『いーちゃん』
「いやぁ、いい腕だったよー」
「いやほんと……ごめんなさい……」
真っ赤になったおでこに消毒液を染み込ませたコットンを当てながら眉尻を下げる。
不審者こと『いーちゃん』は、言ってしまえばわたしの叔父だ。
母の弟で、連絡のつかない……今ならばたった1人の血縁者である。
『いーちゃん』というのはわたしが『お兄ちゃん』と言えなかったせいでついたあだ名だ。
『お兄ちゃん』→『にーちゃん』→『いーちゃん』これである。
……小さい時ってそういうものよね。
父親の方は家族仲が悪く絶縁状態で、わたしは父方の祖父母が生きているのかもわからない。
今まで1回もそんな話が出てきたことがないので、わたしが家族だと言えるのはもうこの叔父だけだ。
といってもこの叔父もこちらから連絡をつけることが出来ず、関わりは薄いかもしれないが……それでもわたしはちゃんといーちゃんは覚えていた。
……暫く会っていないせいで、ちょっと不審者扱いしちゃったけど。
色素の薄い髪と、ちょっとイケメンで、遊んでとせがめばたっぷり遊んでくれたものだ。
15程年上のお兄さんで、わたしが小さい頃『目に入れても痛くないって!』と両親に力説していたのをすぐ側で聞いて、いーちゃんに抱き抱えられていたわたしはいーちゃんの目に指を突っ込んだらしい。
父親は大層慌て、母親と祖父母は爆笑していたらしい。
目に指を突っ込まれたいーちゃんも、『痛くない……!』って感動していたとかなんとか。
感動するところじゃないよね、と話を聞いていたわたしは思ったし、父親はそう口にしたらしい。
まあ、詳しくは知らないが、『いーちゃん』には祖父の家に帰省した時には本当に甘やかしてもらったものだ。
お絵かきに付き合わせて、泥遊びに付き合わせて、かくれんぼや鬼ごっこ、しまいにはおままごとまでしてもらった。
それが祖母が亡くなってから毎年じゃなくなり、今……わたしが再会したのは5年ぶりだ。
……いーちゃん、いーちゃんって呼んでたから名前わかんない……。
「そっか……父さんも逝ったのか」
「うん……」
わたしがこの家に居る説明をしたら、いーちゃんがぼんやりとそう言った。
どうやらわたしの両親のことは知っていたらしい。
しんみりとした空気が流れて、また泣きそうになる。
いつになったら涙は枯れてくれるのだろう……。
ぶんぶんと首を振って涙を飛ばし、いーちゃんに笑いかける。
「そういえばいーちゃんは何で泥棒みたいなことしてたの?」
「泥棒は酷いなぁ。俺はただマジックポーションが残ってないかとだなぁ」
「マジック……なに?」
泥棒扱いされたいーちゃんは腕を組んでむーっと頬を膨らませる。
それはいいんだけど、マジックなんとかってよくわからない単語の方が気になった。
首を傾げると、あーっといーちゃんが悩む素振りを見せた。
「菜摘ちゃんはじーちゃんの仕事知ってる?」
「んぇ?……知らない」
「あー……どうすっかなぁ……」
いーちゃんはガシガシと頭を掻き唸り出す。
一体どうしたというのか。
いやそれよりも……。
「とりあえずお風呂用意するから。着替えはどこ?」
リビングでお茶を飲みながら話し合う叔父と姪だが、掃除で汚れているだろうわたしよりもいーちゃんはひと目見て汚い。
頭を掻かれた時のこの、ハラハラと落ちる系の汚いモノに思わず眉根が寄った。
お風呂はもう洗ってあったからお湯を溜め始め、リビングに戻ればソファーに着替えをいーちゃんは用意していた。
それを脱衣場に移動させて、救急箱を片付けてからまたいーちゃんと向き合う。
「いーちゃんはまたすぐ出かけちゃう?」
「んー……暫く居てもいい?」
「勿論だよ!ここはいーちゃんの家でしょ!……あ、それも話したいから……せめて話し合い終わってから出かけてね?」
「ははっ、りょーかい」
いーちゃんの部屋は1階の奥側にある。
まだ手をつけていないけど、そっちも掃除しないと寝られないんじゃないかな?と聞けば、埃ぐらいで死なないよーと、笑った。
いーちゃんはどちらかといえば祖母似だけど、笑った顔がちょっと祖父に似てて、胸が苦しくなった。
せめて掃除が終わるまでは祖父の部屋の方がいいんじゃない、とちょっと強引に話を進めて、いーちゃんをお風呂へ押し込んだ。
時計を確認すれば、もうすぐでおやつの時間って感じ。
軽く摘めるものあったかなぁ?なんて、ここに来た時よりは少し浮き足立ってキッチンへ向かった。