息を与えるのは僕の役目でしょう?
「焼けるまでどれくらいかかるの?」
火葬場敷地内にあったベンチに義弟と二人で並んで座り込み、嗚呼、と頷く。
「大体二時間位だね。それまで休憩」
「長いなぁ……」
「仕方ないね。他の子達は揃って席を外していたんだから」
ポケットから買ったばかりの煙草を取り出し、包装を破けば、横から眼鏡越しに細められたアーモンド色の瞳を向けられた。
生まれつき淀みない黒目持ちのボクからすれば、物珍しい色とも言える。
先ず第一にボクと義弟では血の繋がりが一切無く、それこそ家族と言う括りでありながらも、赤の他人でもあった。
義弟の母親とボクの父親が再婚した結果に、家族と言う括りになったのだ。
両方の子供が物心付いた時に再婚かよ、と両方に対し眉を顰めたものの、ボク一人が口を出して破局に持ち込めるはずもなかった。
嫌ならば家を出れば良い。
それは単純かつ明快な回答でありながら、それを実行に移せるだけの割り切りをボクは持ち合わせていなかった。
ボクには、六つ、七つ、十、と順に歳の離れた弟と妹達がおり、それを置いて家を出るという選択を取れるはずもなかったのだ。
そうしてそれを考える度に、愛すべき弟妹達を言い訳にしている、と米神が痛む。
包装を開けた煙草の箱から、一本、取り出す。
煙草入れに箱を突っ込みながら、その煙草入れに入れておいたジッポーを出したところで「……ねぇ」声を掛けられた。
「作ちゃんって、煙草吸ってたっけ」
訝しむように問い掛けられ、煙草を咥えたまま、嗚呼、とまた頷く。
「まあ、偶にね」
煙草に火をつけ、煙を燻らせながら答えるボクに、視線を寄越した義弟は「そっかぁ」と曖昧な相槌を打つ。
義弟はボクを義姉さんとは呼ばず、名前で呼び、何なら愛称で呼ぶ。
作ちゃん、作ちゃん、弟妹からも呼ばれるそれは、愛称らしく愛着があり、存外、悪くはなかった。
寧ろ、義姉さん何て呼ばられる方が困るだろうと思う。
血の繋がりもなく、何なら歳だって一つしか変わらない状態で、お互い物心が付きまくった状態での再婚だ。
お互い、お揃いの違和感を持つ必要はない。
「そう言えば、要くんさ」
「ん?」
「おばさんの顔見た?」
さて、血の繋がりのない状態で、片方は一切関係ないとも言える葬儀の末の火葬場。
紫煙混じりに問い掛ければ、少しばかり苦虫を噛み潰したような――否、苦虫を噛み潰したようと言うより、嫌いなものを口に入れた子供みたいな顔だ。
「見た、と言うか見せられたかなぁ」
何となく言いにくそうに言葉を濁しているが、ボクとしてはあの爺婆共、というのが本音である。
今回の葬儀、申し訳ないながら、ボク側――つまり父親側の親戚のものだ。
しかも親戚だ、まともに関わったこともないような親戚だ。
葬儀にも関わらず、お喋り好きな面々なんかは、ここぞとばかりにボクらに寄ってくる。
出席した中でも若い部類で、見掛けない顔というのもあったのだろう。
実に良い迷惑だ。
特に、お喋り好き特有の、まるで人の生活を探るような職場を聞いたり、恋人の有無を聞いたり、お前らも燃やすぞ、と言わなかっただけ褒めて貰いたい。
「棺の中って、その、なんて言うか俺はあまり見たくないなぁ」
「そう?」
「うん。ほら、いくら死んでも俺は、ジロジロ見られるのはあんまり」
えへへ、と若干のあざとさを滲ませて笑う義弟こと要くん。
鼻筋に沿って下がっていく眼鏡のブリッジを押し上げる要くんは、視力はローマ字表記でAになる。
つまり、裸眼で生活が可能な人だ。
今の世の中では、お洒落眼鏡――通称伊達眼鏡なるものもある。
しかして、要くんのは単純に顔を隠すためのものだった。
共に成人済みのボク達だが、要くんの顔立ちはボクよりも格段に幼く見える。
「でも、多分、生きてる時よりもずっと綺麗だったね」
浅く息を吐き、紫煙を吐く。
舌先を転がる味わいには決して慣れることなく、悶えそうな苦味だと思う。
舌を上顎に擦り付け、チッともチュッとも取れる音を出す。
それと同時に視線を向けてくる要くんを見るが、目は半眼状態で、僅かに体をボクとは逆の方向へと逸らしている。
煙草の灰を、携帯灰皿に落としながらその顔を良く良く見た。
ドン引きしている、と言っても過言ではない顔である。
「別に屍姦が好きとかじゃないよ」
