第15章 日出生城決戦と鶴崎城開城
島津軍の角牟礼城への総攻撃が始まった。しかし、事前の予想通り、難攻不落の山城を相手に島津軍は苦戦した。戦況は地元民の協力で続々と日出生城へ伝えられ、その報告を見ながら帆足鑑直とオネは攻めかかるタイミングを計っていた。最初は大軍をもって一気に角牟礼城を攻め落とそうと考えた島津軍であったが、それが難しいのを思い知らされると、今度は周囲の城をまず手中に収めようとする動きを見せ、軍がばらけ始めた。日出生城と角牟礼城のちょうど中間地点にある窪地で、角牟礼城攻略戦から離脱した約二千名の島津兵が休息しているとの情報を、鑑直は得た。
「こいつはおあつらえ向きの場所だ」
島津軍は知らないだろうが、その窪地へは日出生城から密かに行ける間道が通じ、奇襲するにはうってつけの場所だったのである。鑑直はオネに向かってにんまりと笑い、ただちに出陣することに決めた。日出生城に百名だけ残して四百名での出撃である。
「あとは頼んだぞ、オネ」
「お任せください」
オネに見送られて出発した鑑直ら四百名は、狭く険しいけど子供時分からよく知っているお馴染みの間道を、音を立てないよう気をつけながら、するすると進んでいった。窪地の横に着くと、島津兵たちがそこらじゅうに寝そべってのんびり休憩しているのが見えた。こちらの動きに気づく様子はまったく無い。
「かかれ!」
鑑直の号令と共に日出生城の兵が一斉に襲い掛かった。不意を突かれた島津兵は慌てるばかり。城の兵が逃げまどう島津兵をどんどん倒してゆく。総崩れになった島津軍だが、逃げる途中で千人ほどが再集結し、近くの日出生城へ攻めかかった。鑑直が恐れていた事態が現実となったわけである。
日出生城に攻め寄せる島津軍。ところが、日出生城の城門とそこから横に伸びた塀の上に築かれた櫓に、甲冑姿の兵が弓と鉄砲を構えてズラリと並んでいたものだから、島津兵はひるんで足を止めた。すると正面に聳える城門の櫓に、ひときわ背の高い武者が現れた。それこそが、白い小袖と白い小袴の上に真っ赤な鎧と具足を付け、頭にはこれまた真っ赤な鎖はちまきを巻いたオネであった。タエが紫の甲冑なら、オネの美意識は血のような深紅の甲冑を選んだのである。
「おい、あれは女だぜ」
「え? あのでっけえのが女?」
櫓に立っているのが並みの男より頭ひとつ以上大きな女だと分かってたじろぐ島津兵に向かって、オネが吼えた。
「よく来たな、島津の者ども。冥土のみやげに憶えておけ。我こそが日出生城の鬼御前である。そしてここがきさまらの死に場所だ。全員、地獄へ送ってやるから覚悟しろ!」
そう言うとオネは特注の大弓を手に取り、ギリギリっと引き絞って放った。矢は先頭にいた島津兵の体を一瞬で貫いた。同時に城からの一斉射撃が始まった。バタバタと倒れる島津兵。島津軍は通常の射程距離外まで退却したが、そこにもオネの矢が飛んで来た。それも外れなしの百発百中で。狙われたら最後、命が無いという恐怖心に襲われた島津兵たちは、我先にと逃げ出した。そこへ追撃してきた鑑直の軍が現れ、挟み撃ちになった形の島津軍は壊滅し、兵の大半が討ち取られた。日出生城側の大勝利である。鑑直はオネを絶賛し、いつもの口癖である「俺は本当に良い嫁をもらった」を連発した。この戦いで、日出生城の鬼御前の名は、豊後のみならず薩摩にも轟いた。
さて、話は戻って鶴崎城のタエである。
天正十五(1587)年一月の後半になっても膠着状態が続き、決着が着かなかった。けっきょく開戦以来、島津軍は十六回攻め掛かったことになるが、すべて甚大な損害を出して撥ね返された。そういうわけだから、ちょうどオネが日出生城で島津軍を撃退していた頃、鶴崎城攻略の責任者である野村備中守文綱のところへは、宗麟が立てこもる丹生島城を攻撃している島津本軍から
「そんな小城にいつまでかかっているんだ。さっさとケリをつけて、余分な兵をこちらへ回せ」
という催促が矢のように届いていた。
(丹生島城も苦戦しているみたいだな・・・)
文綱はぼんやりそんな事を考えたが、さっさとケリをつける妙案など皆無で途方に暮れた状態だった。そこへ部下の一人が提案した。
「鶴崎城は城下の民を悉く城内に入れて保護しているようです。つまり人が多いから、そのぶん兵糧が減るのも早いというわけです。私の予想では、そろそろ兵糧が尽き果てようとしていると思われます。そこで、命の保証を条件に開城を要求すれば、先方は乗ってくるのではないでしょうか?」
「でも開戦前、城の親分の吉岡妙林尼とかいう尼に、情けをかけてやるつもりで、それと同じ提案をしたけど、けんもほろろに追い返されたぜ」
「あの時と今とでは状況が違いますって」
「そうかなぁ? 状況が悪くなっているのは、むしろこちらのように思えるんだけど・・・」
「とにかくダメ元で要求してみましょうよ」
「おまえがそう言うのなら任せるよ。やってみてくれ。ま、俺としては、望みは薄いと思うけどな」
そう言って文綱はてんで当てにしていなかったが、トントン拍子に話がまとまり、開城が決まったものだから、驚きのあまり床几からズルッとすべり落ちそうになった。
「はぁ? マ、マジかよ・・・」
マジだった。タエはあっさり開城を決めたのである。これには反対する家臣が多く、代表して家老の中島玄佐が怒りのあまり顔を真っ赤にして怒鳴り込んできた。
「開城などもっての外。我らは最後の一兵が倒れるまで戦うべきです」
これに対してタエは涼しい顔でこう答えた。
「だって、もう兵糧が無いんだもん」
「食わなくても、すぐに死にはしません」
「昔から腹が減ってはいくさが出来ぬというじゃないの」
「ふざけないでください」
「ふざけているのはそっちよ、玄佐。元々おまえは開戦に反対だったんじゃないの?」
タエにそう指摘された玄佐はグッと息を飲みこんだ。
「確かに私は開戦に反対しました。でも、それは私だけではありません。城のほとんどの者が開戦に反対でした、とても勝ち目が無いと思って。ところが、尼御前の指揮のもと戦って、我らは目覚めたのです。心に火が点いたのです。こうなったら、もう止められませんぞ。たとえ尼御前がやめても、我らだけで戦います」
「困った人たちね」とタエは苦笑いした。「あなたたちは短絡的すぎるのよ。開城したら敗けだ、もう戦争は終わりだ、そう思っているのでしょう?」
「え? そうじゃないんですか?」
と玄佐が素っ頓狂な声を上げた。
「違うわよ。戦争というのはね、もっと長い目で見るべき代物なの。最終的に勝つ為には、いったん敗けることもあり得るのよ」
玄佐が声を上ずらせて「ということは、尼御前には何かお考えがあるのですね?」と訊くと、タエは声にドスを利かせて「おれが何も考えていないと思ったのかよ、玄佐?」と答えた。
「おみそれいたしました」
「今は未だ話せないが、ちゃんと策は練ってある」
「頼もしや」
「だから、黙っておれに従え」
「はい。従います」
一月末日、鶴崎城は開城した。