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豊後の尼御前と鬼御前  作者: ふじまる
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第11章 窮地

 先に述べたように、織田信長おだのぶながの仲裁によって、何とか島津との休戦に漕ぎ着けた宗麟そうりんであったが、その平安は長く続かなかった。天正十(1582)年六月、信長が本能寺の変で自害して果てると、またもや島津軍による侵攻が始まったのである。追い詰められた宗麟は、新たな天下人・羽柴秀吉はしばひでよしに助けを求めた。しかし、徳川家康とくがわいえやすと交戦中の秀吉は、すぐに助けに来られない。そこで宗麟は臼杵うすき丹生島城にゅうじまじょうにイキの良い武者と兵糧をかき集めて籠城し、ひたすら秀吉軍の到着を待つ作戦に出た・・・というのも以前述べた通りである。

 鶴崎つるさき城主である統増むねますにも兵を率いて丹生島城へ来るよう宗麟から命令が来た。タエの厳しい教育により凛々しい若武者に成長していた十八歳の統増は、丹生島城へ行くのを躊躇った。自分がいなくなれば鶴崎城が老人と女だけのカラ城状態になり、タエの命が危うくなるのを心配したからである。しかし、国主である宗麟の命令には従わないわけにはいかない。そこで統増はタエを一緒に丹生島城へ連れて行こうと考えたが、タエは統増の提案をあっさり断った。