あまりにもアッサリと言って除けたボクに、要くんの存外しっかりした肩が、ゆるゆると下がっていく。
これは単純に視覚情報的な見目の話だ。
「化粧を施され、花で飾られ、まるで眠ってるように目を閉じてる。見目が良い」
強く頷くボクと放心する要くん。
別段理解して欲しいわけではなく、ただの感想である。
マジにならんでも、と煙草を持ったままの右手を揺らしたが、聞こえたのは「ふぁ……」何とも気の抜ける欠伸だ。
「嗚呼、朝早かったしね」
慌てて顔ごと目を逸らす要くんだが、咎めるつもりはない。
ボクにとっては親戚であっても、まともに会ったことのない人だ。
肩書きだけでも親戚と付いているだけ良いが、要くんにとっては本来赤の他人である。
ボクも同じ状況なら眠い。
寧ろ寝る。
「二時間ならジャスト仮眠位かな。寝てても良いよ」
「え、でも……」
「起こすから。ボク、別に眠くないし」
体の疲れこそあるものの、外で眠れるとは思えなかった。
図太そうな神経の割には、何と言うか、神経質な部分があるのは否めない。
ボク自身をそう評価し、それじゃあ、とベンチに座って横たわる要くんを見た。
それからダラダラと煙草を吸い、苦いばかりの紫煙を吐き出す。
楽しくもない喫煙は、体に良くないことばかりである。
学生時代に嫌と言うほど教えこまれる煙草の害は、臓器を真っ黒――それこそ煤けた状態にするものだ。
内臓から焼かれることを想像しながら、結局二本も煙草を消費した。
そもそも、常時喫煙してるようなタイプではなく、一週間に一度手にしたら多い方だ。
つまり、何か詰まるものがあったりした際の、ストレス解消となる。
煙草と酒でするストレス解消ほど、体に悪そうなものはないな、と思う。
後は、暴飲暴食。
如何せん、葬儀という場は鬱々としており、火葬場は火葬場で鼻を突く。
どちらにせよ良い気分の場所ではなく、生きた人間と死んだ人間の線引きがしっかりとしていた。
後三十分程で焼き上がりだろう、というところでボクは重い腰を上げる。
横たわっている要くんは、深くも一定の寝息を立てていた。
それを見下ろし、丁寧に折り曲げられた膝裏に腕を差し込み、伸ばす。
くるり、横向きの体を仰向けにする。
流れるような作業のお陰で、寝息が乱れることもなく、瞼が開かれることもない。
随分寝入ってるな、と呟けど、思い立ったが吉日をモットーに動きは止めず。
余っていた花を、ポケットに突っ込んで置いたのが正解だった、と取り出した。
白いそれをぶちぶち花弁を外し、要くんの太陽色の髪に絡まない程度に降らせる。
要くんのふわふわとした髪は、癖毛ながら絡みの少ない質の良いものだ。
同じ癖毛でこうも違うのか、と舌打ちしたいのを止め、更にポケットからリップクリームを取り出す。
成人したからと言って、皆が皆、常にその装備を万全にしていると思うことなかれ。
ボクの持つリップクリームは、緑のパッケージが印象深い、薬用のものだ。
リップクリームの中でも歴史が長く、一番安価で手に入る。
キャップを外し、細い顎に指先を添えながら、薄い唇に塗り付けていく。
ふむ、と見下ろす唇は、光に当てられ、僅かに艶が見えた。
最後の仕上げに、だらりと弛緩している手を揃え、重ね、指を絡ませ、胸下へ。
まるで棺に入ったおばさんと同じだ。
「嗚呼、ほら、綺麗でしょう」
義弟は、要くんは、綺麗だった。
まるで眠っているようね、なんて態とらしく芝居掛かったように告げ、その顔を覗き込む。
上下する胸は、どうしたって生きている人間のそれである。
すると、何を思ったのか、顎を、首を、持ち上げた要くんは、リップクリームで光る唇を押し付けて来た。
予想外に勢いが付いたのか、ふに、という柔らかさよりも唇に隠された歯の硬さを感じる。
「やあ。お早う眠姫」
「……勘弁してよ、義姉さん」
「こっちの台詞さね」
折り曲げた腰を伸ばし、手を差し出す。
体を起こした要くんは深い溜息を吐くが、自分だって態とらしく芝居掛かった『義姉さん』を出したのだ。
これはお互い様というものである。
「もう二時間だよ」
髪に付いた花弁を落としながら言えば、要くんがゆっくりとベンチから降り立った。
ベンチに残った花を落とし、揃って歩き出す。
ベタつくらしい唇を指先で撫でる要くんの横顔を見ていると、鼻を突くような嫌な感覚はなくなっていた。