」

妙林尼みょうりんにどのが指揮していたのでしょう? どこであのような奇抜な戦法を習得なされたのですか?」

 文綱が興味津々な様子でそう尋ねると、タエは

「わたしは女で何もわかりませんものですから、ここにいる城の者たちの助言に従っていただけです」

 と白を切った。文綱は意外な顔をした。

「あ、そうなんですか? 鶴崎城には優秀な軍師がいるのですね」

「いえ、誰か一人というわけではなく、皆の話し合いで何となく・・・」

「ふうん」

「わたくしどもは田舎者ですから」

「しかし、大友家には有能な人材が多いように思いますよ。それもちょっと変わった・・・各戦場から様々な情報が流れてくるのですが、日出生城ひじうじょうを御存じでしょうか?」

 もちろんタエはオネのいる日出生城をよく知っているが、

「知りません。どこら辺にある城ですか?」

 と知らぬふりをした。

「日向の国へ行く途中の山奥にある城です」

「その城がどうかしたのですか?」

「いや、その城には鬼御前という女武者がいて、我が島津軍をさんざん蹴散らしたみたいなんですよ」

「鬼ですか・・・すごい話ですね」

「ええ、私も噂を聞いただけなのですが、何でも赤鬼のような恐ろしい顔をした大女らしいですよ。そんな女がいるという話を聞いたことがありませんか?」

「まったくありません」

「ひと口に豊後の国と言っても、けっこう広いですものね」

「わたくしどもに分かるのは、せいぜい鶴崎と府内ふないくらいのものです」

「普通はそんなものでしょうね。それにしても、あちらの鬼御前といい、こちらの尼御前といい、豊後の女性は実に逞しいですな」

 そう言って文綱はカラカラと笑ったが、タエは作り笑いを浮かべたまま表情を変えなかった。

 タエとその家臣は鶴崎城を出て、城下の屋敷に移った。城内にいた領民やヤクザ者たちも、それぞれ自分の家に戻った。文綱は三百の兵だけを鶴崎城に残し、残りは丹生島城にゅうじまじょうへ向かわせた。昨日の敵は今日の友というわけではないが、吉岡家の家臣たちは島津兵と積極的に友好を深め、互いに戦場で負った傷を見せ合ってはいくさ話で盛り上がった。タエもたびたび自分の屋敷に文綱ら島津軍の首脳陣を招いて酒宴を催した。美味しいお酒を飲み、美味しい料理を食べ、侍女たちによる可憐な舞いを鑑賞しつつ、美しいタエと機知に富んだ会話をしていると、文綱は自分が竜宮城にいるような錯覚に陥った。それくらいタエと一緒にいるのは楽しかった。自分の中でタエの存在がどんどん大きくなっていくのを、文綱は感じていた。

吉岡鑑興よしおかあきおきどのは幸せ者でしたな」

 とうとう我慢しきれなくなった文綱が、ある夜、酔った勢いでそう言うと、タエは穏やかに「どうしてですか?」と尋ねた。

「なぜって・・・妙林尼どののような美しくて頭の良い妻を娶ったからですよ」

「まぁ」とタエは笑った。「そんな事をおっしゃっていると、お国でお帰りを待っている奥方さまに叱られますわよ」

「確かに私には国に妻がおりますけど、ごくごく平凡な女でして、妙林尼どののような特別な魅力は持ち合わせておりません」

「わたしもただの平凡な女です」

「とてもそうは思えません。あなたは私がこれまで出会った女性の中で、たぶん最高の人です」

「女をおだてるのがお上手ですのね」

「私は本気で申しているのです」

「そうやって方々で女人を口説いていらっしゃるのでしょう?」

「違います。こんな気持ちになったのは、恥ずかしながら妙林尼どのが初めてです」

「こんな気持ちって、どんな気持ちですか?」

「それは、つまり・・・」と文綱は口ごもった。「初めて本気で女性を好きになったというか・・」

「奥様を愛していらっしゃらないのですか?」

「妻とは家同士が決めた縁談で結婚しまして・・・もちろん妻のことは愛しておりますよ。心の善良な良い女だと思います。しかし、違うんだよなぁ、あなたとは。あなたには私を狂わせる何かがある」

「随分お酔いになったようですね」とタエは冷静に言った。「今宵はこれくらいでお開きにいたしましょう」

 しかし、文綱の心はお開きにならなかった。それからというもの、寝ても覚めても頭に浮かぶのはタエの顔ばかりで、タエが恋しくて仕方なかった。どうしてもタエを自分のものにしたいと思い詰めた文綱は、ある日とうとう告白した。

「妙林尼どの、私はあなたが欲しい。どうか私の妻になってください」

「え? 野村さまにはちゃんと奥様がいらっしゃるではありませんか」

 とタエが呆れた表情をすると、文綱は慌ててこう言った。

「ですから、側室で・・・」

「側室?」

「あ、いや、妻とは離縁しますから正室で・・・」

「その話を奥様は了承なさったのですか?」

「いいえ、まだ・・・」

「それでは話になりませんね」

「妻とは必ず離縁しますから、そこを何とか・・・」

「そんな話、当てになりません」

「私を信じてください」

「それに、そもそもわたしは出家した身ですよ。野村さまと結婚できる道理が無いではありませんか」

「ですから、そこは還俗して頂いて・・・」

「仏門はそんなに都合の良いものではありません」

「しかし、出来ないことも無いわけでして・・・」

「野村さまは仏の教えを軽くお考えになっているようですね。そんな事では、死後、極楽へは行けませんよ」

「あなたと一緒になれるなら、地獄へ堕ちても構いません」

「はぁ?」

「私はもうあなた無しでは生きてゆけないのです」

 そう言うと文綱はしくしく泣き始めた。

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