「どうして私と一緒に丹生島城へ行ってくれないのですか、母上?」

 統増がそう問いただすと、タエは簡潔に答えた。

「ここがわたしの城だからです」

「わたしの城?」

「そうです、この鶴崎城は亡き殿とわたしが大切に守り育ててきた城です。それゆえ、わたしはここを離れません」

「しかし、ここにいると命が危ないのですよ」

「それは鶴崎城に残る全員が同じでしょ?」

「そうです。危険です」

「わたしが鶴崎城を離れたら、残った者たちはどうなるのですか? 彼らの命が助かる保証があるのですか?」

「ありません」

「つまり、わたしだけ逃げろと言うのですね?」

「致し方ないのです」

「統増、あなたはわたしが、城の者たちを犠牲にして、自分だけ命を助かろうとする、そういう卑怯で臆病な人間だと思っているのですか?」

「思いません。母上が卑怯で臆病な人間でないことは、私が一番よく知っております」

「それならわたしを丹生島城へ行かせる事は諦めなさい」

「わかりました、諦めます。その代わり私もこの城に残ります」

「あなたはダメよ、君命に従わなければ」

「母上を残して私だけ鶴崎城を離れるわけにはまいりません」

 そう言うと統増は床に顔を伏せておいおいと泣きだした。タエはここで厳しい表情を崩し、優しく諭すように統増に語りかけた。

「そう心配しないで。わたしは大丈夫だから、あなたは丹生島城へ行きなさい」

「しかし、母上が・・・」

「年寄りと女しか残っていない城で何ができましょう。もし敵が攻めて来たら、無駄な抵抗をせず、あっさり城を明け渡しますから心配しないでください」

 タエは初めから島津軍と戦う気満々だったが、統増を安心させるために嘘をついた。

「本当ですか?」

「本当です。城の人間を無駄死にさせるわけにはいきませんからね」

「本当ですか?」

「本当ですって。島津側もまさか仏に仕える尼僧のわたしを殺すはずがありませんし、わたし自らが交渉すれば城の者たちも助かるでしょうから」

「本当ですか?」

「だから本当だって言ってんだろうが」突然、タエが激高し、昔の不良言葉が飛び出した。「それともおまえはおれの言葉が信用できないって言うのか? あ? そうなのか?」

 母の剣幕に狼狽した統増はひたすら平身低頭した。

「どうなんだよ、統増?」

「も、申し訳ございません」

「申し訳ないとか、そういう事を訊いてんじゃねえんだよ、こちとらは。信用してるかどうかを訊いてんだ」

「も、もちろん信用しております」

「そんならさっさと丹生島城へ行きやがれ、このトンチキ野郎!」

「はいぃーっ。すぐ参りますぅうう」

 統増を無理やり丹生島城へ追いやったのは、タエの息子を思う母心だった。君命に従うのが臣下の務めであるし、それに鶴崎城にいるより丹生島城にいた方が助かる見込みが僅かながら大きかったからである。そうは言ってもタエにだって死ぬつもりは毛頭なく、どうすれば強力な島津軍に勝てるのか、自室に籠ってひたすら籠城戦の策を練った。タエの頼みの綱は、鑑興の生前から少しずつ買い集めた鉄砲であり、それは三百丁もの数になっていた。しかも城内の者たちはみな鉄砲の訓練を受けている。弾薬と食料の備蓄も充分にある。戦い様によってはこちらにも勝機がある、とタエは思った。

 タエは日出生城ひじうじょうにいるオネに「いよいよわたしたちの出番ね」という手紙を送った。返事はすぐに届き、そこには「わかっているわよ。わたしたちの手で島津軍に一泡吹かしてやりましょうね」と書かれていた。それを読んだタエは「さすが、オネちゃん」と不敵に微笑んだ。

 家老の中島玄佐なかじまげんざは、島津軍が来襲したら戦わずに開城するしかないと思っていたが、宗麟から徹底抗戦の命令が届いた為、ガックリと肩を落とした。城内の誰もが同じ絶望感を味わっていた。

 天正十四(1586)年十二月十二日、戸次川へつぎがわの戦いで豊臣の先発隊が全滅したと思ったら、その翌日には府内城ふないじょうが島津軍によって落とされたという知らせが入った。いよいよ次はこの鶴崎城か・・・誰もがそう思い、死を覚悟した時、タエは城に残った家臣を大広間に集めた。

「丹生島城にいる大殿からの命令により、我らはこの鶴崎城に籠って島津軍を迎え撃ちます」

 尼僧姿のタエが力強くそう宣言しても、家臣はしーんと静まり返ったままだった。

「どうした? みな元気が無いようだが・・・」

 タエがそう問うと、家老の玄佐が口を開いた。

「だって尼御前さま、この戦いは勝ち目がありませんから・・・」

「ふうん、玄佐。おまえは我々が敗けると申すのだな?」

「常識的に考えれば、残念ながら・・・」

「他の者たちも同じ考えか?」

 そう言ってタエが大広間内を見回すと、家臣たちは顔を伏せ、無言でうなだれている。タエは呆れた表情をした。

「まったく情けない者どもよのぉ・・・これまでわたしがさんざん訓練してきた成果はまるで無しか?」

「しかし」と玄佐が口を挟んだ。「殿を初め若くて元気な家臣はみな丹生島城へ行ってしまいましたし、残ったわしら年寄りと女ばかりではどうしようもありませんって・・・」

 ここでタエが急に立ちあがり、大声で

「そんなつまらない常識は捨ててしまいな!」

 と一喝したものだから、大広間にいた家臣全員が驚いて顔を上げた。

「さっきから黙って聞いていれば、無理だ、勝てない、年寄りと女ばかりじゃどうしようもない、とさんざんしょっぺえ事ばかりぬかしやがってよぉ・・・おまえらは座して死を待つつもりなのか? そうなのか? それなら今この場でわたしが叩き斬ってやる」

 タエがそう言って傍らの薙刀を手に取ったので、家臣たちは恐れて後退りした。その家臣たちに向かってタエは薙刀を突き出した。

「おまえらは死ぬのが怖いんだろう? そうなんだろう? 怖いのなら殺される事ばかり考えていないで、死なない方法、すなわち敵に勝って生き延びる方法を考えろよ? え? そうだろうが?」

「尼御前は戦いに勝つ方法があるとおっしゃるのですか?」

 玄佐が恐る恐るそう尋ねると、タエは自信満々の表情で「ある」と答えた。「おれは」とタエは悪ガキだった昔のように自分を「おれ」と呼び始めた。

「おれは昔イエズス会の修道士から西洋の戦術、陣立てを教わった。それを使って島津軍を撃退する。死にたくなかったらおれの下知に従え。必ずおまえらを勝たせ、亡き先代の仇を討たせてやるから。わかったか? わかったら、おれについて来い!」

 タエの迫力に圧倒された家臣一同は「ははーっ」と床にひれ伏した。

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