‐第4章‐ 愛されなかった罪
僕にとって父親は決していい人ではなかった。そして、家を出て行った後、一度も会ってないため今、君の父親だ、と男性がやってきたとしてもおそらく分からないだろうし、誰なのかすら想像もつかないだろう。その父親が殺されているという斎藤の想像を、簡単には信じられない。斎藤は、自分の本当の両親の行方を確実に追っていたことになる。そんなこと子供の力でできるわけがないし、そもそも一緒に住んでいた僕ですら、行方の分からない人を、死んでいるなど(母からは死んでいるとは聞かされてはいるものの)と、いや、殺されているだなんて、虚言にもほどがある。信じられない。そして、一番の意味不明すぎる発言は、僕と斎藤が双子であるということ。もし、このことが事実であるならば、僕の母親はずっと隠し続けたことになる。
家に帰って、真っ先に和室の棚を漁った。ここには、古いアルバムが置いてあることを知っている。まず、母の結婚式のアルバムを開けた。若い頃の母が映っており、隣に特にカッコいいとも言えない普通の男性が映っている。父だ。子供は映っていないし、母のお腹も大きくない。この時点では、僕たちは生まれていない。次は、僕のアルバムを開いた。産まれた瞬間の写真が貼ってあり、メロディが流れるアルバムで、僕の生まれてからの一か月ごとに写真が貼られている。母と一緒か、僕一人か。どこかの赤ん坊と一緒に写っているものは無く一人での写真しかない。というか、父親とも一緒に写っているものはなかった。母は、写真ごとに一言、メモを残して貼っていた。9か月で立っている写真には「初めて立ちました!これからその足でたくさんの場所に行こうね。」と。1歳以降はいろんな場所での写真があるが、斎藤らしき人物はいなかった。これでは、双子という証拠は、斎藤が盗み聞いた大人たちの会話だけということになる。この状態で、斎藤の発言を信じることはできない。産まれた時の写真眺めて、僕はそれを剥がしてポケットに入れた。むなしくなるアルバムのメロディ。
「何をしているの。智幸。」母が和室の戸を開けてこちらを見ていた。
「いや、ちょっと昔の写真が見たくなってさ。」まずい、と思い、僕は慌ててアルバムを閉じて棚に閉まった。今、変に母に勘繰られるのは避けたい。双子の証拠も、父の死もすべてはまだ、憶測にすぎない。しかし、母は続けた。
「ポケットに写真入れたでしょう。出しなさい。」いつになく冷たい口調だった。
きっと母は最初から見ていたのだろう。仕方なく、ポケットに入れた生まれた時の自分の写真を出して母に渡した。母は写真を受け取ると、ため息をついた。
「梨華ちゃんを呼ぶのよ。」
「え、どうして。」
「もう、気づいたんでしょう。今まで隠してきたのに、どうしてかしらね。」
斎藤は連絡するとすぐにやってきた。しかもテンを連れて。2回目となる訪問だが、遠慮することなく入ってきた。そして、例のごとく和室へ通された。今回は、母と僕と斎藤の三人で机を囲った。それにしても、空気が重すぎて口を開けない。自分が、安易に写真をポケットに入れたせいで、なにかとんでもないことを引き起こしてしまったかもしれない。
「梨華ちゃんのことは知っています。大門家に養子に出したのは、生まれてすぐのこと。」母はうつむきながら話し始めた。
「ちょっと待て。養子の話って本当だったのか。」僕は叫んだ。
「智幸君、とりあえず、お母さんの話を聞きましょう。」斎藤はゆっくりと僕を止めた。
「私は、双子を妊娠した時に思ってしまったの。双子を養いきれるかしらって。一度に二人なんて考えてなかったし、予想もできなかった。でも、せっかく授かったのだから頑張って育てるしかない、と覚悟を決めたわ。病院で二人が生まれて、すぐに大門さん夫妻がやってきたの。そのときに、子供ができないから、双子のうち一人を貰えないかと言ってきた。最初は、もちろん断ったわ。私の子供を誰かにあげるなんて到底できません、と。でも、大門さんは、何度も何度もやってきて頭を下げたの。その姿が可哀そうに思えてきたとき、夫が言ったわ。300万用意するならあげると。」
このとき、斎藤はどんな感情だったのか計り知れない。しかし、見たことないほど悲しい表情をうかべていた。
「大門さんはしばらくして300万が入った封筒を手に訪ねてきたわ。そして、双子のうち女の子の方を養子に出した。戸籍上もそうなっているわ。生後1か月も経ってないくらいのころよ。だから、あなたたちは、正真正銘の双子なの。今まで黙っていてごめんなさい。でも、梨華ちゃんは知っていたのよね。」
斎藤は瞬きせず、口を開いた。
「私を300万で売った……。」そうつぶやいた。
「ごめんなさい。でもあの時はお金に困っていて、二人も養うことができなかったのよ。売ったつもりはないの。大門さんの所は、私の家より裕福だったし、それなりの生活ができるならと思って……」
「それでも、売ったことには変わりない。この事実を知ることができて良かったわ。私の本当の母親はあなただってことも証明されたし、智幸くんと双子だってことも確信できたわ。私の予想通り。でも、もう一つ予想していることがあるの。お母さん、分かるでしょう。」
斎藤は詰め寄る感じではないのに、母を追い詰めていた。母は、完全に怯えていたし、恐怖が顔に現れていた。僕はただ、何が起こるのか、自分に降りかかったことなのに、なぜか他人のことのように傍観していた。
「梨華ちゃん、あなたは……」
「お母さん、あなたは智幸くんと私の産みの父を殺した。そうですね?」
「いい加減にしろよ。そんなことあるわけ……」僕はうろたえた。
そのとき母を見ると、母はうつむいていた。
「母さん、違うよな。」僕は小さな声で言った。
母をかばいたかった。そんなことはありえないと思いたかった。産まれた時から母を知っている。母は人を殺すような人ではない。あり得ない。そう思った瞬間、斎藤も人を殺したということを思い出した。人は見た目では分からない。斎藤だって、深窓の令嬢に見えるが、人間の頭を落とすような奇行に及んだ人間だった。母も、僕の知らない一面があるかもしれない。
「よく、そこまで分かったわね。」母は言った。
「ええ。この家に来た時に気づきました。智幸君の聞く限りでは、この家には、当初は父も含め3人、父が出て行ってからは、あなたと智幸君しか住んでない。しかし、この家にはまだ3人いるんですよ。」
一体どういう意味だ。3人いるなどと、また不可思議なことを。この家には、母と自分の二人しか住んでいない。
「辛かった……」母は言った。
「毎日の暴力に加え、浮気もしていた。しかも相手は大門さんの奥さん。私は、育児に追われ毎日毎日、満身創痍だった。あなたと引き換えに手に入れた300万円も、この家を買うのにつかってしまった。工場で働いていた夫は、大した給料もないのに遊んでばかりで、毎日のお酒だってタダじゃない。もう辛かった。本当に……辛かった……。」
母は涙をこぼしながら打ち明けた。辛かったのは知っている。母が暴力に耐えていたことも知っている。小さいころ、僕もその姿を見て辛かった。そして父は、突然出て行った。その後、死んだのだと母から聞かされた。しかも、浮気。斎藤の母親と。ってことはつまり……
「私たちの父は、あなたに殺された。」斎藤は言った。
「は?父は家を出て行った後、母さんに殺されたっていうのか。」僕は立ち上がって怒鳴った。
「違う。智幸君はお父さんが出て行った瞬間を見たの?」
「出て行った瞬間……」
僕は必死に記憶を辿った。父は家を出て行ったか?確かに出て行った。父は僕にさよならすら言わなかった。ある日、突然のことで、いなくなって、家族に平和がやってきたと朝日を見ながら安心した。そう、あの日のこと。いなくなったのは、前日の夜?僕は、その瞬間を見たのか。本当に出ていく瞬間を見たのか。10年の月日で記憶が勝手に改ざんされてないか。
「僕は、覚えてない。ある日の朝、いなくなっていたんだ。」
「本当はいなくなってはいない。お父さんは、おそらく夜のうちに殺され、この家のどこかに隠された。私は、初めてこの家に来た時にそれが分かった。Xは、私の教えで『死』を嗅げるの。Xはこの家に偶然にも拾われ、私が受け取りに来た時に、この和室で吠えた。Xは『死』を嗅ぎ分けた時、吠えるように教えられている。父の遺体はこの和室にある。でも、この部屋の中には隠す場所は無いように思える。だから、たぶん、この下。」
斎藤は、テンを連れて立ち上がり、畳の下を指さした。母は、ただただ泣いていて、強烈な話に、部屋は一瞬、静寂を取り戻した、かのように思えた。僕は机をちゃぶ台返しのように部屋の隅に投げ飛ばすと、畳をはがした。畳は思ったより軽く、畳の下には当然のごとく床があった。
「床がある。」
「その床の下よ。きっとその下にいける。蓋か穴があるはず。」斎藤は部屋の隅に立って言った。
部屋の真ん中に位置する畳を2枚はがすと、床に穴が開けられており、その上に薄い板が置いてあった。板を外すと、そこは、もう土で、そばにはシャベルが置いてあった。そのシャベルは汚く汚れ10年前に置かれたものだろうと思った。そのシャベルを使い、土を掘った。ひたすら土を掘った。誰も何もしゃべらず、僕は土を掘り、斎藤はそれを眺め、母は怯えて泣いていた。汗が垂れるのを拭いながら、1mほど掘ったあたりで、何かに当たった。慎重に土を除けていくと、ビニール袋が出てきた。ただのビニール袋ではない。人が入れるほどの大きな袋で、もはや布団袋のようなもの。その袋をよく見ると、人の頭蓋骨が見えた。
「まじかよ……」僕はその場に座り込んだ。
「お母さん、あなたのことを恨みます。産みの父を殺したからだけではありません。あなたは、お金のために私を智幸君から引き離し、愛されもしない家族に渡された。そして、あなたは、私の育ての親と不倫もしていた。あなたは私の育ての父と、あなたの夫は私の育ての母と。こんなややこしい関係は、見たことがないわ。私たちを分離したことで、こんな大事件に発展してしまった。そして、産みの父は殺された。あなたの一方的な恨みや暴力への恐怖だったのかもしれないけれど、そのせいで、私の育ての母は、私のことを嫌うようになった。恨んでいる女の子供で、しかも、唯一の希望だった男性を殺されたんだからね。」
斎藤は、泣いている母に冷たい言葉を浴びせた。
「だから、この殺人を警察に届けます。そして、私が愛されなかった罪を償ってください。」